第三十八話 くもるくもるくもる、もる、べる
皇女ミーア記念館を無難に乗り切ったと思っていたミーアであったが、実のところ一つだけ、重大な見落としをしていた。
ミーアは子どもたち全員が馬耳カチューシャをつけて、素直に喜んでいるものだと思ってしまったのだ。
完璧に、忘れていたのだ。ミニクソメガネこと、賢いローロのことを……。
「すごいところだった……」
彼は圧倒されていた。ミーア記念館の素晴らしさに。
ここは、記念館という名前から想像できるような、退屈な記録が展示されているだけの場所ではなかった。自分たちのような子どもでもわかるように、楽しめるように配慮された施設だった。
楽しみながら、ミーアの功績を学べる、創意工夫の詰まった素晴らしい施設だったのだ。
絵画も、彫刻も、とてつもない熱量だった。大恩ある皇女ミーアを慕い、なんとかして忠義を返さんとする姿勢に、ローロは感銘を受けた。と同時に歯がゆさも感じていた。
自分たちも、あのワグルという先輩と同じなのに……と。
ミーアの働きかけで、学ぶ機会を与えられた者なのに、と。
「あなたたちは、ミーア学園の生徒のようにならなくても良いですわ」
ミーアからそう言われた時、ローロの胸にあったのは悔しさだった。
だけど、今は少し安堵してしまっている。だって、あんなこととてもできない。だから、真似をしなくてもいいという言葉を思い出し、安堵した。してしまった。
それが心の底から悔しかった。
「どうしたんだよ、ローロ、そんな難しい顔して」
ふと見れば、カロンが不思議そうに首を傾げていた。のんきな顔で馬の耳をつけて……なんだか、なんだか、とても楽しそうだ。
「カロン、楽しんでるみたいだね」
「そりゃそうだ。こんなところ見たことねぇからさ。すげえよな、ミーア姫殿下って」
「そう、だね……」
ローロは無力感に打ちのめされた。
自分は、決して頭が悪くない。勉強はできる。カロンやその他のメンバーとは違うんだ、と、そう思っていた。
だから、今は無理でも、きっと将来は……、とそう思っていた。
国を救い、人々を救う、寒さに強い小麦ミーア二号。そこまでの手柄は立てられないだろうけど、それでも……と思っていた。
そんな彼の想いを、あの彫刻は粉々に打ち砕いた。
ミーア学園に通う生徒は、きっと、誰も才能に溢れる生徒たちなのだろう。自分とは違う。
――ああ、僕も結局は、カロンたちと同じだ。いや、素直に楽しめない分、僕のほうが、よほどダメなやつじゃないか。
アイデア溢れるあの彫刻が、ローロを追い詰めていた。すでに、在学中に結果を示しつつあるミーア学園の生徒たちに、ローロは追い詰められているのだ。
「僕も……僕も頑張らないといけないのに……」
ギュッと、小さな拳を握りしめるローロ。そんな少年の葛藤を陰から見つめている人物がいた!
「やはり、焦りを感じる者は、いるだろうな……」
眉をひそめつつ、ユバータ司教はつぶやいた。
概ね、特別初等部の子どもたちはほとんどが、先ほどの記念館を楽しんでいたようだが、すべての子どもがおなじではない。彼のように焦る子はいるだろうし、その焦り、傷つき方もユバータ司教には容易に想像ができた。
記念館のほうを振り返り、つぶやく。
「ずいぶんと民から慕われている……さすがは帝国の叡智といえる。この記念館は、その表れだろう。森の部族からも慕われている。その人望は、あの発言録を見れば、頷けるというもの……だが」
それゆえに……特別初等部の子どもたちにとっては、厳しい現実となった。
「あの案内をしてくれた少年、ワグルと言っただろうか……。彼のあの力作を見れば、不安を覚えるのも、よくわかる」
なにしろ、自分たちと同じ立場の者が立派な仕事をしているのだ。焦るなというのが無理な話だ。
「本来であれば、司教たる私が、フォローすべきなのかもしれないが……」
ユバータ司教の脳裏に過るのは、先ほど記念館で見たミーアの言行録だった。
「ミーア姫殿下のお言葉の中に、特別初等部の子どもたちにかけた言葉があった。行いではなく、その存在を愛すると……そうメッセージを発せられていたはずだ」
それは、ユバータ司教の考えに一致する。孤児たちは、その能力の有無にかかわらず助けるべき存在だ。
「であれば……きっと彼らを放置はすまい。なにか、手を打つはずだ……。ミーア姫殿下ならば、きっと、間違いなく……」
その確信があったゆえに、ユバータ司教は、ここは観察に徹することにする。
帝国の叡智の手腕を見極めるために……。ちょっぴり、ワクワクと、その手腕を楽しみにしつつも。
眼鏡の位置をクイッと上げてから、彼は鋭い瞳で子どもたちを見つめていた。
そんな、特別初等部の子どもたち、の様子を見ていたユバータ司教……の様子を見ていたレアは思った。
――ユバータ司教のあの目……すごい、ミーア姫殿下、これを見越していたんだ……。
生真面目な顔で、馬耳カチューシャを外すことすら忘れて……レアは思い出していた。
昨夜、ミーアが悩んでいたことが、まさしく的を射ていたことを……。
確かに、これは配慮が必要なことだった。聖ミーア学園学生を鼓舞するだけでは、特別初等部の子どもたちが傷つくことになる。
――それを見たからと言って、ユバータ司教の心境はそこまで悪くはならないかもしれないけど……でも、用心に越したことはない。
それから、レアは改めて自らの役割の重さを思う。
――セントノエルの生徒会長として、彼らにかけて上げるべき言葉……。焦らなくってもいいって、とりあえず、安心させてあげないと……。ローロ君にも……。
っと、そこで……。
「あれ……あのローロ君って……もしかして、レムノ王国宰相府の重鎮……」
「え……?」
振り返った先、馬耳をぴょこぴょこ揺らしながら、ベルが歩いてきた。
レアの顔を見たベルは、んー? と考えてから、ハッとした顔をして……。
「あ、ええと、そう! きっとセントノエルを卒業したら、レムノ王国に帰って、宰相府の重鎮になるぐらい、出世するんじゃないかなって……」
「宰相府の重鎮、ですか……。ふふふ、ベル先輩、意外と盛りますね」
「そうですね。でも、彼ならきっと、そのぐらいは頑張ってくれると思いますよ」
ベルは、なぜだろう、やけに確信に満ちた顔で、そんなことを言うのであった。




