第五十一話 忠臣アンヌは見逃さない
さて、アンヌが砂糖一個入り(ミーア的ノンシュガー)ミルクティーを持ってきたところで、ミーアは話を再開する。
「それで、具体的には、どう動きだしたんですの?」
「サフィアス殿から連絡が入りました。ちなみに、ミーアさまは、紫月花の会をご存知ですか?」
「聞いたことがございますわ。帝国貴族夫人の集まりですわね。いろいろな方面に強い影響力を持っているとのことですけど……」
その答えに満足した様子で頷いて、ルードヴィッヒは言った。
「実は、グロワールリュンヌの後援団体が、その紫月花の会なのです」
「なるほど、ありそうな話ですわね。なんといっても帝国貴族の子弟が集まる学園ですし……」
「それで、サフィアス殿の報告によると、その紫月花の会の会長であるブルームーン公爵夫人のところへ、グロワールリュンヌ学園の講師がやってきて、なにやら話し込んでいたとか……」
「ほほう、それは重要な情報ですわね。つまり、聖ミーア学園をパライナ祭の代表校にするためには、グロワールリュンヌのみならず、紫月花の会まで相手にしなければならない、と……そういうわけですわね?」
「現状では、その可能性は非常に高いかと……」
ミーア、そこでミルクティーを一口。その中に含まれる微量の糖分を抽出し、濃縮し、脳みそに送り込む! ミーアの脳が、ぎゅんぎゅんと動き出した!
――それは、下手をすれば中央貴族を軒並み敵に回すことになりそうですわね……。レッドムーン公、イエロームーン公には協力してもらえるでしょうし、サフィアスさんたちの援護も期待できるでしょうけれど……。それでも、あまり気が進みませんわ。それに、グロワールリュンヌ学園の生徒たちには、この機会に聖ミーア学園と交流し、反農思想の払拭に繋がればと思いますし……そのためには、紫月花の会が少々邪魔くさいですわね。
ミーアは小さく唸った。
「ふうむ、できれば、問題を切り離したいですわね……」
というか、できれば紫月花の会とは、まともに争いたくないミーアである。貴族夫人と言うのは総じてプライドが高い。ゆえに、彼女たちを説得するのは、なかなかに骨の折れる作業なのだ。
となれば……どうするか。
「ここは、せっかく、一緒に来ておりますし、お父さまのお力を借りるのがよろしいかしら?」
「皇帝陛下の、ですか?」
目を瞬かせるルードヴィッヒに、ミーアは大きく頷いた。
「ええ。グロワールリュンヌと紫月花の会は実際には別物ですから。そして、貴族夫人たちの動きの牽制には、やはり、皇帝たる父上に一言言っていただくのが効くのではないかしら?」
ルードヴィッヒは、なるほど、と頷いて……。
「現状、グロワールリュンヌ校本体より、確かに、紫月花の会のほうが、面倒が大きいように思います。ミーアさまのおっしゃられるとおり、そちらを押さえられれば、案外簡単に済んでしまうかもしれません」
「まぁ、あくまでもとりあえず、ですわ。他にも手を考えておくに越したことはないでしょうけど……」
とは言いつつも、ミーアは、概ねこれで問題が片付くと高をくくっていた。のだが……。
「紫月花の会……ヨハンナが長をやっている会か……」
「ええ、そうですわ。ぜひ、聖ミーア学園の邪魔をしないよう、お父さまのほうからガツンと言ってやっていただきたいんですの。こう、ガッツーンと……」
翌朝の朝食時。ミーアは、早速、父に話を持ち掛けたところ、
「ううむ……それは、なかなかに、難しいかもしれんなぁ」
非常にしっぶーい顔をされてしまった! 思わず面食らってしまうミーアである。
「どっ、どっ、どうしましたの? お父さま……そのような弱気な……」
「いや……なぁ。ヨハンナは、うーん……」
実になんとも、歯切れが悪い!
――どういうことですの、お父さまが、わたくしのお願いをこんなに渋るだなんて……はっ! ま、まさか……!?
瞬間、ミーアのピンク色の脳細胞が唸りを上げた!
――もしかして、お父さま……ブルームーン公爵夫人のことを……?
そうなのだ。ミーアとて、もう子どもではない。
いや、まぁ、そもそもの話、断頭台にかけられた時点で子どもではないのだが……それはさておき。
そんな大人のお姉さんミーアだから、父にいい人がいても、取り乱したりはしないし、なんだったら、自分への愛情が若干分散して良いので? とすら思っている。
パパ呼びの回数が減ったりするのではないか? と期待すらしている。しているが……。
――けれど、さすがに人妻……それも、ブルームーン公の奥さまなど、言語道断! あり得ぬことですわ。下手をすれば、帝国を二分する内戦に突入して……。とてもドラマチックなことになってしまうかも……。
ちょっぴり見てみたい、だなんてまったく思わないミーアである。ドラマチックなのは物語の世界のみにしてほしいわけで、波乱万丈な人生など自分で経験したくもないミーアなのである。
平穏、平和、安定がモットーなのである。
さて、妄想をたくましくしているミーアに、父、マティアスは苦り切った顔で言った。
「ヨハンナはなぁ、アデラの親友だったのだ」
「……へ?」
思わず、目をパチクリさせるミーアであったが……。
「それに、母上とも懇意にしていてな。本当の娘のような関係を築いていて……だから、なぁ……こう、今一つ言いづらくてな……」
「なんと……。帝国内に、お父さまが頭が上がらない方がいるだなんて、思いませんでしたわ!」
てっきり、自分がお願いすれば、大抵のわがままは通してくれるものと思っていたのだが……。とミーアはそこで苦笑いを浮かべて……。
「しかし、焦りましたわ。てっきり、ブルームーン公爵夫人が、お父さまのいい人なのかと誤解してしまいましたわ」
その答えに、マティアスは、ははは、と乾いた笑い声を上げた。
「いやぁ……ブルームーン公には申し訳ないが、あのように気の強いのは、ちょっと……なぁ」
苦り切った顔をする父に、ミーアは、ふぅむっと唸る。
――意外ですわ……。お父さまに苦手な方がいるなんて……。
ともあれ、今回は、父の権威は、どうやらあてにはできなさそうだった。
――仕方ありませんわ。なにか別の手を考えなければ……。しかし……。
ミーアは、父の言葉の中に聞き捨てならない言葉を捉えていた。それは……。
「ところで、お父さま、そのヨハンナさんは、お祖母さまと仲が良かったという話は、本当なのかしら……?」
「ああ、そうなのだ。母上とは、よくお茶会を開いていた。アデラも交えてな」
「とすると……」
腕組みしつつ、唸るミーア。
その目の前のお皿の上、いつの間にやら、山盛りになっていたパンが消えているのを、背後に立つ、忠臣アンヌはきっちり見逃さずにいるのだった。