第六十一話 ドミニクはちょっとだけ混乱した!
さて……ミーアたちが去っていくのを、ドミニクはポッカーンと口を開けて見送っていた。その背が見えなくなった瞬間、彼の顔にジワジワと笑みが広がっていき……。
「み、ミーア姫殿下に、褒められた……!」
実感は遅れてやってきた。思わず、グッと拳を握りしめる。
なんと……光栄なこと。なんと誇らしいことだろう!
あの皇女ミーア学で学んでいる帝国の叡智に、数々の奇跡を成した帝国の聖女、否、大陸の大聖女に、あのようにお褒めいただくなどと……!
かつて、皇帝陛下から「皇女の町」の建設を命じられた父は、屋敷に戻って来て小躍りしていた。あの時の嬉しそうな顔が、ドミニクの脳裏に甦る。
――そうか。父上は、きっと、このような気持ちだったんだな。
踊り出したくなるのを懸命に堪えつつ、幸せを噛みしめるドミニクである。自分の行動は、間違っていなかった……と、心なしか涙ぐみ、感動に打ち震えていると……。
「あ……あの……」
ふと見ると、先ほど突き飛ばされた女の子がこちらを見ていた。上目遣いに、なにかもの言いたげに、ドミニクを見つめてくる。
一瞬、うん? っと考え込んだドミニクだったが、すぐに、ぽんっと心の中で手を打って、
「ああ、そうだったね。君、大丈夫だったかい?」
この子は、大人の男に突き飛ばされたのだ。どこかにぶつけた、といったことはなかっただろうから、ケガはしていないだろうが、それでもショックは受けているだろうし、年長者として、上に立つ者として、気遣う必要があるだろう。
「君も、よく受け止めたね、カロン。さすが年長組の男子だ」
それから、ドミニクはカロンのほうにも声をかける。カロンは、それで、照れくさそうに鼻の頭をかいた。
「あ、あの、ありがとう、ございました。ドミニクさま」
その声に、少女のほうに目を向ける。っと、少女は途切れ途切れにそう言うと、ポッと頬を赤くして、いそいそとヤナの後ろに隠れてしまった。
その、見ようによっては怯えているようにも見える態度を見て、ドミニクは眉をひそめる。先ほどのことが原因で、無闇に貴族を恐れるようになっては一大事だ。せっかく、褒めてもらったというのに、台無しになってしまう。
フォローすべく、彼は口を開いた。
「帝国貴族が怖がらせてしまったのなら申し訳ないことをした。我が帝国の名誉のために言っておくが、帝国貴族はあのように非道な男ばかりではないと、それだけは覚えておいてもらいたい」
頭を下げ、そんなことを言うドミニク。
彼の顔と、それから、ヤナの後ろに隠れた少女とを交互に眺めていたパティが、なにやらもの言いたげな顔をしていたが……結局は、開いた口から言葉が出ることはなく。ただ小さくため息を吐くのみだった。
「ところで、どうかな? 気分転換に、食堂でオヤツにするというのは。無礼のお詫びに、とっておきをご馳走してあげようかと思うのだが」
そんなドミニクの言葉に、ワッと沸く子どもたち。それを見て、満足げな笑みを浮かべるドミニクであったが……。
「ドミニク・ベルマン、殿?」
その時だ。背後から、ドミニクに声をかける者がいた。
振り向いた先に立っていた少女を見て、ドミニクは小さく首を傾げた。
「ん? 君は……?」
確か、皇女ミーアの一行にいた少女だったか。特別初等部の関係者というわけでもないようだが、セントノエルの生徒だろうか。ということは、貴族か、あるいは、どこぞの商人の娘か……。どこかミーアに面影の似た少女だが、いったい、何者なのだろうか、と思っていると、不意に、少女が深々と頭を下げた。
「あの時は……母ともども、大変、お世話になりました」
「うん? ええと、母? 世話? なんのことだろう……」
一瞬、意味が分からず、ドミニクは首を傾げる。
「無事に、帝都に行くことができました。あの時は、本当にありがとうございました」
どうやら、詳しく説明してくれる様子はない。
言葉から察するに、ベルマン子爵家でその母親ともども面倒を見たとか、そういうことだろうか? 例えば、帝都に行く途中に路銀が尽きたとか……。そんな事情で、ベルマン子爵家で面倒を見たということかもしれない。
――それは、父上に言うべきお礼で、俺が言われるべき言葉じゃないな。
そう思ったドミニクは、口を開いて……。
「それは……」
言い淀む。紡ごうとした言葉が……形を成さずに、溶けて消えた。
――え? どうして……。
彼は……己が心の変化に、思わず戸惑う。
理由はわからない。
彼女になにを言われたのかも、詳しくはわからないはずだ。
……だけど、目の前の少女の言葉を聞いた途端、心に去来したのは、体の力が抜けてしまうような、深い安堵感だった。
そうして、彼の口から、こぼれたのは小さな一言。
「それはよかった。安心した……」
本心から、そう言っていた。
まるで、自分ではない誰かに、心を乗っ取られてしまったような感覚。されど、他人の感情というにはあまりにも自分に馴染み過ぎているような、不思議な感覚だった。
己が声にこもる感情の強さに、ドミニクは驚く。けれど、その疑問が解消される前に、目の前の少女は、パン、っと手を打った。
「あっ、とそうでした。パティ、申し訳ありませんけど、一緒に来てください」
「……私?」
小さく首を傾げるパティの手を取って、
「ミーアお姉さまが呼んでいるので」
――ミーア……お姉さまっ!? どういうことだっ!?
驚愕に固まるドミニクに、もう一度、深々と頭を下げてから、少女は小走りに行ってしまった。




