第六十二話 ……記録しておく
「父上はどちらにいらっしゃいますかしら?」
ちょうど良く通りかかったルードヴィッヒに尋ねる。っと、ミーアの背後に目を向けたルードヴィッヒは一瞬、眼光を鋭くしてから、父の所在を教えてくれた。
どうやらマティアスは食堂にいるという。ちなみに、ミーアたちは、食堂の中でも、来賓用の、個室になっているスペースで食事をするようになっている。
つまり、人目は……ない! ということで、もしや、パンケーキの踊り食いをしているのでは? と一瞬、疑念を持ったミーアであるが、もちろん違う。マティアスはミーアではないのだ。
ここ最近、皇帝マティアスは、非常に機嫌が良かった。
上機嫌に鼻歌を歌っていることが多いし、会うたびにニコニコ笑っていた。ガルヴやユバータ司教などと対話することも多かったし、ルールー族の族長との対談、学校見学など、必ずしも楽しいことばかりではないし、退屈なことも多かったはずなのだが、その機嫌が悪くなることはなかった。
そうなのだ、ここ最近、彼は、非常に幸せな日々を送っていたのだ。
なにしろ、ここでは三食すべて、娘ミーアと一緒に食べられる。しかも、それだけではない。ミーアの妹分ベルや、どこか母の面影を持った少女パティまでも一緒に食事ができているのだ。
はじめの内、ニッコニコ笑う父を見て「不気味ですわ……」などと思っていたミーアであったが、よくよく考えると、亡くなった母とまだ見ぬひ孫、さらに愛娘までもが一堂に会する食事会というのも、なかなかに奇跡的な状況だなぁ、と考えなおし……。
――まぁ、ここにいる間ぐらいは、優しくしてあげようかしら。ユバータ司教の前で変なことを口走られてもアレですし……。上機嫌にさせておけば何かと便利ですわね。
っと割り切ることにしたのだ。
さて、そんなマティアスだったが、すでに、食堂のテーブルにつき、ルンルンと弾んでいた。
入って来たミーアを見て、彼はにっこーりと笑みを浮かべ、
「おお、ミーア、来たのか。まだ早いかと思ったが、そろそろ、ランチの時間かと思って……」
その言葉がしりすぼみに消えていく。ミーアの後ろに目を向けた彼は、思わずといった様子で、引きつった笑みを浮かべた。
ミーアはその反応を見て、少しだけ驚いた。
――事前に、苦手だという話は聞いておりましたけれど……。ここまで露骨に苦手とは思っておりませんでしたわね。お父さまのあんな顔、初めて見ましたわ。
ミーアの誕生祭の時にも、ブルームーン家には行っている。その時のことを思い出しても、こんな様子ではなかったはずだ。
もっとも、パーティーの間はずっとブルームーン公爵と話しているうえ、ミーアの誕生日というスペシャルな状況でスーパーハイになっていた可能性も高い。
通常の反応は望めないだろうが……。
――やはり、ベルにパティを呼ぶようにお願いしておいて良かったですわ。パトリシアお祖母さまとヨハンナさんとは関係が深かったようですし……。
途中、ルンルンと廊下を歩いていくベルに、パティを連れてくるように指示しておいたミーアである。いざという時のため、隣で待機して話を聞いているように、と伝えていたのだ。
「あ、ああ、ヨハンナ……。来ていたのか」
「はい。ご機嫌麗しゅうございます、陛下」
優雅な仕草でスカートを持ち上げるヨハンナ。それは、ミーアですらも見惚れそうになるほど、完璧かつ優雅な礼だった。
「息災のようでなによりだ」
「おかげさまをもちまして、陛下のご寵愛をいただき、妾も夫も、日々、帝国に仕えるため邁進しております」
ヨハンナは、嫣然と微笑んでから、
「それにしましても、まさか、このような辺境の土地に玉体をお運びになられているとは、思いもよらぬことでございました。この夏は、ぜひ我がブルームーン家の領地にお越しいただけるよう、お誘いしておりましたのに……」
「あ、ああ、すまんな。えー、そのー、ミーアがな」
突如、話を振られ、ミーアは澄まし顔で頷いた。
「ええ。わたくしのほうの都合で、お父さまにも来ていただきましたの。ヴェールガからのお客さまを、お迎えしなければならなかったので……」
「おお、そうじゃ、そうじゃ」
っと、ヨハンナはパンッと手を叩いた。
「実は、その件で陛下にお願いしたきことがありましたのじゃ」
それから、すぅっと目を細めて、ヨハンナは続ける。
「なんでも、ヴェールガの伝統的な祭りを開くと小耳に挟みましてな。しかも、此度の祭りは各国の学校を集めての祭りとか……」
「よくご存じですわね。仰るとおりですわ。セントノエルの生徒会で、祭りの再開を発案いたしましたの」
ミーアの言葉を聞いて、ヨハンナはわざとらしく驚いてみせて……。
「ほほう! それはそれは、なかなか興味深い……」
っと、そこで一度、言葉を切って。
「では、当然、我が帝国のグロワールリュンヌ校が選ばれるのでありましょうな?」
パンッと手を叩き、笑みを浮かべる。
「いや、それは楽しみ。我が紫月花の会も全面的に協力させていただく所存。帝国貴族夫人の力を結集し、我が帝国の栄光を世界に知らしめましょうぞ!」
意気揚々と言い放つヨハンナに、ミーアは機先を制されたことを察する。
――ちぃっ! まさか、直訴に来るなど、さすがに予想しておりませんでしたわ。なんとか、ペースを取り戻さなければ……。
心の中で盛大に舌打ちしつつ、ミーアは素早く視線を転じる。幸い、次に取るべき手段はすぐに見つかる。
食堂の扉を開け、入って来たアンヌ。そのトレーの上に乗せられた、お茶菓子を見て!
そう、ここは……食堂なのだ! しかも、もうすぐお昼という時間だ!!
「ほほほ、まぁ、その辺りのことは追い追いということで。いかがかしら? ヨハンナさま、込み入ったお話は、お食事をしながら、ということで。お腹が減っていては、あまり難しい話をする気になりませんでしょう?」
時間稼ぎをしつつ、脳みそに糖分を送り込もうというミーアの鉄板戦術であった。
……ちなみに、アンヌが持ってきてくれたお茶菓子はミーアが美味しくいただいたことも、ここに記録しておく。