第三十一話 三つの罪悪感
ベルマン子爵邸の中には、馴染みの顔が待っていた。
「あら、バルタザルさん。ご機嫌よう。しばらくぶりですわね」
「ご機嫌麗しゅう、ミーア姫殿下。大変、ご無沙汰しております」
恭しく頭を下げるバルタザルに、ミーアは早速、釘を刺しておく。
「ルードヴィッヒには一応言いましたけれど、聖ミーア学園ではくれぐれも、過度なお出迎えなどしないよう、お願いいたしますわ。子どもたちの学業を妨げることのないように。それに、過度な金銭をかけるのもなしでお願いいたしますわ」
「心得ております。我が友ルードヴィッヒも無駄な支出は嫌うところ。みなもそれは存じておりますので、代わりに心を込めたおもてなしを用意しております」
「心を込めたおもてなし……。そう、ま、まぁ、楽しみにしておりますわ」
「それにしても、さすがはミーア姫殿下です。学園のみなも、そのご謙遜な在り方に敬意を新たにしております」
ミーア、微妙に自身の評価が上がったことを察する。
――まぁ、ある程度は、評価しておいていただきたいですけれど……あまり過剰だと困りますわ。あのミーア学園の場合は特に……。ならば……。
ミーア、咳払いを一つ。それから、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて、
「あら、わたくしだってわがままも無駄遣いもいたしますわよ? 特に、食べ物に関することには、妥協はしておりませんの」
「ほう、それは意外ですね」
後ろから声が聞こえて、ミーアは思わず跳びあがる。
見ると、ユバータ司教がこちらを見ていた。
――ああ、ヤバいですわ。大量の金を浪費して贅沢をする暴君、などと思われては一大事。
ミーア、再び咳払いして、方向性を変えにかかる。
「ええ、わたくしは、食にはお金をかけますわ。誰かの分が足りない、などと言うことがあれば悲しいですし……。美味しいものがみなに行き渡るように、一切の妥協はしませんわ。そういうことに関しては、きっちりとお金をかけますの」
っと言った直後、
「ああ、さすがはミーア姫殿下……」
その声に、目を向けると……見覚えのある少女がいた。
「あら……セリアさん、ご機嫌よう」
声をかけると、セリアはビクンっと肩を揺らし、
「は、はい。ミーア姫殿下、ごっ、ご機嫌麗しゅう」
「ふふふ、そう緊張することもございませんわ。はじめてお会いした時には、あなたはそんなに緊張していなかったのではなくって?」
上機嫌に笑いながら、ミーアはセリアに近づいた。彼女との会話であれば、あまり寿命が縮むようなことにはならないだろう、と……信じて。
「どうですの? ミーア学園での学びは」
その問いに、セリアは間髪入れずに答える。
「はい! 大変なこともございますが、でも……」
楽しいです……と言いかけて、そこでセリアは言葉を止めた。
はたして、楽しい……と、言っても良いものだろうか?
心の内をそのまま話しても良いものだろうか……?
そんな問いが、胸の中に生まれる。
やりがいを感じている、と、楽しくて仕方ないと言っても良いものだろうか?
温情により、勉強をさせてもらっている立場で楽しいだなんて、言っても良いんだろうか?
それは、なんだか、ものすごく罪深いことのように感じられて……。
胸の内、生じた罪悪感が、セリアの言葉を詰まらせたのだ。
ジッとセリアの顔を見つめていたミーアは小さく首を振り……。
「罪悪感を覚えてしまいますわね……」
そんなことをつぶやいた。
自らの胸の内を読んだかのようなその言葉に、セリアはハッと視線を上げる。っと、目の前に、柔らかな笑みを浮かべるミーアの顔があって。
「セリアさん、あなたが頑張っていること、わたくしは知っておりますわ。そして、頑張って苦労した分、きっと報いもあるものだと、わたくしは信じておりますの」
思わず……セリアは息を呑む。
孤児院に行く前のこと……苦労して、苦労して……流れ着いた孤児院、食べる物に困らなくなってからも、懸命に、懸命に……頑張ってきたこと。
その報いとして、今があるのだ、と……。
ミーアは、そう言っているのだ……と思った。
「楽しいことだってあるし、やりがいのあることだってきっとある。それが当然だと思いますわ。あなたは、それだけ頑張っているのですから。だから……その、無理だけはしないようにしていただきたいですわ」
ミーアは、そうして、労わるような笑みを浮かべた。
まるで、楽しくてやりがいがあることであっても、きちんと休むように、と……そう心配してもらっているかのようで……。
「はい……はい! ありがとうございます、ミーア姫殿下」
セリアは、小さく声を震わせながら、言うのだった。
「はい。大変なこともございますが、でも……」
そこで、言葉を詰まらせたセリアを見て、ミーアは思わず罪悪感を覚える。
――これは……相当、苦労しているみたいですわね。あの時、わたくしだけ苦労するのは業腹だ、と彼女を巻き込んでしまいましたけど……ううむ、胸がチクチク痛みますわ。
なにやら、言葉を探している様子のセリアに、心から申し訳ない気持ちになって……。
「罪悪感を……覚えてしまいますわね」
思わずつぶやいてしまうが……次の瞬間、ミーアはハッと後ろを振り返る。
そこには、ジッとこちらのやり取りを見守るユバータ司教の姿があった。
――ああ、わ、忘れておりましたわ。司教が見ていること……。まずいですわ。これでは、わたくしがイジメているように見えるかも……。
ミーアは一つ咳払い。それから、セリアに、ニッコリ優しい笑みを浮かべ、できるだけ優しく語りかける。
「セリアさん、あなたのことは聞いておりますわ」
嫌ならやめてもいいよ! 逃げたっていいんだよ! と言ってやりたい。それが一番簡単だ。でも、それは聖ミーア学園の印象の悪化を招くかもしれない。なので……。
「あなたが頑張っていること、わたくしはよく知っていますわ。そして、頑張って苦労した分、きっと報いもあるものだと、わたくしは知っておりますわ。楽しいことだってあるし、やりがいのあることだってきっとある」
頑張った分、良い目にだって会えるかもしれないし、今やッてることだって無駄にはならないよ! っと、実感を込めて言うミーアである。
かつて、ルードヴィッヒ・クソメガネ・ヒューイットの勉強に鍛えられ、現在、その実りを手にしつつあるミーアだからこそ、その言葉には説得力があった。
「だから……その、無理だけはしないようにしていただきたいですわ」
最後にきちんと逃げ場を付け足す。どうしても辛かったら、全然、無理せず逃げちゃってもいいよ? と。
それは、ミーアの胸の内の罪悪感を和らげるための言葉。
けれど、それを聞いたセリアは、じわり、と目を潤ませて、ちょっぴり声すら震わせて、
「はい……はい! ありがとうございます。ミーア姫殿下」
などと言うのだった。
――な、泣くほど辛いのかしら……。ううぬ、やはり聖ミーア学園については、きちんと一言言ってやる必要がございますわね……。
心に決めるミーアであった。
「罪悪感を、覚えてしまいますわね」
その言葉を聞いた時、ユバータ司教は目を見開いた。
帝国の叡智ミーアの口からこぼれたその言葉に、信じられない気持ちになる。
――ミーア姫殿下は、やれることをやっている。この少女のように、孤児院では育てきれない才を持つ者たちに機会を与え、育てている。それだけではない。セントノエルの特別初等部などでも、教育改革をしている。それなのに、罪悪感を覚えるとは……。
それから、彼は、改めてパライナ祭のことを思う。
――パライナ祭によって、貴族たちの意識を変える……。それは、ミーア姫殿下の罪悪感によるもの、と言うことか……。自分の手が届かない者たちがいる。その者たちを救うため、貴族たちが救うように、と……。そういうことなのだろうか。
自らと似た罪悪感を持つ姫、帝国の叡智ミーア・ルーナ・ティアムーンに対しての評価を上げるユバータ司教であった。




