第七十一話 ミーア姫、ギュンギュン頭を働かせる
「あっ、あなた、は……」
「……なぜ、そんなにも強硬に反対するのですか? ミーア……姫殿下の言に理があることは、あなたもおわかりなのではありませんか? それなのに……」
パティの言葉は、実直で、いささか危険を孕んだものだった。皇女の客人とはいえ、身分なき小娘が星持ち公爵夫人に疑問を呈する。それは、慈悲を得られなければ成立しない行為。にもかかわらず、パティを咎める者はいなかった。一瞬、口を開こうとしたフーバー子爵であったが、ヨハンナの尋常ではない様子を見て、口をつぐんでいた。
「……なぜ?」
再度の、踏み込んだ問いかけ。その静かな声に……ヨハンナの肩がビクンっと震えた。
「あなたが……それを問われるのですか……? 妾は、あなたの……」
明らかな動揺。状況の停滞。
されど、それを一瞬の拮抗と見て取ったミーアは、素早く頭を働かせる。
――これは……ヨハンナさんが冷静になる前に、動いたほうが良さそうですわ!
今は、パティに不意を突かれた故、一時的に混乱しているヨハンナだが、それは長くはないはず。パティが他愛のない小娘に過ぎないと思い出せば、この停滞は、すぐさま終わる。それに、これ以上、質問を続ければ、却って強硬に押し切られるかもしれない。
余談だが、今日のミーアの脳みそは、よく働いていた。食べた分のカロリーの一割ほどを消費して、素早く思考を深めていくミーアである。非常に燃費の良い脳みそなのである。
――しかし、なにを言うべきかしら……。間違っても正気に戻るようなことを言ってはいけませんわ。あまり欲張って冷や水をかけるようなことをすべきではない。とりあえず、認めてもいいかな、というようなラインで、できるだけ、こちらに有利な落としどころを提案するのがベストですわ……。とすると……。
ミーアはやや迷った末、口を開いた。
「ならば、数日間、この聖ミーア学園を見学して、それで決めるというのはいかがかしら?」
言ってから、ミーアは内心でニンマリする。
――我ながら、これはなかなかに良い手ではないかしら? これで、ヨハンナさんは、しばらく、この学園に滞在することになる。その間に、パティにプレッシャーをかけてもらえれば押し切ることは可能かもしれませんわ。
頼りになる祖母、パティの有用性は、今まさに目の前で証明されたのだ。このアドバンテージは最大限に生かすべきだろう。
――それに、ヨハンナさんの態度も気になると言えば、気になりますわ。
そう、ミーアには一つ気になっていることがあったのだ。
フーバー子爵は、少なくとも討論会を容認する様子が見えた。ミーアに押し切られた形とは言え、強硬に反対する様子ではなかった。あそこでゴネるようなことはしなさそうだった。対して、ヨハンナの頑なさはどうだろう?
なにか……違和感があった。
彼女は、はたして、そこまで偏狭な貴族主義者なのだろうか? 一切の妥協を考慮しないほど、強硬な人なのだろうか?
そして、そんなミーアの直感を裏付けるように、パティが声を上げたのだ。
なぜ、そんなに頑ななのか、と……。
――帝国の中央貴族に長らく染められてきたという事情はあるのかもしれませんけれど、あるいは、星持ち公爵夫人としての矜持か……紫月花の会の長としての立場からのものかもしれませんけれど……。
いくつもの可能性が頭を過る。
プニッツァの油分によって滑りが良くなったミーアの脳みそは、ぎゅんぎゅん、唸りを上げて回転していた。今日のミーアの脳みそは、たっぷりの油によって、非常に滑りが良くなっているのだ!
――いずれにせよ、やはり、おかしな態度ですわ。もしかすると、その辺りを探っていけば、ヨハンナさんを説得することもできるかもしれませんわ。
紫月花の会の長にして、ブルームーン公爵夫人たるヨハンナを味方につけられれば、かなり大きい。
チラリとパティのほうに目を向けてから、ミーアは頷く。
――ふふふ、やはり、パティを助っ人に呼んでおいて正解でしたわ。あとはじっくりと、ヨハンナさんの考えを変えていければ……。
ミーアの提案に、ヨハンナはぎくしゃくと視線を向けてくる。
「なるほど……確かに……。この学園のことを知らなければ、是非を決めることもできぬじゃろうな。ならば、お言葉に甘えて、しばし、滞在させていただこうか……」
ヨハンナは、重々しくつぶやいて席を立った。
その答えに、ミーアはしかつめらしい顔で頷いた。
「それがよろしいですわ。フーバー子爵もそういうことで、よろしいですわね?」
「ブルームーン公爵夫人が、そうおっしゃられるのであれば……」
渋々と頷くフーバー子爵に、ミーアは内心でニンマリほくそ笑む。
――ふぅ、なんとか、凌げましたわね。やれやれですわ。
ただ一人……皇帝マティアスだけが「えー!?」っとしっぶーい顔をしていたのだが、まぁ、当然、そんなのはスルーするミーアである。が、いや、それも可哀想か、と思い直し、シュシュっと視線を転じる。向けた先には……大きな口を開けてカッティーラを食べようとしているベルの姿があった。
ミーアからのアイコンタクトを受けたベルは、心得た! とばかりに頷き、マティアスのほうに向かっていった。
――さて、これでお父さまは良いとして……。
っと、改めて、視線をヨハンナに向ける。ヨハンナは、まるで熱に浮かされたような顔で、席を立つと……。
「妾は……皇太后パトリシアさまのお言葉を守らねばならぬのじゃ……」
「……え?」
こぼれ落ちたつぶやき。それを聞き、パティがきょとん、と目を瞬かせた。




