第四十三話 お兄ちゃんの耳は馬の耳
校庭には、すでに生徒たちが集合していた。
先ほどミーアに随伴し、説明してくれたワグルとセロ、さらにセリアの姿もそこにはあった。また、サンクランドのエシャール王子もその列に加わっていた。
――ふむ、三百人とはいえ、兵士たちや怒ったヴァイサリアン族の方たちを前に語りかけるよりは、よほど気持ちが楽ですわね。
ふと、そこで、レアのほうに視線を移せば……レアは小さく何事かつぶやいていた。
「ディオン・アライアよりマシ……ディオン・アライアより……」
ミーアの教えてあげたおまじないを使っているらしい。どうやら、結構、緊張している様子だった。
「本日は、帝都より、皇帝マティアス陛下、並びにミーア皇女殿下が視察にいらっしゃっている。さらに、ヴェールガ公国より、ユバータ司教、ルシーナ司教のご令息、ご令嬢もいらっしゃっている。みな、くれぐれもご無礼のないように」
学長ガルヴの言葉の後、はじめに、皇帝マティアスが短く挨拶をし、続いてレアの出番がやって来た。
「レアさん、くれぐれもよろしくお願いいたしますわね」
ミーアの声を受けて、レアはギクシャクと振り返ってから……。
「少し……少しだけ、緊張、していますが……が、頑張ります」
なにやら、ものすごぅく不安になるような返事をされて、ミーアは眉をひそめる。一方で、リオネルお兄ちゃんはというと……。
「いざとなれば、僕が助けに行くから、心配するな」
と妹を励ましている。その頭には、未だに馬耳カチューシャがつけられていた。
「うん……ありがとう、兄さま。でも……それは、取ったほうが良いかも」
くすり、と……ちょっとだけ笑って、レアはリオネルの馬耳に手を伸ばした。ふよふよ、ふよふよ、と指先でそれをいじってから、レアは、うんっと小さく頷いて、眼鏡の位置をクイッと押し上げて……。踵を返した。
「それじゃあ、行ってきます」
そんな妹の背中を見送りながら、リオネルはそっと馬耳カチューシャを取って……。
「ふぅ、やれやれ……大丈夫そうだな……」
どうやら、妹を落ち着けるために、わざとつけていたらしい。気遣いができるいいお兄ちゃんだった!
「ふふ、リオネルさん、なかなか優しいですわね」
「レアは、好きなんですよ。こういうフワフワしたもの。昔から、不安な時には、よくぬいぐるみをいじってましたから」
「まぁ、そうなんですのね。ということは、このカチューシャをつけるのも意外と気に入っていたのかしら?」
そう問えば、リオネルは苦笑いを浮かべて、
「どうでしょう……? 自分でつけるのはどうなのかわかりませんが……」
さて、そんなことを話している内に、レアが演壇へと上がった。
並ぶミーア学園の生徒たちに目をやり、それから、特別初等部の子どもたちにも目を向ける。
「初めまして、聖ミーア学園のみなさん。私は、レア・ボーカウ・ルシーナ。セントノエル学園の生徒会長です」
涼やかなその声に、生徒たちが息を呑んだのがわかった。
「本当であれば、ラフィーナさまに来ていただければ一番良かったのでしょうけれど、私もヴェールガ公爵の血族、司教の娘です。力不足なのは百も承知ですが、今回は及ばずながらも代理をさせていただきます」
その堂々とした物言いは、生徒たちのみならず、講師たちの注目を集めるのに十分な風格があった。セントノエルの生徒会長という役職に、レアは、決して負けてはいなかった。
「やっぱり……セントノエルの生徒会長には……、ミーアさまの、後を継ぐのはレアが相応しかったと思います」
つぶやくように言ったリオネルの顔には、ほんの少しだけ悔しさのようなものが見えた。
「ふふふ、そうですわね。レアさんに、あなたと同じ気遣いができたかはわかりませんもの」
「え……?」
きょとん、と目を見開いたリオネルに、ミーアは笑った。
「レアさんが、あんなふうに落ち着いて話せるのは、あなたが落ち着けてあげたから。それは、お兄さんのあなたが、レアさんのことをよく見ていたからではないかしら? もしも、あなたが不安な時があったとして、同じようにレアさんが落ち着けることができた、とは思いませんわ」
合理的で、とても頭の良いレアだが、反面、絶大な信頼を置いている兄や父が揺らいでいる時に、それを支えるのは、難しいのではないか、と思うミーアである。
「それに、あなたが生徒会長をすれば、レアさんと同じにはできないでしょうけれど、別のやり方で、きちんと対処したのではないかしら? レアさんは効率的で、合理的なやり方が好きですけれど、必ずしもそれだけがやり方ではないと、わたくしは思いますわ」
っと、そんなミーアの言葉を聞きつけたのか、ひょこっと顔を出したベルが、
「そうですよ、リオネルくん。冒険だって同じです。正しいルートは一つじゃない。いいえ、未踏の地にそんなものなんかない。目的地に着きさえすれば、それが正解なんですから」
グッと拳を握りしめ、力説する!
「やっぱり、そういう考え方が冒険家にとって大切なことなんじゃないでしょうか?」
「ベル先輩……」
冒険家の大切な心得について説くベルに、ちょっぴーり感動した様子のリオネル……であったが、
「いえ、僕はそもそも冒険家には……」
などと、控えめにツッコミを入れるのだった。




