第八十三話 ミーア姫、イロイロと企む
「ふぅー……」
さて、たーっぷり運動したミーアは、椅子に腰かけ一休み。大きく息を吐く。
ほんのりと汗ばんだ体、心地良い疲労感に確かな手応えを覚える。
――だいぶ運動しましたわね。これならば少々食べ過ぎても問題ないのでは……。
などと晴れやかな気持ちで顔を上げたミーアは、不意に広がった目の前の光景に思わず見惚れた。
「……ふふふ、平和な光景ですわね」
踊る子どもたちを見て、自然と笑みがこぼれる。
よくよく考えれば、それは不思議な光景だった。前の時間軸ではあり得ない、とても幸せな光景だった。
――当たり前のように感じてしまいますけれど、この中の何人かは孤児院の出身。ワグルやセリアのように新月地区の出身の子たちもいるのですわね。
それは、あの大飢饉が訪れていたら決して……決して見られない平和な光景だ。そう思うと実になんとも感慨深いものがあって……。
「うん……?」
っと、その時だった。ミーアの視界に、なんとも場違いなものが入って来た。
それは、こう……場違いな仮面をつけた少女の姿だった。
――あら、あれは……仮面舞踏会仕様ということかしら……。ずいぶんと気合が入っておりますわね。そういえば結局、わたくしは一度も行けなかったんですわよね。
思い出すのは、白月宮殿での風景。
自慢げに話す専属メイドの姿だった。
「仮面をつけているから、相手が誰かはわからないんですけど、それが逆にドキドキするんですよー。貴族や、青年文官とか。あとは舞台俳優なんかも来てると思うんですけど」
明るく華やかな声で話すのは、メイドのペトラ・ローゼンフランツだった。
帝国中央貴族ローゼンフランツ伯爵家の令嬢にして、白月宮殿に勤める彼女は、セントノエルにも同行するミーアの専属メイドであった。
「まぁ! そんなに楽しいなら、わたくしも行ってみたいですわ」
「ふふふ、いいですよ。機会があれば一緒に行きましょう。ミーアさまが行ったら、きっと大人気ですよ?」
などと気軽に返事をするペトラだったが、結局、一度もその機会はなかった。
時に遊びに行くために、メイドの仕事を休んだりする……ちょっぴりアレな少女の姿を思い出し、ミーアは思わず苦笑いを浮かべた……苦笑いを浮かべられるぐらいには、それは、懐かしい思い出になっていた。
「しかし……仮面舞踏会の夜は無礼講とか言ってましたけど……アンヌに比べると、あの方、いつでも無礼講みたいな方でしたわね」
風邪をひいて放っておかれたりとか、よくよく考えると腹が立つことがいっぱいあったし、決して信用のおけるメイドではなかったが……けれど、一緒に遊びに行って楽しかった記憶も確かにあった。
甘いお茶菓子を前に朗らかに笑い合った記憶も、確かにあったのだ。
だから、少しだけ気になった。
「あの方、元気にしているのかしら……。そういえば、前の時間軸でもこのぐらいの時期には、すでに白月宮殿にはいなかったんだったかしら……?」
帝国革命期、ペトラの実家ローゼンフランツ伯爵家は革命軍に潰された。実家に帰っていたことで、巻き込まれ、行方不明になったペトラを偶然にも帝都の路上で見つけたのは、それからしばらくしてからのことだった。
そして……その時の彼女は、あの恐るべき流行病におかされ衰弱していた。
「気まぐれに白月宮殿で保護するようにしましたけれど……結局、城は革命軍に落とされてしまったのですわよね……」
放っておくのも後味が悪そうだと保護したのだが、逆にその命を奪うようなことになってしまったかもしれないと思うと、いささか胸が痛まないでもないミーアである。
――まぁ、革命がおきてない今は、元気にしているはずですけど……。専属メイドに選ばれなかったから実家に帰ったのかしら……? いや……というか……。
そこで、ミーアはマジマジと、仮面の少女のほうに目をすがめる。
なんというか……あの、仮面の少女、どことなくペトラに似ている……気がする。いや、むしろ、そっくりではないか……?
――いや、しかしペトラさんが、なぜここに……? それに、あの仮面は……正体を知られたくない、ということなのかしら……?
とそこで、ミーアはピンとくる!
――身分を隠し、実家からも距離を置く……。ははぁん、ペトラさんもお年頃ですし、思うに望まぬ縁談でも勧められそうになったのかしら……。とすると、わたくしも気付かないふりをしてあげるべきかしら……。
帝国の恋愛脳は、たいそう気が利くのである。
――しかし、仮面舞踏会……身分を隠してのダンスパーティー……ふぅむ。
「お疲れさまです。ミーアさま」
そこで、アンヌが歩み寄ってきて、冷えた水を渡してくれる。
「ああ、ありがとう、アンヌ。ふふ、ひさしぶりにたっぷり踊りましたわ」
爽やかに汗をかいて、すっかりいい気分のミーアである。
汗を拭いつつ、さぁて、少し休んだらさらにプニッツァポイントを稼ぎに行くかぁ! と気合を入れるが……。
「やあ、ミーア、やってるな」
不意に声をかけられて振り返る。っと、
「あら……シオン。それに、ティオーナさんも、いらしていたんですのね」
そこにいたのは、爽やかな笑みを浮かべる少年、シオン・ソール・サンクランドと、その隣に立つティオーナ・ルドルフォンの姿だった。
「おひさしぶりです、ミーアさま」
笑みを浮かべてペコリと頭を下げるティオーナに、微笑み返して、
「ご機嫌よう、ティオーナさん。ふふふ、お元気そうでなによりですわ。お二人とも弟さんの様子を見に来られたのかしら?」
言いつつ、そこで気が付く。
――そういえば、よくよく考えると、お二人の弟君とダンスしたのですわね。ふふふ、これもまた少し不思議な感じがしますわね。
すでに、かつての仇敵という印象はない二人であったが、それでも彼らの弟にダンスの稽古を施したと思うのは、実に不思議な感じがした。
「エシャール殿下もセロくんも、なかなかにダンス、お上手でしたわよ?」
「え……セロが、ミーアさまとダンスをしたのですか?」
それを聞き、なぜか心配げな顔をするティオーナ。これは、セロのダンスの腕前を心配しているな? と察したミーアは、安心させるように微笑んで。
「ええ。なかなかに模範的なダンスでしたわね。研鑽を積めば、もっと良くなるのではないかしら」
「そう……ですか」
ミーアの言葉に歯切れ悪く答えて、セロを探すように視線を巡らせるティオーナ。一方で、
「ところで、ルードヴィッヒ殿から連絡を受けたんだが、なかなか、大変なことになっているようだな」
声を潜めて、シオンが言う。
「ブルームーン公爵夫人が踏み込んできたとか……」
「ええ、そうなんですの。もっとも、それはエメラルダさんがおびき寄せた結果ですので、大変という感じでもないのですけど……。これを機に帝国内の問題を一掃してしまえれば良いと思っておりますわ。その辺りは、とりあえず、後で詳しくお話ししますわ」
とそこで、ミーアはきょろきょろと視線を巡らせる。
「そういえば、キースウッドさんはいらしてますの? 見たところ、いらっしゃらないようですけど……」
「ああ。学園の職員と打ち合わせをしてもらっているんだ」
「そうなんですのね。それは良かったですわ」
そう言いつつ、ミーアは考える。
――ふむ……キースウッドさんは意外と、古い考え方や常識に縛られがちな方ですし、いると邪魔をされそうではありますけど……。反面、あの馬サンドイッチの時の働きを考えると、その功績を無視することはできませんわ。わたくしも、時折、発想力に引っ張られ過ぎて、現実離れした物を考案してしまう悪い癖もございますし。
そう、ミーアだって成長しているのだ。
触っただけでも危ないキノコはどうやったって食べられないし、子馬サイズのパンというのは、さすがに中まで火が通らない。その程度のことはわかっているのだ!
――あれではさすがに大きすぎましたわね。せめて、あの三分の二ぐらいの大きさにするか、もしくは、平べったくしなければいけませんわ……。毒キノコにしても、あの色はさすがにまずかったですわ。もっと地味めなものならば、試す価値はあるかもしれませんけど……。
ミーアだって……成長している、のだろうか?
ともあれ、ミーアは、キノコをのせたプニッツァの開発に、キースウッドを巻き込むことに決める。ミーアの中で、決定する!
「キースウッドさんには、後で相談したい事がございますので、お借りしてもよろしいかしら?」
「うん? それは構わないが……」
不審げな顔をするシオンに、ニッコリ笑みを返して、
「それはそうと、エシャール殿下とお話ししてこなくて大丈夫ですの?」
「ああ。それは後でゆっくりと。それより、ダンスレッスンだが、俺たちも手伝ったほうがいいんじゃないのか?」
「あら? それは願っても無いことですわ」
ミーア学園の生徒たちも、シオンで慣れておけば、グロワールリュンヌとの本番では緊張せずに済むだろう。
――それに、シオンは踊りがいがあるやつですし、良い感じに運動量を確保できるのではないかしら?
内心でニンマーリするミーアなのであった。