番外編 ミーアに倣う者として
さて、話は少しだけ遡る。
夜闇の迫る帝都ルナティアを一台の馬車が走っていた。
御者台には、御者と護衛の騎士が一名ずつ。そして、馬車の中には男女の姿があった。
そう、アンヌとルードヴィッヒである。
「なんだか、すみません。こんな、馬車で送っていただくなんて……」
ミーアと一緒に馬車に乗ることはあるのだが、こうして自分のために用意されるようなことには、今一つ慣れないアンヌである。まして、護衛としてついてきたのが、破格の男であるとなれば、なおさらのことで……。
「あー、気にしなくっていいよ。僕もルードヴィッヒ殿を護衛するついでなんだから」
御者台に座る帝国最強の騎士、ディオン・アライアは不敵な笑みを浮かべて言った。
「今の蛇にとって、最もお手軽な攻撃が暗殺だからね。君やルードヴィッヒ殿は、ミーア姫殿下の大事な忠臣。狼使いクラスの暗殺者が送られることを考えて、僕が護衛に就くのは、そんなにおかしなことじゃない。まぁ、きっちり護衛するから、安心して休んでいてくれ」
それだけ言うと、彼は馬車前方の扉を閉めた。
――そう言われても、やっぱりちょっと落ち着かない。
それから、アンヌはルードヴィッヒのほうに目を向けた。
なにやら書類に目を落として、難しい顔をしていたルードヴィッヒであるが、アンヌの視線を感じたのか、ん? と顔を上げる。
目が合ってしまい、ちょっぴり気まずくなりつつも、アンヌは口を開いた。
「そういえば、ルードヴィッヒさんは、ご実家には帰られているのですか?」
「いや……最近はまったくだな」
小さく首を振って、ルードヴィッヒは答える。
「そうなんですね。ちなみに、ルードヴィッヒさんのご家族って……」
「両親と兄が一人だ。商家をやってるんだが、家は兄が継いでる」
淡々と言うルードヴィッヒに、アンヌは少しだけ眉をひそめた。
「もしかして、あまり仲が良くないんですか?」
その問いかけに、ルードヴィッヒは不意を突かれた様子で、目を瞬かせた。
「どう、だろうな……。自分ではそんなに仲が悪いとは思わないんだが……。会えば普通に話をするし、酒だって酌み交わす仲だよ……。しかし、言われてみれば、もう二、三年は会っていないな」
その言葉に、アンヌは驚いたように目を見開いた。それから遠慮がちな様子で……。
「あの、たまには、ルードヴィッヒさんもお休みをいただいたほうがよろしいのではありませんか?」
ルードヴィッヒは、思わずと言った様子で苦笑いを浮かべる。
「え? あの、どうして笑ってるんですか?」
「いや、バルタザルや後輩のジルにも同じようなことを言われてね。もちろん、たまに休息はとっているよ。ただ、いかんせん仕事が楽しすぎるから、なかなかね。つい、休むのが後回しに……」
「いけません。ルードヴィッヒさん!」
ビシッと、アンヌが言った。それは、ちょうど、ミーアが食べ過ぎた時の口調に似ていた。そうなのだ。ミーアにとっての甘いものが、ルードヴィッヒにとっての仕事なのだ。
どちらも健康を害する恐るべきもの、FNYと過労は親戚関係にあるのだ。
……そうだろうか?
「きちんと休む時には休まないとダメです。もっと、ミーアさまを見習ってください」
「ミーアさまを……?」
不思議そうに目を瞬かせるルードヴィッヒに、アンヌは腕組みして堂々と頷く。
「はい。ミーアさまは、必要な時には迅速に動かれますが、そうじゃない時には、ベッドでお休みになっています。緊急時のために、休める時には積極的に休んでいるんです」
「そう、なのか……」
意外な事実だったのだろうか。ルードヴィッヒはかすかに目を見開いた。
「それに、思い返せば、甘いものを食べて、のんびりしていることも多いと思います」
アンヌは深々と頷いてから、
「私は、先ほどのミーアさまのお言葉で気付かされました……いざという時、力を発揮するべき時のために、休むべき時にはしっかりと休む。それが、大切なんだと……」
アンヌの脳裏にあるのは、いつもベッドの上でゴロゴロ、ダラダラ、ゴロゴロ、ダラダラ……ゴロゴロゴロゴロ、ダーラダラするミーアの姿だ。その姿はさながら、浜辺に打ち上がった海月のごとく、しんなりしていることも多いのだが……今のアンヌには、それもすべて、ミーアのすごさに繋がっているように思えた。
こう……心配事はあれど、休む時はしっかり休める胆力とか、そういうナニカに見えたのだ。うん。
「頑張るのは気が楽です。だけど、それじゃあダメだって、ミーアさまはお考えなのだと思います。心配でも、休むべき時にはきちんと休まないと……」
「……なるほど、そのとおりかもしれないな。ミーアさまの忠臣として……、我らは、ミーアさまに倣う者とならなければ、ということか……」
ルードヴィッヒは悩ましげな顔でつぶやく。
ルードヴィッヒがミーアに倣う者になってしまうと、国が傾くような気がしないではないのだが……。
そんなルードヴィッヒにアンヌが優しい笑みを浮かべて言う。
その笑みは、さながら傾国のメイドの笑みと言ったところだろうか……?
「はい。ルードヴィッヒさん、少しお疲れに見えますから。しっかりとお休みを取ったほうが良いと思います。もしかして、お食事も抜いたりすることがあるのではありませんか?」
「よくわかったな……確かに、今日は昼食を食べている余裕がなかったが……」
「でしたら……」
っとそこで、馬車が、アンヌの家の前に着いた。
アンヌは少しだけ、自分の家に目を向けてから、
「あの、もしよろしければ、ルードヴィッヒさんたちもご一緒にどうですか?」
「は……?」
「お食事です。きちんとしないと、お体に障りますから」
「いや、しかし……ひさしぶりの家族での食事に邪魔するわけには……」
「いえ、私は明日もお休みをいただいていますから。それに、ルードヴィッヒさんになにかあったら、ミーアさまだってとても困ると思います」
っと、そこで、
「いいんじゃないか? ルードヴィッヒ殿も少し休んだほうがいい。僕たちの分まで用意するのは大変だろうから、ルードヴィッヒ殿だけでも構わないけど」
「しかしな……飛び入りしたら、君のご家族も困るんじゃ?」
「いえ、大丈夫です。追加のお料理ぐらいすぐに…………母に作ってもらいますから」
なぜか、自信満々に、ふん、っと力こぶを作るアンヌであった。