第十七話 ユバータ司教との出会い
さて、ミーアが遠乗りデートに行ってさらに五日後、セントノエル学園にある男が現れた。
年の頃は、五十代前半と言ったところだろうか。分厚い眼鏡に、ダボッとした司教服の男は、船着き場に目を向けて、おや、という顔をする。
そうして、ゆっくりと船を降りてきた男を出迎えたのは、ミーアに加え、ユバータ司教に所縁の三人、ラフィーナとリオネル、それにレアだった。
「ご機嫌よう、ユバータ司教。ようこそ、セントノエルへ」
はじめに声をかけたのは、ラフィーナだった。
ユバータ司教が訪ねてくると聞いて、急遽、セントノエルへの滞在を延長したのだ。
……決して、お友だちと別れがたかったからではないし、生徒会のメンバーに囲まれて過ごす時間が、すごぅく楽しかったから……などではない。
あくまでも必要に駆られてのことだ……本当だ! 本当だ!!
さて、話しかけられた男、ユバータ司教は、分厚い眼鏡のレンズの奥、優しげな目を笑みの形に細めて……。
「これは、ラフィーナさま、ご無沙汰しております」
穏やかな声で言ってから、彼は視線を転じる。
「それに、リオネルくん、レア嬢も、おひさしぶりだね」
話しかけられ、リオネルがスッと背筋を伸ばす。
「はい。ご無沙汰しております。父、ルシーナから、くれぐれもよろしくお伝えするように、と伝言を預かっています」
兄が、いささか緊張した顔で言えば、続くようにレアが深々と頭を下げる。
「わざわざ、お越しいただきありがとうございます。ユバータさま」
「なぁに、私にとっても興味深い提案だったのでね。ぜひ、直接話を聞いてみたいと思ったまでのことさ」
そうして、彼はミーアのほうに目を向けた。
「お初にお目にかかります。ミーア皇女殿下。私は、ニコラス・ダ=モポーカ・ユバータと申します。神聖図書館の館長、並びに、ヴェールガ公国釈義院の議員を務めております」
「これは、ご丁寧な挨拶、痛み入りますわ。ユバータ司教。わたくしは、ミーア・ルーナ・ティアムーン。ティアムーン帝国の皇女ですわ」
ミーアは、スカートをちょこんと持ち上げ、完璧な礼を返し、
「高名なユバータ司教とお会いできて嬉しいですわ」
「私のほうこそ、お目に光栄至極にございます……帝国の叡智よ」
チラリ、と上目遣いで見つめてくるユバータ司教に、ミーアは、おほほっと誤魔化すように笑った。
「まぁ! 叡智だなどと、そのような、大仰な名で呼ばれるのは、恐れ多いことですわ」
「なるほど、ミーア姫殿下は、謙遜な方のようだ」
目を閉じ、口元に笑みを浮かべながら、ユバータ司教は言った。
「ところで、なにやら、少々、思い切った提案をお送りいただきまして」
眼鏡の位置を軽く直しながら、彼は鋭い視線を向けてくる。
「なんでも、パライナ祭を再開したい、とか」
その問いに答えたのは、ミーアではなく、レアだった。
「いえ、ユバータさま。そうではありません」
生真面目な、熱意のこもった声でレアは続ける。
「確かに、私はただ再開することを提案いたしましたが、ミーア姫殿下が、さらに素晴らしいものを提案してくださいました」
そうして、自然に……そう、ものすごぅく自然に! レアはミーアに話を振って来た。
視線をスッと振って、ささ! 出番です! っとばかりに。
その、熟練の伝令兵もかくや、といった手腕にミーアは思わず瞠目する。
それから、ごくごく自然に自分もパスの先を探そうとするも、自分に視線が集まってくるのを感じて……ふぅっとため息を吐いて……。
「ええ、そうですわね。ちょっとしたアイデアを思いついたので、提案させていただきましたの」
諦め半分にそう言ってから、すかさず、
「ああ、でも、もちろん、わたくしが一人で思いついたわけではなく、特別初等部の子たちを見ていてヒントをいただいて……」
自分の手柄ではないよ、と、抜かりなくアピール!
――ふむ、よくよく考えてみると、わたくしの功績をわかっていただくと同時に、功績を誇りすぎて謙遜さを失ってもダメというのは……いささか加減が難しいですわね。
なぁんて、頭を悩ませるミーアであったが……。
「なるほど。神はこの世界のすべてのものを用いて、我ら人に導きを与えられることがあります。もしも、そのアイデアが善なるものであるならば、きっと、神はあなたに語りかけられたのでしょうね」
ユバータ司教は、朗らかな笑みを浮かべた。。
ミーアはそこで、おや? と思う。
――なんだか、思っていたより、敵対的ではないような……。いえ、逆に……好意的なような?
まるで、神に語りかけられた聖人に対するような司教の態度に、ミーアは困惑する。
「それは、ミーアさまが、神に選ばれた人であるとおっしゃっているのでしょうか?」
困惑した様子で問うリオネルに、ユバータ司教はあくまでも穏やかな顔で首を振った。
「そうではあるが、たぶん、君の言っている意味とは違う」
それは、さながら、教えを請う弟子に語る、教師のような口調で……。
「もしも、その提案が真に善なるものであるならば、神はミーア姫殿下を選ばれたと言えるだろう。しかし、それは、別にミーア姫殿下が優れた知恵を持っているとか、慈愛の人であるとか、そういったこととは関係ない。神は、取るに足らぬ者に語りかけ、働きのために用いることもあれば、皇女殿下をお用いになることもある。善人を用いることもあれば、悪人ですら用いることがある。その選びの基準は我らには計り知れないが、一つ言えることは、その選びに間違いがないということだけだ」
その言葉を聞き、ミーアは、ユバータ司教への評価を微妙に改める。
――この方は、敵対的というわけではありませんけれど、かといって好意的というわけでもなさそうですわね……。なんだかこう……冷静に観察されているような……そんな感じがしますわ。
その推理を証明するように、ユバータ司教が分厚い眼鏡の奥、鋭い視線を送ってきているように、ミーアには感じられた。




