第八十五話 私の名は……
「それで、ええと……お聞きしたいことがあります」
気を取り直して、パティは情報収集に徹する。
聞きたいことは、ヨハンナがなぜ頑なになっているのかということ。そして、自分が、その原因をどのように作り出してしまったのか、ということ。
いきなり、それを聞いても話してはくれないだろうから……と知恵を巡らせて……。
「私のお父さまのこと、それに、その姉であるパトリシアさまのことを……」
「ふむ、まぁ、それは構わぬが……」
ヨハンナはスゥっと目を細めてパティのほうを眺めてから、
「その前に、名乗るのが礼儀じゃろうと妾は思うが、どうじゃ?」
その言葉に、パティはハッとする。
確かに、名乗っていなかったが……まさか、正直に名乗るわけにもいかない。なにか、考えなければ……。
名前、名前……、名前?
適当に名乗ればいいとは思うのだが、その脳裏に、マティアスの……飼い犬マティアスの顔がチラつく! 尻尾なんか振って、すごくのんきな顔でパティを眺めている!
自身のネーミングセンスに関して、深刻な疑念を持っているパティは、刹那、黙考、その後、なんとか、ひねり出す!
「私はパ……、パティヤナ……」
ナニカ……こう、誰かと誰かの名前をくっつけたような……なんとも言い難い名前ができてしまった。内心で頭を抱えつつ、パティは続ける。
「ミーア姫殿下からは、パティ、と呼ばれています」
「パティ……そうか。ハンネス殿は、パトリシアさまにちなんだ名前を自らの娘につけたのじゃなぁ」
感慨深げにつぶやいてから、ヨハンナは続ける。
「して、なにが聞きたいのじゃ? パティ」
「まず、ハンネス……お父さま、についてヨハンナさまがご存知のことを……」
……別に大切な弟が、将来どうなるのかを聞きたいなどと言う野次馬根性ではない。ここから話を繋げて、ヨハンナとパトリシアの関係性について糸口を探っていくつもりなのだ……本当だ!
「ふぅむ、ハンネス殿とは、若い頃に何度かお会いしたことがある程度じゃが……。初めてお会いした時は精悍な青年貴族といった様子じゃったから、妾より年が上と聞いて驚かされたわ」
懐かしげに微笑んで、ヨハンナは続ける。
「人当たりの良い親しみやすい人物、他家の者からも慕われている、好人物じゃったが……」
そこで、言葉を切って……。
「それが、あのような……姉上の後を追うような亡くなり方をするとは、思っておらなんだ。それも、まるで同じような状況で……。共に、帝国貴族をまとめ上げていっていただきたかったが……しかし、まさか生きて、しかも若い女と隠し子を作って、さらには、またしても失踪とは……妾の見る目がなかったということか……」
なぁんて、またまたハンネスの名誉にかかわることをつぶやいていたが……今度はパティも構ってはいられなかった。
「姉上と、同じ……」
その言葉に潜む危険な匂いに、思わず息を呑む。
かつて、ハンネスと再会した時、パティは自らの未来を聞こうとはしなかった。むしろ、それを聞くことを拒否した。
なぜなら、もしも、自分がどのように死ぬのかを聞いてしまったら、この未来が崩れてしまうかもしれないからだ。
パティは、この世界が好きだった。
ミーアが多くの人を救い……ヤナやキリル、特別初等部の子どもたちが、幸せを手に入れつつある、この世界が好きだった。だから、パティは、自らの行動がこの世界を損なってしまうようなことはしたくなかった。
そんなパティにとって、自らの死の情報は禁忌に等しい。なぜなら、それを聞いてしまった時、どうすれば回避できるか、生き残れるのかと考えてしまうからだ。
その誘惑は、きっと、とてつもなく大きいだろうからだ。
だからこそ、パティは、それを聞かないようにしていたのだが……。
――これは……聞かないわけにはいかない。ここで話は遮れないし、それに……もしかしたら、そこにヨハンナさんを頑なにさせている理由があるかもしれない。だったら……。
意を決して、パティは口を開いた。
「ハンネス……お父さまは、火事に巻き込まれて消えたと聞いていますけど……。それが、パトリシアさまと同じというのは、いったい……」
ヨハンナは一瞬、躊躇ったように見えたが……。
「いや、そなたにとっても身内のことであったか。パトリシアさまは、伯母にあたるのじゃったな。ならば、ここで話さずにおくことは、仁義にもとるか……」
腕組みして、小さく頷いてから、ヨハンナは言った。
「皇太后パトリシアさまは、火事で亡くなられたのだ。妾とアデラ、それに、パトリシアさまと、フーバー子爵領に行った時の話じゃ」
「え? フーバー子爵領……?」
意外な名前に、パティは思わず目を瞬かせる。
いったいなぜ、ここで、あの男の名が出て来るのか……? と首を傾げる。
「ああ、ふふふ、不思議がるのも当然じゃな。フーバー子爵の兄、つまり、その当時のフーバー子爵だった男は、妾の教育係じゃった。それだけでなく、先の皇帝陛下の教育係も勤め上げた方でな」
「先の皇帝陛下……」
つまり、自分が結婚する人か……、とちょっぴり変な気持ちになりつつも、その教育係というのが微妙に引っかかる。
クラウジウス家に与えられた使命は、歴代の皇帝を絶望させ、蛇に染め上げること。
他にもその役割を果たす者がいた可能性は非常に高い。
「その教育係のフーバー子爵領に行っていた、と?」
「そうなのじゃ。アデラの療養と避暑を兼ねての旅行じゃったのじゃ。楽しみにしておったのじゃが……まさか、あのようなことになろうとは、な」
ヨハンナは寂しげな顔でそう言った。