第八十一話 薔薇の仮面
「すごいですね、ミーア姫殿下」
踊る二人の姿を見て、エシャールは小さくつぶやいた。
「ええ。まったくですわ」
その隣で、エメラルダは深々と頷く。
まったく、ミーアのダンスはいつ見ても、惚れ惚れするほどに美しかった。あのダイナミックで迫力のある動き、パートナーを導く繊細さ……。実に見事としか言いようがなかった。
「兄上とダンスをされていた時から思っていましたが、ここまでお上手とは……」
「ミーア姫殿下は、私が知る限り、帝国で一番のダンスの達人ですわ。相手のレベルを一つも二つも押し上げる、その相手が最も輝くような踊り方ができますの」
親友のダンススキルをちょっぴり自慢げに誇ってから、エメラルダは少しだけ躊躇うような口調で……。
「……ぜひ、エシャール殿下も稽古をつけていただくとよろしいですわ」
「え? ですが、僕は……」
などと、どこか遠慮した様子で言うエシャール。その顔を見て、エメラルダはピンとくる。
――もしや、私に気を使っているのかしら……? まだお若いのに、紳士ですわね。
ちょっぴり微笑ましい気持ちになりながら、エメラルダは優しい笑みを浮かべる。
「こんな機会は滅多にありませんわ。パートナーをしていただかなければ、もったいないですわよ」
そうして、エメラルダはエシャールの背中を押した。
「さ、次はエシャール殿下の番ですわ。行っていらしてくださいませ」
とまあ快く、というよりは、いささか強引にエシャールを送り出したわけだが…………エメラルダは、ちょっぴり気持ちが沈むのを感じる。
もしも、エシャールがミーアのダンスに魅了されるようなことがあったら……。
――それは、でも仕方のないことですわ。ミーアさまは他ならぬ私の親友。大変、魅力的な方ですし? いかにエシャール殿下と言えど、ある程度は見惚れたりするのも、当然と言いますか……。それに、ミーアさまとのダンス経験は、エシャール殿下にとってもきっと貴重なものとなるはずですし……うん、だから、これは良いことですわ。良いことに違いありませんわ。でも、私とダンスする時にミーアさまより劣るとか思われたら、どうしよう……うう……。
などと、もやもや、もやもやしていたエメラルダだったが……。
「…………うん?」
次の瞬間、目に飛び込んできた光景に、思わずポカンと口を開けた。
心の中に渦巻いていた、ちょっぴりセンチメンタルな気持ちなど、ポーンッとどこかへ飛んで行ってしまう!
彼女の目に映ったもの、それは一人の少女の姿だった。ダンスの練習用にあつらえたであろう簡易なドレス、踊りやすさとデザイン性を両立させた素敵な靴。とまぁ、ここまでは別に良い。平民の学生や孤児院出身の学生も多いので、破れ目のないドレスに身を包んだ彼女は、どこか高貴な空気を醸し出しているが……まぁ、そのぐらいならば、そこまで驚くことではない。まだ、見過ごすことができる。のだが……。
……問題は、その目元を覆う、バラ模様の入った仮面だった!
――なっ、なんですの、あのド派手な仮面は……。いや、まぁ確かに仮面舞踏会ってございますし……。貴族の間では、お互いの身分を隠したダンスパーティーだってございますけれど……。
エメラルダ自身も何度か参加したことはあるのだが……しかし、である。わざわざダンスの練習に、仮面舞踏会仕様で来る必要はまるでないわけで……。
――気合いの入りすぎというわけではありませんでしょうし……ん? というか、あの髪型、どこかで……。
エメラルダは眉をひそめながら、その少女に歩み寄り……。
「……ええと、何をしておりますの? ペトラさん……」
声をかけて良いものか迷いつつも、一応は話しかけてみる。っと、仮面の少女……かつてミーアのメイドを務めた少女、ペトラ・ローゼンフランツは、びっくーんっと跳びあがった!
「へ? あ……っ、ああ、え、エメラルダさま……」
ぎくしゃくと振り返ったペトラだったが、エメラルダの顔を認めて、思わずといった様子で、ふー、っとため息を吐いた。
「おっ、驚かさないでください。エメラルダさま」
「いや、まぁ、急に声をかけてしまったのは、申し訳ありませんでしたけど……なにをしておりますの、そんな格好で」
改めて、その珍妙な格好の真意を問う。と、ペトラは仮面を軽く押さえつつ……。
「あー、いや、その……ミーアさまと顔を合わせるのは、少し気まずいと言いますか……」
チラッとペトラが視線を向けた先、ダンスをするミーアの姿が見えた。どうやら、こちらには気付いていないようだった。
「確か、以前も言いましたけれど……。ミーアさまは、あまり細かいことを気にする方ではありませんわよ?」
っていうか、その仮面、素顔で参加するよりよほど目立ってしまっている気がするけど……などと、呆れ顔のエメラルダであったが……。
「わかってはいるのですけど……」
気まずそうに髪をいじりながら、ペトラは言った。
「こんなに急にいらっしゃるとは思っていなかったので、その、心の準備が……」
などと、実に弱気なことを言う。っと、その時だった。
「ペトラお姉さま、あの……」
ふと見ると、聖ミーア学園の女生徒たちがもの言いたげに、ペトラのほうを見つめていた。
「ん? ああ、はいはい。ダンスを教えてあげる約束だったわね。とりあえず、ミーアさまのあれは参考にしなくていいから。もっと簡単なところから練習が始まるはずだし、気楽にしてて大丈夫よ」
なぁんて、すっかり、ミーア学園の生徒たちの姉貴分として振る舞うペトラである。
「ふふふ、懐かれていますのね」
「あ、ええ……まぁ……」
そこで、ペトラはハッとした顔をして、
「あっ、もちろん、エシャール殿下に変な色目を使うようなことはしていませんから、ご安心ください」
慌てた様子で、そんなことを付け加えるのであった。