第四十七話 拡散すれども、薄まらず1
今週はミーア成分薄めです。
先週頑張り過ぎたのでガス欠(スイーツ欠)になってしまいました。
レアの話が始まった時、ローロの胸には、なんとも言えない不満があった。
その言葉は、自分たち特別初等部の可哀想な子どもたちに対する気遣いに溢れていた。とても慈悲深いものだった。
セントノエルに来るまでは、ほとんど、そんな気遣いを受けたことはなかった。だから、ありがたくて、感謝しなければならないことだと思った。周りのみんなも、そう受け取っていただろう。でも……ローロのプライドはひどく傷つけられた。
いや、レアは司教の娘だ。神聖ヴェールガ公国の伯爵令嬢なのだ。慈悲の言葉をかけられてることは、それほど不思議ではないのかもしれない。
けれど……ミーアは……。次に立ったミーアは、帝国の叡智と呼ばれる人だ。彼女のもとには、たくさんの才能が集まっている。にもかかわらず……、彼女の口で、ミーア学園の者たちのようにできなくてもいい、と言われてしまったことは、屈辱だった。
なにより、それなら「FNYミーアランド」のようなものを、あの「皇女記念館」のようなものを、あの「小麦畑アート」のようなものを……お前が作れるのか? と問われた時、自信をもって頷けないであろう自分自身に、腹が立っていた。
ギュッと握りしめた拳、けれど、そこに込められた力の意味は、直後に一変する。
「みなさんは何者かにはなれない。みなさんは、みなさんにしかなれない……」
ミーアのその言葉を聞いた時、ローロの背筋に雷が走った。
さながらそれは、自らを包む霧が、ふっと晴れていくような感覚……。白く靄のかかっていた視界が、一気にクリアになるような、そんな感覚……。
眼鏡を軽く押さえて……彼は胸中でつぶやく。
――ああ……そう。それはそうだ。確かに真似をする必要はない。自分には自分にしか到達できない場所がある……確かにその通りだけど……。
ローロは、思わずといった様子でつぶやいた。
「なんて……厳しく、やりがいがある言葉なんだろう……」
皇女ミーアは「誰かになれ」とは言わない。あなたはあなたなのだから、と、ありのままの自分を見つめてくれている。
されど……ありのまま、今のままであり続けても良いとは、決して言わないのだ。
ローロたちが、ただ与えられるだけの弱者であることを、弱者であり続けることを、ミーアは許さない。
ありのままで、今のままで、なんの成長もなく安穏と生きることを、彼女は決して許さない。思考を放棄した奴隷であることを、ミーアは許さないのだ。
教育を受けず、何の知識もないのであれば、その者に罪はないかもしれない。が、教育を受け、使うべき知恵を与えられたのに、何もせずに、その場に留まるというのは、怠惰。その者の罪となる。
力を与えられたなら、それをどう使うかの責任を負うことになる。あるいは、使わないことを選んでしまった責任を負うことになる。
そして、ミーアはさらに苛烈だった。彼女は、自分たちの出す成果が、今もなお苦境に立つ他の孤児たちを、あるいは、将来、存在するであろう貧しき者たちを救うことになる、と言っているのだ。
勉強する機会を与えられ、仲間たちを助ける手段すら示されている。後は、するかしないかだけの問題……。
さらに、ローロには、その言葉の裏には、こんな信用も含まれているような気がしていた。すなわち。
“あなたたちは、あなたたちらしく、成長し、いつか、いつの日か……偉業を成し遂げることができる。そう、自分は信じている……”と。
演説を終えたミーアの満足げな顔は、無言のうちに、そう告げているようだった。
「そんなふうに信じられてしまったら……頑張らざるを得ないじゃないか……」
小さくつぶやくローロの顔は、けれど、どこか晴れやかだった。
同様に、その顔に光る眼鏡のレンズが晴れやかであったかは、議論の余地がありそうではあるが……。
一方で、サンクランド王国王子、エシャール・ソール・サンクランドもまた、心を打たれた者の一人だった。
「僕は、僕にしかなれない……」
その言葉は、彼の胸の内、深いところを刺し貫いていた。
なぜなら、彼こそが、天才である兄、シオン・ソール・サンクランドのようなものになろうとして、つまずき、傷ついた者だったからだ。
そんな彼に、ミーアは言うのだ。
エシャールは、エシャールらしく、その道を歩んでいけばいい。無理をして、自分以外の何者かになる必要などない、と。エシャールには、エシャールにだけ与えられた役割があるのだから、それを果たしていけばいい。それが、あの日、許された者としての責務なのだ、と。
それをどのようにこなすか、エシャールなりに考えて、こなしていけばいいのだ、と……。
その言葉は、優しくも、厳しく、奮起を促すものだった。
「そうか……。僕は、僕として……すべきことをする……それこそが、償い」
そうつぶやいた刹那、
「エシャール殿下!」
声をかけられて振り返る。っと、そこには、美しいドレスに身を飾ったエメラルダの姿があった。
「ご機嫌麗しゅう、エシャール殿下」
その涼やかな声に、少しだけ心が落ち着くのを、エシャールは自覚する。
グリーンムーン家に来て以来、なにかにつけて気を使い、いつでも変わらず優しく話しかけてくれるエメラルダお姉さまに……エシャールはすっかりなついていた!
「エメラルダさま、ご機嫌よう」
はにかむように微笑んで、エシャールは言った。
「ミーア姫殿下と一緒にいらしていたのですね」
「ええ。ミーアさまが私の力を必要とされているようでしたので」
「ミーア姫殿下……それにしても、すごいですね……」
「え……?」
小さく首を傾げるエメラルダに、エシャールは真面目な顔で続ける。
「王族は言葉を大切にしなければならない……と以前、父上に言われたことがあります。王族は言葉を用いて、民の心を安らげ、時に民の心を奮い立たせなければならない、と。無論、政治も重要なことではありますが、その前提には民の信用を勝ち取る、権威のある言葉がなければならない、と……」
それから、エシャールは、周りの者たちと談笑するミーアに目を向けて……。
「先ほどのミーア姫殿下のお言葉は、まさにそのようなものであったと思います。あの方の言葉に力づけられた者たちは、きっと多いのではないかと……」
「うふふ、それは当然のことですわ。なにしろ、ミーア姫殿下はわたくしの誇るべき親友ですもの」
そう言って、得意げに胸を張るエメラルダ。まるで自分のことででもあるかのように、ミーアが褒めたたえられることを喜んでいた。
その笑顔を見て、エシャールは、少しだけ微笑ましい気持ちになってしまう。が……。
「けれど……少しだけ妬けますわ」
「え……?」
「我が親友とはいえ、エシャール殿下をも魅了してしまうだなんて……。まぁ、ミーアさまは、大変、魅力的な方ですし、仕方ありませんけれど……」
なぁんて、ちょっぴーり複雑な顔をするエメラルダを前に……。
――エメラルダさまも、ミーア姫殿下に負けないぐらい魅力的な女性だと思うけど……。
その心に浮かんだ言葉を、エシャールが、エメラルダに伝えるまでには、今しばらくの時が必要なようだった。




