第五十五話 いつかの蛇に、心重ねて
「神聖図書館への入館許可を……」
「ええ、そうですわ。ユバータ司教のご許可が必要とお聞きしましたわ」
ミーアの言葉にユバータ司教は深々と頷き、
「その通りでございます。が……ちなみに、どのような知識をお求めなのでしょうか?」
澄んだ瞳で、そう問うてきた。真っ直ぐに、探るように……見つめてきた。
――ああ、やはり、そうなりますわよね。
ただ見学したいから、では、おそらくは通らないだろう。
ユバータ司教は知っている。
神聖図書館にどのような本が収蔵されているか、ミーアがラフィーナから聞いている、ということを。
だからこそ、きっとこう考えているだろう。
ミーアの目的は、神聖図書館に収められている、混沌の蛇に関連する書物なのだろう、と。
それを踏まえたうえで、ミーアはしばしの逡巡を経て、口を開いた。
「地を這うモノの書に関連する書物、ですわ」
その言葉に、ユバータ司教の目が、わずかばかり鋭さを増す。メガネの奥、瞳に宿ったその光、ミーアは悟る。
――ああ、この方は、ルードヴィッヒやガルヴ学長、ルシーナ司教なんかと同じ類ですわ。下手に言い訳をしたり、誤魔化そうとしたりしたら、却って印象が悪くなる類の人。となれば、嘘は厳禁ですわね。
ミーアの直感の正しさを証明するように、ユバータ司教が厳格な口調で問いかける。
「なにゆえに、地を這うモノの書の知識をお求めになる、と?」
わずかばかり、ミーアが施したワンクッション……「関連する書物」の部分はざっくりと切り捨てられていた。
――やっぱり、そうですわよね。嘘や誤魔化しは逆効果ですわね。
小さくため息を吐いてから、ミーアは答える。
「答えは先ほど、あなたがおっしゃられていたことですわ。蛇と戦うためには、蛇のことを知らなければならないから、ですわ」
幸い、答えはすぐに出る。
蛇と戦うため。相手のことをよく知り、的確に戦うためである、と。
それは、つい先ほど、ユバータ司教自身が口にした言葉でもあった。ゆえに、説得力がある。なにより、それは嘘でもなければ、口から出まかせでもなかった。ゆえに、ミーアは胸を張って堂々と答えた。
「わたくしが蛇と戦うために、その動きを抑制するために、どうしても、知識が必要なのですわ」
「彼らを炙り出すためでしょうか? あるいは、攻撃し、殲滅するためでしょうか?」
ミーアは、問いの意味を吟味する。
――炙り出すにしろ、攻撃の手段にしろ、そんなものがあるなら教えろ、と言われてしまいそうですわね。なにより、嘘になってしまいますわ。
ミーアは小さく首を振ってから、
「どちらでもありませんわ。詳しいことは言えないのですけれど……蛇の呪縛を解き、ある少女を救うため……ですわ」
一切の嘘を交えず、ミーアは伝える。
蛇に縛られ続けたパティを助けるため、ハンネスを人質に取られたパティが、自由に動けるようになるため。これから先、過去に戻り、たった一人で戦わねばならないパティの、少しでも援護になるために。
……まぁ……これで、自分もちょっぴり楽になるし? という意識がないではないのだが……さすがに、そこまで馬鹿正直に口に出したりはしない。
後で自分が楽になるから! というのは、常に、ミーアが念頭に置いている概念ではあるのだが、わざわざ公言するようなことでもないのだ。
まったくもって、そんな自分ファーストなこと、全然思ってもいませんよ? っというシレッとした顔で、ミーアは言うのだった。
……まぁ、実際のところ、今回に限って言えば「楽になったらいいなぁ」ぐらいには思っているが……三割から四割ぐらいはそう思わないでもないのだけれど……それ以上に、やはり、ミーアは「今」を守りたいのだ。
苦労して、ここまで築き上げてきたものが、過去によって変えられるなどと、そんなこと、真っ平ごめんなのだ。
――そんな酷いことなんか、絶対させませんわ。ここまでわたくしが頑張って来た努力が水泡に帰するなど、絶対に許されることではありませんわ。
そうなのだ……ミーアは、この時初めて……「混沌の蛇」の誰かさんと心が重なってしまったのだ!
せっかく、成功したことを、過去に戻って覆されるとか! やってらんねーよ!! と……どこか遠くで叫ぶ蛇の声に、心の底から同意できてしまいそうな、そんな心持ちのミーアなのであった。
「いかがかしら……。神聖図書館に収められている本を、わたくしたちに読ませてはいただけないかしら?」
「重ねての問い、大変、心苦しく思います。されど、お聞かせください、ミーア姫殿下。あなたのお求めの知識は、具体的にはなんですか?」
ユバータ司教は、けれど、頑強であった。
「私個人としましては、ミーア姫殿下は全幅の信頼に値するお方であると考えています。されど、神聖図書館館長として、問いたださねばならぬことがあるのです。地を這うモノの書は、危険な書物です。その誘惑は、人間であれば、誰でも揺らいでしまう、それほどに強力なものなのです。ゆえに……」
「そう……ですわね」
刹那の逡巡……その後、ミーアはガルヴのほうに目を向けた。
そう言えば、彼にも聞いたことはなかったかもしれない。智者二人がこの場に集っている現状、聞かずにいるのはもったいないかもしれない。
ミーアは意を決して、口を開いた。
「ある病を治すための薬……その知識を求めておりますの」
「薬、ですか……」
「ええ。水土の薬、と呼ばれるものなのですけど、お心当たりはございますかしら?」
その問いかけに、ユバータ司教は首を傾げた。