第八十四話 パティお姉ちゃん、歯切れが悪くなる
さて……ダンスレッスンの後、軽く汗を流してから、パティはヨハンナのもとを訪れた。
ただ一人、誰も味方を連れることなく。
ヨハンナから、話を聞き出すためには、そのほうが都合が良いとの判断があったためだ。
――ミーアお姉さまがいては、警戒感が増す。他の人もおそらく同じ。でも、私なら、小娘と侮ってくれるかもしれない。
グッと拳を握りしめ、いつになく気合の入るパティである。
なにしろ、ヨハンナの頑なさは、パティ自らのやらかしによるものらしいのだ。将来の自分がなにをやらかしてしまうのか、事前に知っておかなければならないわけで……。
小さく息を吸って、吐いてから、パティはヨハンナの客室のドアをノックした。
「む? 誰じゃ……?」
「失礼します。ミーア姫殿下の命により、参上いたしました」
パティの声を聞き、ドアがゆっくりと開く。ドアを開けたのは、ヨハンナのメイドと思しき女性だった。さらに、部屋の中にはフーバー子爵もいた。こちらを、どこか咎めるような目つきで見ている。
――あの人がいると、ゆっくり話を聞き出すのは難しい。まずは、追い出さないと……。
「ほう、そなたは、確かミーア姫殿下の客人であったな……」
部屋の中、椅子に腰かけたまま、ヨハンナはパティを見つめる。その瞳は、興味深げな光を灯していた。
「はい……。ミーアさまのご命令で、お話しに来ました」
パティの見たところ、ヨハンナは帝室の権威を大切にしている。皇女の命令とあれば、聞かないわけにはいかないだろう、と考えたのだが……。
「ふふふ、奇遇じゃな。妾もぜひ話がしたいと思っていたのじゃ」
ヨハンナはそんなことに関係なく、上機嫌に笑った。それから、
「これ、メイド。妾はこの娘と話がしたい。しばし、外すがよい」
「はっ、かしこまりました。ヨハンナさま」
頭を下げると部屋を出て行くメイド。それを当然、と見送っていたフーバー子爵であったが……。
「そなたもじゃ、フーバー子爵」
そう声をかけられて、目を瞬かせた。
「は? いえ、ですが、公爵夫人たる方が二人きりで、このような娘と面会などと……」
その言葉に、ヨハンナは不機嫌そうに眉根を寄せた。
「何度も言うが、この娘はミーア姫殿下の客人じゃ。それに、もしも、妾に対する害意があったところで、この程度の小娘、どうということもなし。知っての通り、妾は武に少々の心得がある。仮にフーバー子爵、そなたが剣を抜いて斬りかかってきたところで……ふふ、返り討ちじゃ」
ニヤリと獰猛な笑みを浮かべるヨハンナに、パティはちょっぴり眉をひそめる。
クラウジウス候ハンネスの隠し子を匂わせて、人払いをお願いしようと思っていたから、彼女の行動は好都合ではあるのだが……。
ヨハンナはフーバー子爵が出て行くのを見送ってから、改めてパティに視線を向けてくる。常に鋭い目つきをしている印象があるヨハンナだったが、その視線はどこか穏やかで優しいものだった。
「して……そなたは、いったい何者じゃ? なぜ、パトリシアさまとそっくりの見た目をしておる?」
潔いほどの単刀直入な問いかけ。それはある意味で、パティのことを小娘だと侮っている証拠でもあるのだが……。
静かな視線で、パティはヨハンナを観察していた。
……もしかしたら、という気持ちが、パティの中に芽生えていた。
先ほどの、フーバー子爵を追い出した時にも、そう思ったのだが……もしかしたら、彼女は……。
考えごとをしつつも、パティは答える。
「……実は、私は……父の正体を知りませんでした。けれど、ミーアさまは、私のことを、帝国侯爵家の隠し子と見ているようで」
「ほう、帝国侯爵家……いや、待て。では、まさか……」
パティは思わせぶりな様子で頷いてから……。
「ミーアさまは、言いました。私が、クラウジウス候ハンネスの隠し子である……と」
聞いた瞬間、ヨハンナはわずかばかり腰を浮かせた。
「なんと……そなたが、ハンネス殿の……? いや、しかし、そうか……」
なにやら、納得した様子で頷くヨハンナ。それも当然のことだろう。なにしろ、パトリシアとハンネスは姉弟。血の繋がりがある以上、似ていても不思議はないわけで……。
っと、思っていると……。
「確かに、ハンネス殿はいつまでも若々しかった。行方不明になった後、年甲斐もなくどこぞの若い女と恋に落ち、子をなしたとしても、あの若々しさならば不思議ではない」
微妙に、弟の評判が落ちたような気がして、パティはむっつりとした顔で口を開いた。
「……いや……ハンネス……殿は、そんなに節操なしな感じじゃない……」
「ん? ああ、そうじゃな。そなたにとっては父の誇りに関わることであったか。いや、言葉の選び方が悪かったようじゃ。ただ、妾よりも年上のハンネス殿に、そなたのような幼い娘がいると聞いて、少々、驚いてしまったのじゃ」
ふふふ、と優しげな笑みを浮かべて、ヨハンナは言った。
「しかし、その口ぶりでは、ハンネス殿はそなたを置いてどこかに姿を消したということじゃな?」
「え……? あ、はい。そう……です?」
これって、そうだって言ったら、またハンネスの評判が落ちるんじゃ……? などとちょっぴり心配になってしまい、微妙に歯切れが悪くなってしまうパティお姉ちゃんなのであった。