第七十九話 まぁ、些細なことなので……
その日、講堂には、学生たちが集まっていた。
自らに向く、キラキラした純粋な好意に、ミーアの心がチクリと痛む。そのちょっとした罪悪感に背中を押されるようにして、ミーアは口を開いた。
「みなさん、集まっていただき、感謝いたしますわ」
それから、胸にそっと手を当てて、
「みなさんの貴重な勉強の時間をいただいてしまうこと、申し訳なく思いますわ」
それはミーアの紛れもない本心だった。
なにせ、このダンスレッスンは、ミーアが運動するためのもの。すなわち、よりたくさんの美味しいものを食べられるようになるためなのだ! いくらミーアが自分ファーストの人といっても、恥ずかしげもなく、生徒たちに迷惑をかけられるほどの胆力はないわけで……。
「ですけれど、ダンスの技術というのは、将来的にはきっとみなさんのお役に立つと思いますの。なにしろ、ダンスはテーブルマナーと並ぶ教養の一つですもの」
ということで、心の均衡を保つため、ミーアはダンスレッスンの正当性を強調する。
「セントノエルにおける新入生歓迎ダンスパーティーでもわかるように、みなさんが、世界に出て行くのであれば、必ずそうしたパーティーに参加する機会もあると思いますわ。それに、今度のグロワールリュンヌ校との討論会でも、歓迎ダンスパーティーを企画しておりますの」
ちゃっかりルードヴィッヒのアイデアに乗るミーア。良い波が目の前にやってきたのに、乗らぬは海月の名折れとばかりに、堂々たる波乗りであった。
それから、ミーアは悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「みなさんの上手なダンスで、彼らを驚かせてやりましょう」
そんなことを言った。その言葉に、生徒たちの熱気は否が応でも高まっていく。
「さて……それでは、早速、始めましょうか。楽団の方たちも準備はよろしいかしら?」
ちなみに、ベルマン子爵の手配によって、それなりの楽団員が揃っていた。彼らには、グロワールリュンヌの学生の歓迎ダンスパーティーの演奏もやってもらう予定である。もっとも、ヨハンナが了承したら、ではあるのだが。
ミーアは、問いかけに楽団員の者たちが頷くのを確認してから、
「とりあえず、細かいことを教える前に、一度、見本を見せたいのですけれど……ふむ……」
ダンスパートナーをどうしようか、と辺りを見回す。
――まぁ、基本的にどなたでも構いませんけれど、お手本である以上、それなりに上手い方がよろしいですわね。となると……。
一番の候補は、無論、言わずもがなでエシャールだった。
――エシャール殿下はサンクランドの王子だけあって、きっとダンスのほうもお上手でしょう。それに、どこかのアホのシオンとは違って、失礼なことは言わないでしょうし……。でも……。
ミーアはチラリと、自らの隣に立つ少女、エメラルダを窺う。彼女は、ダンスレッスンの話を聞いて、それならば自分も! と張り切って立候補してくれたのだ。ちなみに、食べ過ぎのベルも健康のために強制参加。シュトリナも付き合いで参加している。エメラルダにしろ、シュトリナにしろ、ダンスの腕前は、ミーアほどではないにしても、水準以上だ。一方でベルに関しては、随所に適当な箇所が点在しているため、生徒たちの手本にはならない。あくまでも、運動不足の解消のためである。
まぁ、ミーア的にはダンスなんか楽しく踊れればいいという想いがあるので、その意味ではベルも合格と言っても良いのだが……それはさておき。
ミーアの視線に気付いたのだろうか……ん? と、不思議そうに首を傾げるエメラルダだが……。
――ふぅむ、エシャール殿下をダンスパートナーに選ぶと、エメラルダさんがちょおっと面倒くさそうですわね。表向きは了承してくださりそうですけど……。うん、やっぱり、面倒くさそうですわ。
即座に判断、ミーアはとっとと別の人材を探す。しばし、生徒たちの顔を見まわしてから、ふむ、っと頷いて、
「セロくん、よろしいかしら?」
「え……?」
突然、声をかけられたセロは、ビックリした顔で、思わずといった様子で、自分の鼻先を指さして……。
「あ、えと……僕、ですか?」
「ええ、そうですわ。さ、どうぞ、こちらへ」
そう言って、手を真っすぐに伸ばしてセロを呼び寄せる。
――確か、ティオーナさんは、剣術やダンスもこなす万能の方だったはず……。セロくんも、おそらく、同じように教わっているでしょうし、ある程度はできるのではないかしら?
おずおず、といった様子で前に出て来たセロ。そんなセロを正面に迎え、ミーアは生徒たちに目を向けた。
「それでは、今から、セロくんとお手本をお見せいたしますわ。細かいことは、後でじっくりと教えていきますけれど、一度、流れを見ていただくほうがよろしいと思いますの」
それから、ミーアはニッコリとセロに微笑みかける。
「ということで、パートナーをよろしくお願いいたしますわね。セロくん。彼らに、ダンスの楽しさを感じ取っていただければと思いますわ」
「は、はい! わかりました……!」
ピンっと背筋を伸ばすセロに、ミーアは、ふぅむ、っと唸る。
――少し緊張気味かしら……。ふふふ、まぁ、良いですわ。気持ちよく躍らせて差し上げますわ! 頑張りますわよ、ご馳走を美味しくいただくために!
食べ過ぎと運動不足の解消のため、という目的が、いつの間にか、美味しいもの=プニッツァをたらふく食べる言い訳を得るため、に変化しているような気がしないではないのだが。
まぁ、些細なことなので、気にしても仕方のないことだろう。




