第五十九話 小さき貴族の誇り
土煙を上げやって来た馬車の一団は、ドミニクたちの目の前で止まった。
その馬車を見て、ドミニクは思わず気圧される。
一目見ただけでもわかる豪勢な馬車だった。ベルマン家で保有するどの馬車よりも立派な車体だった。さらに、馬車を守るようにして随伴する騎兵の動きも見事に訓練されたもので、ミーア一行を護衛してきた近衛兵にも引けを取らない動きに見えた。
国の重鎮……相当な大貴族がやって来たことが窺える。
――いったい、誰が来たっていうんだ……?
固唾を呑んで見守る最中、扉が開き、降りてきたのは一人の男だった。手入れの行き届いた豪奢な金髪と、高そうな装飾の施された服。自らの父、ベルマン子爵の晴れ着でも、あれほどの物はそうはないだろう、と思わせるほどの高級感。
けれど、それ以上に、ドミニクを緊張させたもの、それは、男の顔に見覚えがあるという事実……。
――あの顔……あの人は、グロワールリュンヌのっ!
男は、初等部の子どもたちに目をやると、小さく舌打ちした。
「邪魔だ。汚らわしい」
そう言って、一番、手前にいた年少組の少女に手を伸ばした。ドンッと押された少女は、バランスを崩し、そのまま倒れそうになる。が、間一髪! カロンが走り寄り、少女の体を支える。
貧民街育ちで鍛えられた俊敏さがかろうじて発揮された形だったが……。一方で、少女は、ポカンと目を丸くしていた。
セントノエル島で暮らすようになってから、久しく遠ざかっていた大人からの暴力に、驚き、固まってしまっていた。
「なにしやがるっ!」
カロンが男に食って掛かる。けれど、男は、冷めた目をカロンに向けると、
「嘆かわしい。これだから、嫌なのだ。こんな学校を作るから、愚にもつかない者たちがつけあがる」
吐き捨てるように言い、
「失せろ。汚らわしい貧民のガキが、我ら帝国貴族の視界に入って来るな」
「そこまでに、してもらいましょうか」
子どもたちをかばうように、一歩前に出たのは、ドミニクだった。拳をギュッと握りしめ、男と対峙する。
特別初等部の子どもたちは気に食わない。しかし、同じミーアの選んだ学生だ。
ここで、何も言わずに放っておくことは、何もせずに傍観することは、自らの誇りを傷つけるばかりか、聖ミーア学園の生徒としての誇りすらも傷つけることだった。
「この子どもたちはセントノエルの学生です。あなたは、ヴェールガ公国の、中央正教会のやり方を非難するおつもりですか?」
怒りを覚えつつも、あくまでも冷静に、理を説く。っと、男の視線がドミニクに向いた。
「君は……どうやら、貴族の子弟のようだが……」
スッと男の目つきが鋭さを増す。
「平民をかばい立てするというのかね? しかも、その子ども……特に額に刺青を持つ者たちはガヌドスの海賊の末裔だぞ? そんなものをかばい立てすると、君の家の名に傷がつくとは思わないのかね?」
「関係ありません。ここは、聖ミーア学園。ミーア姫殿下の治める地ですから」
そして、同時にここは、他ならぬ父、ベルマン子爵が任された地でもある。誇り高きベルマン子爵家に連なる者として、黙っているわけにはいかない。
「呆れた価値観だ。帝国貴族に連なる者が、まったく嘆かわしい……いや、待てよ」
そこで、男は顎に手をやり、ドミニクをジッと見つめて……。
「ああ、そうか。見覚えがあると思った。君は、グロワールリュンヌにいたベルマン君じゃないか」
嘲笑うように、男は言った。
「辺土と中央の境界貴族が、偉そうに。グロワールリュンヌから逃げ出した者が教師たるこの私に説教を垂れるとは。世も末というものだな!」
「なっ。俺は逃げ出してなど……」
「落ちこぼれ貴族の父の言葉に従って、辺境の新設校に転入したのだろ? 逆らいも、抵抗もせずに。はは、これが逃げたと言わずしてなんと言う?」
叩きつけられた侮辱の言葉に、怒りで目の前が白くなる。危うく殴りかかりそうになるのをなんとか堪えたのは、ここで自分が問題を起こせば、聖ミーア学園の名に傷がつくから。
そして、今、背中にかばう子どもたちを守る者がいなくなってしまうから。
大きく息を吐き、ドミニクは言う。
「俺に対する侮辱は置くとして、子どもたちに対する侮辱に謝罪を要求する」
「はっ! 負け犬がなにをほざくか……」
「なにを騒いでおる?」
不意に馬車のほうから声が聞こえた。直後、そこから一人の女性が降りてくるのが見えた。
豪奢に広がるスカート。その色は濃い青色だ。美しい花の刺繍の施されたドレスを優雅に揺らしながら、その女性はドミニクの前に立った。扇子で顔をあおぎながら、
「まったく、暑いというに、なにを騒いでおるのじゃ?」
女性は、男のところまで来ると、その額をペシッと扇子で叩いた。
「くだらぬ騒ぎを起こすな。たわけが。こちらには陛下もおわすのであろ?」
「はっ。申し訳ございません。ヨハンナさまのお目に入れるも汚らわしい者どもがおりましたゆえ……」
ヨハンナ……その名に、ドミニクは覚えがあった。
帝国四大公爵家……星持ち公爵家の一角、ブルームーン家の公爵夫人が、確か、そのような名前ではなかったか……。だとすれば……。
「いちいちくだらぬことを申すな。見ただけで、このわらわを汚すことが、いったい何者にできようか」
ペンっと、畳んだ扇子で男の額を叩いてから、彼女はドミニクのほうに目を向けた。その鋭い視線は、さながら、戦場の騎士のごとく、ドミニクを貫いた。
「して、なんじゃ、お前は……。帝国貴族の子弟かえ?」
ぱちり、ぱちりと扇子を手の中で弄びながら、
「名乗ることを許そうぞ」
厳かに……許しを与えた。
圧力に押されるようにして、ドミニクは膝をついた。
「俺……私は、ベルマン子爵家が長男、ドミニクと申します」
「ベルマン? ベルマン……ああ、中央貴族の末席、ベルマン子爵か。言われてみれば確かに、ここはもともとベルマン子爵の領地であったか……」
深々と頷いてから、再び、鋭い視線が突き刺さる。
「ふむ、子爵の小倅か。その小倅が、わらわの供に、なんぞ、文句を付けていたように見えたが……」
聞いた瞬間、背筋が震えるような声……。息が止まるほどの迫力に、ドミニクの顔から血の気が引く。
公爵夫人の一行の邪魔をしたとなれば、ただでは済まない。まして、ドミニクはまだ、自身が爵位を持っているわけではないのだ。さらに、口答えなど、決して……決して許されるわけがない。
けれど……。それでも……。
「恐れながら、そちらの方が、セントノエルの学生に乱暴を働こうとしておりましたので……」
彼は、諫言を止めることはない。今、この場で子どもたちをかばえる者はいないという認識が……それ以上に、聖ミーア学園の一員として、恥ずべきことはできないという自負が、彼を支えていた。
「それに、この地でそのような乱暴が振るわれることを、ミーア姫殿下は……」
「なにを言うか! この痴れ者が!」
言葉を遮ったのは、男のほうだった。ヨハンナはそれを、ただ黙って見ているのみで……。
「グロワールリュンヌから、このような辺境の学園に転校させられた愚物が、この私に文句を……」
っと、声を震わせる男であったが、その言葉が途中で止まる。
「あら、いったい、なんの騒ぎかしら?」
凛とした、涼やかな声が響いた。
そちらに目を向ければ、今まさに、その人が歩いて来るところだった。
「このように、我が学園の前で……しかも、子どもたちの前で、そのように大声を出すものではありませんわ。客人が、怖がってしまいますわ。この子たちはセントノエルの……聖女ラフィーナさまの寵愛厚き子どもたちなのですから……」
そうして、皇女ミーア・ルーナ・ティアムーンは穏やかな目を男に向けて、
「あまり、帝国貴族の品位を傷つけるようなことをするべきではない、とわたくしは思いますけれど……」
一転、その顔に怒りの表情を浮かべた!




