第六十三話 漠然とした、不安……虹色の……
「昼食、なるほどなるほど、それは名案じゃ!」
ヨハンナはニッコリと笑みを浮かべ、歌うように言った。
これでようやく、時間稼ぎと糖分の補給ができそうだぞう! と思いながら、ミーアは、口元についたお茶菓子の欠片をハンカチで拭った。
……ミーアの目の前にあったお茶菓子は、すでに消えていたが、そんなこと、すっかり忘れてしまっているミーアなのであった。糖分補給ができていないことになっているのだ、ミーアの中では。
それはともかく、ミーアが安堵の息吐いた、まさにその瞬間、ヨハンナは口を開いた。
「それならば、せっかくなので、ヴェールガからのお客人もご一緒するのはどうじゃろうな?」
チラリ、と横目にミーアを見て、ヨハンナは言った。
「へ……?」
「せっかく、ヴェールガからのお客人が来ておると言うのならば、妾もご挨拶するのが礼儀というもの。それに、パライナ祭について事前に色々と打ち合わせることもあるであろ? 幸いにも、妾の連れは、グロワールリュンヌの講師じゃ。セントノエル関係の方にご挨拶をしておく良き機会となろう」
その言葉に、ミーアの危険察知能力が刺激される!
――これは……極めて危険ですわ!
残念ながら、断るのは難しそうだった。ヴェールガ公国の司教が客人として来ている以上、ブルームーン公爵夫人が挨拶したい、というのはごく当たり前のこと。
さりとて、今ここで、パライナ祭には聖ミーア学園が参加する予定、などと言えば、ゴネて来るに違いない。それは、ユバータ司教がパライナ祭の開催を渋っていた懸念と合致する状況だ。
――帝国内で代表校をめぐって揉めていては、パライナ祭の目的が達成できないと見なされてもおかしくはありませんわ。
そもそも、パライナ祭の目的は、聖ミーア学園のやり方を各国に知らしめ……知ら、しめて……?
――知らしめて大丈夫かしら……?
一瞬、ミーアの脳裏を漠然とした不安(虹色の……)が過る。世に広めてはまずいナニカが、頭の中、浮かび上がりかけて……。
――い、いいえ……今は、とりあえずそちらは考えないようにすべきですわ。それより問題は、ユバータ司教と、ヨハンナさんとを会わせなければいけないことですわ。しかも、あの連れのフーバー子爵と顔合わせなんかさせたら、ますます、帝国貴族の評判が悪くなってしまいますわ。以前のサフィアスさんの様子を見る限り、ラフィーナさまやヴェールガ公国のことを下に見ているような雰囲気もございましたし……。
帝国中央貴族の中には、ヴェールガのことを田舎の小国扱いする者も時折いる。セントノエルに行っていたサフィアスですら、実際に、ラフィーナの獅子のオーラにあてられて震え上がらなければ、その恐ろしさに気付かなかったほどなのだ。
――きっとパライナ祭にしても、大したものだとは思っていないのでしょうけれど……それはそれとして、グロワールリュンヌ校が選ばれないのはシャクということですわね。ぐぬぬ、実に厄介極まる態度ですわ!
最悪の事態を回避すべく、ミーアは懸命に頭を働かせようとする! けれど……ああ、しかし、残念なことに糖分が決定的に足りていない。
ミーアは無意識にお腹をさする。
そうなのだ……朝食の栄養素を使い果たしたこのお昼前の時間こそが、最も糖分が足りない時間。お腹が減る時間で……時間――否……! 断じて否!
ミーアの腹の虫が声を上げる!
そうなのだ、忠臣によって用意された貴重な補給、お茶菓子……行方不明になったと思われていた糖分は、本当はきちんとミーアによってパクパクされ、胃袋を経由して……その叡智へと到達していたのだ!
その貴重な糖分が、ミーアに一つの閃きをもたらした。すなわち!
「ヴェールガのお客人を、というのであれば、ルシーナ司教伯のお子さま方と、もちろん、特別初等部の子どもたちも同席する、ということになりますわね。それでもよろしいかしら?」
上目遣いに、ヨハンナのほうを見つめて、ミーアは言った。
あの、孤児出身の子どもたちも同じ食卓につくことになるけど、それでも構わないか? とミーアは問うていた。
――平民と昼食を共にするなど御免だ、などと言ってくだされば楽なのですけど……。
そう考えつつ、ヨハンナの顔を観察する。っと、まるで、ミーアの狙いなどお見通しとばかりに、ヨハンナは上機嫌に微笑んで、
「ああ、先ほどの幼子たちかえ? ふふふ、もちろん、歓迎じゃ。皇女殿下のお客人だということならば……それに、陛下のお許しなさったことならば、妾になんの文句があろうか」
事もなげにそう言った。
一瞬、ぐむっと唸るミーアであったが……。
――ま、まぁ……それならそれで構いませんわ……。うん、やり方によってはここですべて解決してしまえるかもしれませんし、そんなことだって、あり得るかもしれませんし、どうにか上手く立ち回れれば……たぶん、きっと……。だから……。
それから、ミーアはそっと目を閉じ……。
――頼みましたわよ! パティ!
幼き自らの祖母に、すべての希望を託した!
――しばらく、裏で様子を見てもらおうかと思っておりましたけど、こうなっては仕方ありませんわ。パティにも参加してもらって、何かしら、ヨハンナさんの不意を突かなければ……。ヨハンナさんとパティとは親しい仲だったと聞きますし……それでなんとか、隙が作れるかもしれませんわ。そのまま押し切って万事解決となるかもしれませんし。まだ、子どもですけど、ベルと違ってパティはしっかり者ですし……。大丈夫に違いありませんわ。
そうして、祈るような心地で援軍を待ちつつ……
――そう言えば、今日のお昼は何か趣向を凝らしたお料理だったはずですわね。ふふ、ちょっと楽しみですわ。
夢見るような心地で昼食を待つミーアであった。




