第二十六話 思いやりに打算をひと匙
「ふわぁ……しかし、さすがに少し疲れましたわね」
ルードヴィッヒへの情報共有を終えたミーアは大きなあくびをする。セントノエルからの馬車旅で、少々疲れが溜まっているのだ。
ここは、ゆーっくりお風呂に浸かって、体を揉み解したいところであるが……。
「お疲れさまです。ミーアさま。お茶を淹れましたので、少し休まれてはいかがでしょうか」
「あら、ありがとう、アンヌ。ちょうど喉が渇いてましたの」
お盆の上に紅茶とクッキーを見つけて、ミーアは上機嫌に笑った。疲れている時は、やはり甘い紅茶と甘い甘いお菓子に限るのだ。
それから、ミーアは、忠義のメイドを労うように声をかける。
「アンヌもお疲れさまでしたわね。やはり、長く馬車に乗っていると疲れますわね」
そこでミーアは、ふと、なにかを思い出したように手を打った。
「ああ、そうですわ。今日と明日……いえ、明後日まで、ご実家のほうで、ゆっくり体を休めて来るといいですわ」
「お気遣い感謝します、ミーアさま。でも、私はミーアさまのおそばに……」
っとそんなアンヌの言葉を、ミーアは片手で制して、
「ええ、あなたの忠義はよくわかっておりますわ。もちろん、わたくしのそばで働いていただかないと困ります。だからこそ、今は少し休んでいただきたいですわ。聖ミーア学園に行く時には、あなたには万全の状態でついてきていただきたいんですの。そのために、ゆっくりと疲れを癒してくること。いいですわね」
指を振り振り言うミーアに、アンヌは呆気にとられた様子だったが、やがて深々と頭を下げて、
「わかりました。それでは、お言葉に甘えてお休みをいただきます」
「ああ、それならば、途中まで送ろう」
不意に、ルードヴィッヒが言った。
「え……?」
目を丸くするアンヌに、ルードヴィッヒは窓の外に目を向けて、
「もう夕方過ぎだし、外は少し暗くなってきている。ちょうど帰り道の途中だから、馬車で送ろう」
「え? そんな、いいですよ、そんな大げさな……」
っと大慌てのアンヌだったが、ルードヴィッヒは少しだけ厳しい表情で……。
「先ほどミーア姫殿下ご自身も言っていたことだが……君はミーアさまにとって、欠かすことのできない人だ。だからこそ、ここは遠慮や謙遜をすべき場面ではないと思う。混沌の蛇は、どこに潜んでいるかわからない。そして、もしも君が誘拐でもされれば、ミーアさまがどのような行動に出るか、わかるはずだ」
それは、アンヌに自覚を促す言葉だった。
帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンの専属メイドとしての自覚を……。
アンヌは、思わずといった様子で息を呑んだ。
正直なところ、自分などにそれほどの価値はない、とアンヌは思っているが……、それでもなお、一人でひょいひょい助けに来てしまうのが、ミーア・ルーナ・ティアムーンという人なのだということを、アンヌはよく知っていた。
「皇女専属近衛隊を手配して、君の家まで護衛することもできるが……」
「いえ、わかりました。ルードヴィッヒさんに送っていただくことにします。よろしくお願いします」
そんなアンヌの言葉を聞いて、ミーアも深々と頷いて、
「ルードヴィッヒ、くれぐれもお願いしますわ。きちんとアンヌをご実家まで送り届けてくださいませね」
「はい、お任せください」
「それと、ミーア学園への連絡のほうも……。ユバータ司教も同行いたしますし、くれぐれも準備を怠ることのないように、と」
「心得ました!」
やけに気合の入った返事に一抹の不安を覚えないではないミーアであった。
その日の夜のことだった。
ひさしぶりの白月宮殿での晩餐会に、ミーアが心躍らせていると……。
「なに、ベルマン子爵領に?」
夏休みの予定について聞いた皇帝マティアスが、眉をひそめた。
「ええ、そうなんですの。皇女の町にある学園のほうにユバータ司教をご案内しようと思っておりますの」
運ばれてきたパンにスッと手を伸ばしつつ、ミーアはパライナ祭のことを説明する。
「なるほどなぁ。パライナ祭か……。そういえば、昔、そんなものもあった気がするな……」
腕組みしつつ、唸る父。そんな父を横目に、ミーアはパリリッとパンを裂く。芳ばしくカリッカリに焼かれた表面、中はしっとりフワフワのパンをひょいっと口の中へ。
――ああ、パンとは……こんなにも美味しい物だったかしら……。
なにもつけずとも、とぉっても美味しいパンに感動を覚えるミーア。一つはなにもつけずに食べて、もう一つはシチューにつけて、もう一つはバターでもう一つはジャムを、その次はハチミツで……などと、今日はパンを楽しみつくすぞぅ! と心に決めていたミーアであったが……。
「ならば、当然、私も行こう!」
堂々と、胸を張って、そんなことを言い出す父に、目を瞬かせることしばし……。当然のごとく、お断りしようと思ったミーアであったが、寸前で思い直す。
――お父さまが同行したほうが、ベルマン子爵は喜ぶでしょうね……。もしかすると、パライナ祭のことで協力していただくこともあるかもしれませんし……となると。
「ははは、なぁんてな……。もちろん、わかっているとも。帝都をそうそう気軽に離れるわけにはいかぬと。父は寂しく帝都で公務にあたると……」
「別に、構わないのではないかしら……」
「え、いいの?」
マティアス、あまりのことに、口調から皇帝の威厳がすっぽり抜け落ちる。まぁ、いつも抜け落ちているという話もないではないが。
「皇帝陛下が行けば、ベルマン子爵も喜ぶでしょうし、夏の避暑地旅行ということにすればよろしいと思いますわ」
それに、とミーアは胸の中で思う。
――パティもいつまでこちらの世界にいられるかわかりませんし、お父さまと接する時間はできるだけ用意してあげるのが良いのではないかしら。
父マティアスと祖母パトリシアの時間を少しでも確保してあげたいという、ミーアの思いやりである。
「お、おお、ミーア……、私のことはパパと呼んでも……」
なぁんて、感極まった声で言う父を華麗にスルーしつつ……。
――それに、シャルガールさんがいる帝都にお父さまをおいておくのも、いささか危険な気がいたしますし……
ちょっぴりの打算をもつぶやくミーアであった。




