第十六話 一つの覚悟の形
「あの時は、まったくハラハラしましたわ」
ミーアは、ふぅっとため息を吐いてみせる。
「ははは、そうだね。あの時は、君にもずいぶんと心配をかけてしまった」
爽やかな笑みを浮かべてから、アベルは言った。
「あの時、シオンはボクに問うただろう? 腐った王権のために殉じるのか、と。ボクは腐っていても王権は必要だと……そう答えたんだ。そして同時に、王権が腐っていれば、中からそれを正すことが自分の責務だとも言ったんだ」
アベルは淡々と、けれど、揺るぎない決意のこもった口調で続ける。
「ボクは母上や姉上の姿を見て……王宮での女性たちの扱いを見て……レムノ王国には確かに問題があると思っている。シオンに批難されても否定のしようのない、大きな問題がね。正すべきことがあるのは明らかで……だから、ボクはそれを為さなければならないと思ったんだ……」
真剣な顔で語るアベルに、ミーアは……トゥックーンと胸が高鳴るのを感じる。
――アベル……なんだか、すごくたくましいと言うか……格好いいですわ!
錆びついていたミーアの恋愛脳がぎゅんぎゅん回っていた!
「それは、ヴァレンティナ姉さまがなさろうとしていたことと、たぶん同じことだ。つまり、あのヴァレンティナ姉さまでさえ、失敗したことだ。でも……」
アベルは一度、小さく息を吐いて……。
「なんとかしなければならない。レムノ王家に連なる者として、それを放置しておくことはできない。民を安んじて治めるために黙っているわけにはいかない」
「なるほど。レムノ王国を変えていくためにも、今度のパライナ祭が有用であると、そういうことですわね」
「ああ、協力を得たい人がいるんだ。情けない話だが、ボク一人ではどうにもならないからね」
「協力を……?」
小さく首を傾げるミーアに、アベルは頷いてみせて……。
「そう。姉上の……、クラリッサ姉さまの協力をね……」
それは、ヴァレンティナ・レムノの失敗を知ったからこそ、彼が辿り着いた答えだった。
自分一人ではどうにもならない。がむしゃらさの力押しでは、どうにもならない。
協力者を、得なければならない、と……彼はそう考えていた。
「なるほど、第二王女クラリッサ王女殿下ですのね。わたくしはお会いしたことがございませんでしたけど……確か、大人しい方だとお聞きしておりましたわね……」
アベルは一つ頷いて……。
「本当は、兄上の協力を得られれば心強いんだが、お考えが読めないところがある。それにこれは、女性の王族の協力が、どうしても必要なことだと思うんだ」
男尊女卑の思想が根強いレムノ王国。その在り方を問題視するなら、その解決は、王子たる彼が上から押し付けるのでは意味がない。
王女であるヴァレンティナか、あるいは、クラリッサ王女が、改革の旗印として立たなければならない。
「クラリッサ姉さまの協力を得るために、ぜひともミーアと会ってもらいたいと思うんだ」
「あら、わたくしと……? それは、なぜですの?」
「皇女の身で、君が成してきたことを、クラリッサ姉さまに見てもらいたいんだ。クラリッサ姉さまは、幼い頃から、なにもできぬ無能者として扱われてきたから」
ヴァレンティナ・レムノは極めて優秀な姫だった。あのゲインにすら、敵わないと言わしめた、才能あふれる王女であった。そんな彼女ですら、レムノ王国では、取るに足らないものとして扱われていたのだ。
まして、才において劣るクラリッサ王女は、言わずもがなであった。
「クラリッサ姉さまは、昔のボクと似ていてね。いや、ボク以上に、その立場は厳しいんだ。だから、最初から諦めてしまっている。自分にはなにもできない、と」
それから、アベルはミーアのほうを振り向いた。
「だから、君のことを見てもらいたい。君の声を、言葉を、聞いてもらいたいと思ったんだ。そうして、姉上にも勇気をもらってもらいたいんだ……ボクが君からもらったように……」
「アベル……」
真っ直ぐに見つめてくるアベル。彼の熱い信頼を前に、ちょっぴり胸が高鳴りかけたミーアであったが……次の瞬間、ふと気付く。
――あら……これ、わたくしに対する期待値がものすごく、高いんじゃ……?
いや、まぁ、確かに、自分の言葉がアベルを励まし、力を与えたというのは、嬉しい。嬉しいが……。
――こっ、これは、ますます、パライナ祭が大変なことになりそうな予感がしますわ。
なぁんて、ミーアがちょっぴり焦っている時だった。
「そして……我が国の状況が改善され……後顧の憂いを断ったうえで……」
不意に、アベルが顔を向けた。真っ直ぐに自身に向けられた目に、ミーアは、うん? っと首を傾げて……。
「君に伝えたいことがあるんだ……」
その真剣な眼差しに貫かれてミーアは……、完全に油断していたミーアは……。
「…………はぇ?」
目をまん丸くして、ちょっぴーり間の抜けた声を上げ、そして、荒嵐は……。
「ぶるるーふ」
っと、鼻を鳴らすのだった。
のどかな遠乗りの時間は、こうして過ぎていった。