第六十八話 パラダイムシフト
エメラルダの言葉に視線を鋭くさせたのは、ヨハンナだった。チラリと切れ長の瞳で、エメラルダを一瞥し……。
「ほほう。グリーンムーン公爵令嬢はパライナ祭に相応しい学校が、グロワールリュンヌではないと、そう言いたいのかえ?」
刺し貫くような視線、それを笑顔で受け止めて、エメラルダは答える。
「少なくとも、グロワールリュンヌがパライナ祭に推薦したいほど、心から素晴らしい学校であるならば、我がグリーンムーン家で預かる、サンクランドの王子殿下はグロワールリュンヌに入学していたと思いますわ」
大国サンクランドの第二王子、エシャールの入学こそ、聖ミーア学園が優れている証拠である、とエメラルダは告げていた。その言葉に、フーバー子爵が頬を引きつらせる。
「なっ! それは、グリーンムーン公爵令嬢といえど、聞き捨てなりませぬこと!」
っと、声を荒げるフーバー子爵であったが、その後ろ盾たるヨハンナはあくまでも落ち着き払った態度で言う。
「なるほど、しかし、そなたの母君、グリーンムーン公爵夫人は、紫月花の会の一員だったように思うが……。グロワールリュンヌの後援をしている紫月花の会の……」
「帝国貴族婦人の会である紫月花の会に、私の母が属していることは、不自然なことではありませんわ。そしてそれは学校の良し悪しには、関係のないことですわ」
鋭い視線をぶつけ合うヨハンナとエメラルダ。その、剣戟を交わすかのようなやりとりに、食事会の雰囲気が一気にピリリッと緊張する。
一方、ミーアはプニッツァを一気にペロリッと完食する。六枚目である。
壁際に立つアンヌが、そわそわと、心配そうな顔をしていたが……それはさておき……。
――ふむ……そろそろ、わたくしが動くべき、ですわね……。
そう考え、ミーアは、デザートのカッティーラを、ひょいぱくしてから、紅茶で口をすすぎ、うーん、美味しい。もう一個! と行こうとしたところで……。
『ミーアさま、食べすぎです!』
遠く、壁際でアンヌが口をパクパクしているのが見えた。
ミーアは自らのフォークの先にあるカッティーラと、アンヌの顔を見比べ……素知らぬ顔で、それを食べた!
――もったいないですし、うん、これが最後。最後ですわ……うん。
などと、自分に言い訳しつつ……それから、ミーアは静かに口を開いた。
「ヨハンナさん、それに、フーバー子爵、だったかしら……? 改めて言っておかなければなりませんわ」
そっと胸に手を当て、ミーアは言った。
「わたくしはパライナ祭に、この聖ミーア学園を参加させようと考えておりますわ」
厳かなる、宣戦布告をぶちかました!
「ほう?」
ヨハンナの鋭い視線が向くも、ミーアはそれを無視。それから、ユバータ司教のほうをチラリと見る。
その眼鏡の奥の瞳には、興味深げな光が宿っているようだった。
――まぁ、そうですわよね。見事に、ユバータ司教の心配が当たってしまった形ですし、わたくしが言うことに、注目しておりますわよね……。
帝国内での意思の統一……。仮に聖ミーア学園の教育が優れたものであったとしても、それが帝国内部に浸透していなければ、説得力がないと、そんな彼の懸念が的中したような光景が、今まさに目の前に広がっているのだ。
ミーアの次の手に興味がわくのも当然だろう。
――けれど、おそらくヨハンナさんたち、そして、グロワールリュンヌ校の面々を納得させることは……不可能ですわ!
ミーアは、そう割り切っていた。
実際、ヨハンナのやり方はシンプルで、それゆえに防ぎがたいものであった。
グロワールリュンヌをパライナ祭に参加させることが目的なのでないのならば、彼女は、ただ、ごねるだけでいい。
帝国からの参加者なし。帝国では代表の学校を決められないだろう、とユバータ司教に示せれば、彼女の勝ちなのだ。
仮に聖ミーア学園の参加が成ったとしても、皇女がわがままから、自らの建てた学校をパライナ祭に参加させた、ただの箔付けに過ぎない、と悪評を立てれば、おそらく彼女の本来の目的は達成されてしまう。
そして、そんな彼女のやり方は、ユバータ司教に、パライナ祭の再開を断念させるのにも、極めて有効な手だった。
ユバータ司教の思惑をどこまで読んでいるのかはわからないが、フーバー子爵を連れてきて、ぶち壊しにするという策は、実に効果的なのだ。
てっきりヨハンナがグロワールリュンヌを推そうとしているのだと思い込んでいたミーアであったから、これは、ある種のパラダイムシフトであった。
勝利条件の設定のズレ……。なるほど、そういうこともあるか、とついつい感心してしまったのだ。そして……その衝撃は、ミーアにもまた一つのパラダイムシフトをもたらそうとしていた。
すなわち……。
――よくよく考えてみると……パライナ祭が開かれないほうが、わたくしにとっても好都合なのでは?
ミーアの脳裏に、風に揺れる小麦畑ミーアートの姿が過る。
虹色に輝く、林立するミーア木像の姿が過る。
無邪気に、純粋に、ミーアを礼賛する、ミーア学園の生徒たちの笑顔が過る……。
恐ろしい、数々の光景が、脳裏を過り……。
――パライナ祭の会場で、わたくしの虹色ミニ人形を売り出す、などと言われたら一大事。さすがにヴェールガ側から待ったがかかりそうなものですけど、ミーア学園の生徒たちは、賢いですし、ラフィーナさま人形とセットで、などと提案し始めるかもしれませんわ。
ここ数日間見てきた、聖ミーア学園の熱量にミーアは圧倒されていた。彼らの活力であれば、そのような説得を試みる可能性は十二分にあり得る。
――もしそんなことになれば……ら、ラフィーナさまが激怒して獅子に豹変しても不思議はありませんわ。恐ろしいことですわ!
確かに、パライナ祭は、有効に使えればメリットもあるだろうが、デメリットだってある。ならば、無理して開催しなくても良いのではないか? とミーアは考えを改めた。
否……そもそもの目的に立ち返ったのだ。すなわち……。
――もともとの目的は、神聖図書館への入館を許可していただくこと。それはほとんど叶ったと言っても過言ではありませんわ。ユバータ司教もノーとは言わない雰囲気ですし。であれば……それ以外にしなければならないことは、なにか……。
そうして、ミーアは改めて原点に回帰し、大切なことを確認する。すなわち、
――今回の出来事を通して、グロワールリュンヌ校を内側から改革する。もって、帝国の貴族子弟の反農思想を払しょくする、これですわ!
そうなのだ。フーバー子爵を見ていて改めて実感したが……帝国貴族はヤバイ奴らなのだ。隙あらば農業を忌避するような教育を施し、破滅へと突き進むロクでもないやからなのだ。
ミーアがせっかく蹴り飛ばしたギロちんを助け起こし、神輿に乗せてわっしょいわっしょいやってくる、オソロシイ連中なのだ!
そんな中、ミーアに希望を抱かせる人物がいる。
ベルマン子爵親子である。
――あのベルマン子爵が、変わるものですわ。それに、ドミニクさんは、小麦畑の一件はさておき、特別初等部の子どもたちをかばったのも評価できますわ。
となれば、グロワールリュンヌ校の生徒たちも……変わることができるかもしれない。学校自体を内側から変える……そのためには……!
ミーアはしかつめらしい表情を作り、
「ここで、わたくしたちが言い争っていても、不毛なことですわ」
厳かな口調で言い切った!