第三十九話 小麦畑で微笑んで
皇女の町「ForestNewYard ミーアランド」からさらに森に寄った場所に、聖ミーア学園があった。町からは少し離れており、その間には広大な畑が広がっていた。
そここそが、寒さに強い小麦ミーアシリーズを生み出した実験用の畑だった。
なにもない土地を耕し、多少の土壌改良を施せば畑として機能する。それこそが、肥沃なる三日月地帯の強みだ。ルールー族やベルマン子爵領の開拓民の協力もあって、見渡す限りの畑には、見渡すばかりに小麦が、穏やかに揺れていた。
「……あら? そういえば、小麦はもう少し早い時期に刈り取っているのではなかったかしら?」
前時間軸の革命期……。早く小麦が実って、食糧事情が改善しないかしら……と指折り待っていたミーアは知っている。
小麦とは、初夏に刈り取り、秋に蒔くものなのだ。が……。
「そのお話は、説明するのに適任の者がいますから」
ワグルのその言葉に、はて? と首を傾げたところで、前方から歩いてくる少年の姿があった。優しく、大人しそうなその顔は、見覚えのあるもので……。
「ああ、セロくん。ご機嫌よう」
ニッコリ笑顔を浮かべて、ちょこん、とスカートを持ち上げるミーア。切り札たる新種の小麦を発見した功労者に、最大限の敬意を払っておく。
「はい、ご機嫌麗しゅうございます。ミーア姫殿下!」
ぺこっと元気よく頭を下げるセロ。そして、そのすぐ後ろには、
「アーシャ姫殿下もご機嫌よう。ミーア学園での良きお働きに心からの感謝を」
ミーアの言葉を受けて、アーシャ・タフリーフ・ペルージャンは、ビックリした顔をしてから、穏やかな笑みを浮かべた。
「いえ、こちらこそ、最善の働きの場をお与えいただき、心から感謝いたします。それに、妹、ラーニャもいつもお世話になっています」
などと、一通りの挨拶を終えた後で、
「それで、今、小麦がある理由ですけど、実は種蒔きの時期をずらしました」
「時期をズラした?」
セロの言葉に、きょとりん、と小首を傾げるミーア。セロの言葉を継いで、アーシャが口を開く。
「通常、帝国では、秋口に小麦を蒔き、初夏にかけて収穫という周期で農作を行っていたかと存じます。我がペルージャンでも、それは同じでした。しかし、冬の間に死んでしまう小麦が多かった……」
アーシャは、難しい顔で続ける。
「だから、種蒔きの時期をズラして、春から秋にかけてにしてはどうか、と思いまして……」
「なるほど。つまり、秋口に寒さに強い小麦を蒔き、初夏に刈り取る。その後で、今までの小麦を蒔いて、秋に刈り取る、と、そんなことをやっているということかしら?」
「まだ、そこまでは。今は、この周りの畑だけで実験している段階です。上手くいかなければ、小麦が無駄になってしまいますから。ただ、もうしばらく、寒さがこの気候が続くのであれば、農作のやり方を考える必要があるのではないか、と」
「なるほど、確かにその通りですわ」
ミーアは深々と頷く。
実際のところ、ミーアは知らない。自分が処刑された後の世界のこと。
ミーアが断頭台に送られる頃には、帝都の食料事情は多少は改善していた。けれど、それが気候の改善か、寒さに強い小麦によるものなのか、あるいは、サンクランドなどの他国から流れ込んだ小麦によるものなのか……。
――まぁ、ベルに聞いた感じでは、ほどなく気候は元には戻るような感じでしたけど、いろいろと試しておくことは必要かもしれませんわ。ベルの知らない、その先に、また寒冷期が訪れるかもしれませんし、常に備えは必要ですわ。ミーア二号の良い調理法が開発されたとはいえ、以前の小麦も時期をずらせば実るというのであれば、それに越したことはないですし……。
満月団子は好きだが、今までのパリッパリ、サクッサクのパンも捨て難いミーアなのである。
うむうむ、っと納得の頷きを見せてから、ミーアは改めて小麦畑に目をやって……。
「あら……? ところで、一部に色の違う小麦が混じってないかしら?」
不意に気付く。小麦畑の中にチラホラと見える、少しばかり異なる色合い。周りのものより幾分か色味の深いそれらは、なにやら、不自然なラインを描いているように見える。
「さすがはミーアさま。よくお気づきになられましたね」
すると、セロが嬉しそうに声を弾ませる。それから、ある物を指さしながらニッコリ笑みを浮かべた。
「あちらに登ってみると、その理由がわかると思いますよ」
彼が指し示した先、そびえ立つのは、やぐらだった。
……ミーア、若干のいやぁな予感を覚えつつも、渋々ながら、そこに登ることになった。のだが……。
「こっ……これはっ!」
畑のほうを改めて見下ろしたミーアは驚愕する。
「コンパニオンプランツと呼ばれるやり方で、小望月パンプキンと小麦を一緒に育てると育ちが良いという話がありまして……」
「なっ、なるほど……。さすがはペルージャン農業国。いろいろな方法がございますのね」
アーシャの説明に、一応は納得の返事を返すミーアであったが……問題は、そこではない。
「ですけれど……その、アレは、なんというか、人の顔のように見えますけれど……」
ミーアの視線の先、畑に揺れるのは、巨大な人の顔の形……。否、人というか、アレは、どこからどう見ても……。
「はい。せっかくですからミーアさまのお顔の形に植えてみようと思いまして……」
その声に反応するかのように、小麦畑の上を風が吹き抜ける。それに合わせて、ニッコニコと上機嫌な笑みを浮かべたミーアの絵が、綺麗に揺れていた。
……なかなかのクオリティだった! 芸術点がとても高かった!
「あ……ああ、そ、そうなんですのね……」
ミーアの口からこぼれ落ちたのは、いささか諦めの混じったため息だった。
いや、まぁ、別に畑で自分の顔を描いたとしても、良いのだが……。
別に、きちんと小麦ができているのだから、問題はないのだが……。
別に、収穫してしまえば、消えてしまうものだから良いのだがっ!!!
――とっ、とりあえず、みなをこの上に連れてくるのはやめたほうが……。
と思っているそばから、皇帝マティアスを筆頭に、みなが興味津々、こちらに視線を向けているのを感じる。それに、セロたちはあくまでも善意でこれをやってくれている。ミーアが喜ぶと思っていて、これをやってくれている。
そう、ミーアを出迎えるためにこれを……。
「んっ……?」
っと、不意に、ミーアはそこで気が付いた。
――あら? わたくしが来ると決まったのはごく最近のことですけど……この色違いの畑を作るのって、もっと前からやらないといけないのではないかしら?
それの意味するところは、すなわち、あれらの小麦絵がミーアを歓迎するために作られたのではない……ということである。ミーアが来ても来なくても……あれは、この畑の中でのんびーりと揺れていた、という事実である!
「こういう図形を描くのが上手い生徒が何人かいて、彼らの協力で植えたんです」
嬉しそうに話してくれるセロの、その溢れんばかりの忠誠心に圧倒されつつ、ミーアは……、
「そっ、そう、なんですのね。うふふ、これは、きっと子どもたちも見たら喜びますわ。うん……」
なぁんて、微妙に引きつった笑みを浮かべるのだった。




