第八十二話 帝国の叡智は変幻自在
「どうもありがとう、セロくん」
踊り終わり、スカートを小さく持ち上げて一礼。それから、ミーアは穏やかな笑みを浮かべた。
「あっ、いえ、こちらこそ……。ありがとうございました」
勢いよく頭を下げるセロ。ミーアの顔を見た彼は、ぽぉっと頬を赤くして、行ってしまう。そんな彼を見送りながら……。
――ふむ、セロくん、少し顔が赤かったですわね。少し、運動量がハードだったかしら……。悪いことをしてしまったかもしれませんわ。
なぁんて、ちょっぴり殊勝なことを考えつつも、
――しかし、これだけ運動したのですからプニッツァ一枚……いえ、二枚は堅いのではないかしら?
裏腹に、腹の内で、帝国の胃袋が早くもプニッツァ算用を始める。そして……。
――ともあれ、まだまだ足りませんわね!
ふと見れば、ワグルやドミニク、さらに、エシャールまでもが踊りたそうな顔をしている。ミーアには、そんな彼らの顔がプニッツァに……見えたりはさすがにしないが、けれど、まだまだ、ダンス相手がたくさんいる状況は、ミーアにとって好ましいものだった。
しかしながら、自分だけがダンスするわけにもいかない。始める前に大口を叩いてしまった手前、きっちりとミーア学園の学生たちにも教えなければならない。
「とりあえず、今、セロくんと踊ってみせたのが基本のダンスとなりますわ。といっても、さすがに見ただけで踊れたりはしないでしょうから、未経験の方たちは足運びから覚えてもらいましょうか。ええと……エメラルダさんとリーナさん、よろしいかしら?」
ボクも行けますよ! と言う顔をするベルを華麗にスルーしつつ、二人の令嬢にサポートをお願いする。ベルの意気も買いたいところだが……あの、ところどころアバウトな、ある意味で自由奔放なベルのダンスは、基礎練習には向かないのだ。
「ベルは、ミーア学園の生徒たちに混ざって、一緒に練習に参加すること、良いですわね?」
「えっ……?」
ミーアお祖母ちゃんは、ダンスには一家言ある人なのだ。
そうして、ダンスレッスンが始まる。
「アン、ドゥー、トロワ。そうですわ、このリズムで。そう、流れるように」
手を叩きながら歩いて見て回りつつ、程よいところで中級者以上の相手をする。
きちんとミーア学園の学生たちのケアをしつつ、自身の運動量をも確保する、しっかり者のミーアである。
「さて、次は……あら? エシャール殿下? エメラルダさんは、よろしいんですの?」
近づいてきたエシャールを見て、ミーアは少し離れたところで指導に当たるエメラルダのほうに目を向けた。
「あ、はい。せっかくだから、稽古をつけてもらうようにと言っていただきました」
と言いつつも、エシャールはエメラルダのほうに目を向ける。その、なにか言いたげな顔を見て、帝国の恋愛脳がピンとくる!
――あら……? これは……エメラルダさん、あんな感じでなかなかに隅に置けませんわね。まさか、こんなに幼い王子殿下の恋心をもてあそんでしまうなんて……!
他人の恋路については、鋭い恋愛脳なのである。
「ふむ、それならば……」
っと、ミーアは一歩下がり、スカートをちょこんと持ち上げ……。
「しっかりと稽古をつけて差し上げますわ。エメラルダさんといつでも素敵なダンスができるように」
そうして、ミーアはエシャールと踊り始めた。
「おお、さすがはエシャール殿下。なかなかお上手ですわね。シオンにも負けてませんわよ」
兄シオンにも見られた、どこか華やかで色気のあるダンスにミーアは思わず感心する。
――まさに兄弟という感じですわね。
その言葉に、エシャールは思わずといった様子で苦笑いを浮かべる。
「……さすがに、シオンお兄さまと比べられてしまうのは……」
などと言葉を濁すエシャールに、ミーアは小さく首を傾げる。
「あら、お世辞を言っていると思われるのは心外ですわ。わたくし、安っぽいお世辞や嘘は、あまり好きではありませんのよ……?」
……割とミーアはヨイショを得意技とする人ではあるのだが……都合の悪い記憶はポーイっと遠くに投げ捨てられる、都合の良い脳みそなのだ。
「少なくとも、シオンよりエシャール殿下のほうが実に紳士的ですわ」
そう言いながら、ミーアは思い出す。あの新入生歓迎ダンスパーティーの日のシオンのことを。
「なにしろ、あのや……」
あの野郎……と、ちょおっぴりアレなことを言いそうになり、慌てて言葉を呑み込む。
不思議そうにこちらを見つめてくるエシャールにニッコリ笑みを浮かべて誤魔化しつつ、
「あのや……かい……そう、新入生歓迎夜会の日に、わたくしとダンスしたシオンがなんて言ったか、わかるかしら?」
「いえ……想像もつきませんが……」
「なんと、言うに事欠いて『ふっ、意外とじゃじゃ馬なんだな……』とか、失敬なことを言いましたのよ?」
シオンの声真似をしてやると、エシャールは目をまん丸くした。
「シオンお兄さまが、そんなことを……?」
「ええ。それに比べれば、エシャール殿下は実に紳士的。レディーの扱い方がわかっておりますわ」
小さくウインクしてみせて、
「なので、わたくしがいる間に、きっちりダンスを仕込んで差し上げますわ。お兄さまを超えるダンス上手になって、シオンを見返してやると良いですわ」
とまぁ、そんな感じで、エシャールと、さらにドミニク、ワグルと順番に稽古をつけていく。
ふぉおおお! っと、ダンスしただけで、満足げな顔をするドミニクには、
「特別初等部の子どもたちに優しくしてあげているようですわね。その調子で、帝国貴族の貴き務め(ノブリスオブリージュ)を果たしていただきたいですわ」
「かしこまりました! 帝国の叡智の栄光を世界に告げ知らせる務め(ノブリスオブリージュ)を果たすため、粉骨砕身の覚悟で頑張ります!」
などと、しっかりと言いつけておき、一方で故郷の森ですっかり鍛えられたワグルとは、
「おお、なかなか動けますわね。ワグル。ならば、少々、動きのあるダンスで……」
などと、運動量をきっちり確保。額に汗しつつ、体を引き締めにかかる!
そんな風に、キラッキラと汗を輝かせて踊るミーアを見た、聖ミーア学園の生徒たちが……。
「ミーアさまが、私たちのために、額に汗しながら、ダンスの稽古をつけてくれるなんて……」
などと、アレな感じで感動していることなど、一切気付きもしないミーアなのであった。