第十五話 ミーアの記憶は、確かじゃない
「ふふふ、荒嵐、ずいぶんとひさしぶりですわね」
厩舎の中に入ると、のっそりと荒嵐が顔を向けてきた。一瞬、大きな鼻をむぐむぐさせた荒嵐だったが、構わずミーアは、その頬を撫でる。
「ふふふ、相変わらずですわね、荒嵐。変わりがないようで安心しましたわ」
そうなのだ、すでに荒嵐との付き合いも長くなってきたミーアは、本当にくしゃみが来るのか、それともフェイクなのか……その辺りの見極めが、なんとなく、できるようになっているのだ!
漂う海月、波乗りミーアは、波も空気も読むのが得意なのだ!
「最近、すっかりご無沙汰になっておりましたし、今日はよろしくお願いいたしますわね」
笑顔で話しかけるミーアに、荒嵐は、ぶーふっと鼻を鳴らした。
「やれやれ、仕方ねぇなぁ!」
なぁんて、言っていそうな荒嵐であった。
そうして、ミーアとアベルは連れ立って出かけた。ちなみに、アベルのほうは、荒嵐の息子である銀月に乗っている。
目指すは、セントノエルの浜辺。白く美しい砂浜だ。
荒嵐の背にのんびり揺られながら、細い道を進んでいった先、ぱぁっと視界が開ける。目の前に浮かぶのは、白と青で形作られた息を呑む光景。
そよぐ風に髪を押さえながら、ミーアは言った。
「ああ、潮風がとても気持ちいいですわね。ふふふ、天気もいいですし、誘っていただいて感謝しますわ、アベル」
ニッコリと上機嫌に微笑みかけるミーア。アベルは柔らかな、優しい笑みを返してから……。
「いや、ボク自身が行きたいと思っていただけだ。お礼には及ばないよ。君は、これから忙しくなるだろうから、今のうちに二人で出かけて、のんびり話でもしたいと思ってね」
「まぁ、そうなんですのね。うふふ、それは光栄ですわ」
なぁんて、何げないやりとりをした……瞬間っ!
ミーアの脳が、たとえようのない違和感を捉えたっ!
――はて、なにかしら……。今、なにかアベルの言葉で引っかかるところが……うんっ!?
刹那、ミーアは気付く。自らが引っかかったもの、それは、一つの言葉であった。
――これから、忙しくなる……?
この一言が、どうにも気にかかった。
なるほど、確かに、パライナ祭をすることになれば、いろいろな準備をしなければならなくなる。仕事は、まぁ、増えることだろう。
……だがしかし……そう、だがしかし、なのだ。
そこまでだろうか? ちょっぴりデートがてら、遠乗りに行けないほど、忙しくなるだろうか?
――わたくしは、あくまでも発案者のレアさんを助ける立場……。そこまで忙しくなるとは思えませんけれど……。
そう漠然と思っていたミーアである。
……そこには、小さな油断があったのだ。
けれど、それも無理からぬこと。なにしろ、パライナ祭はヴェールガ公国の、中央正教会のお祭りだ。そして、目下のところ、ミーアは別に、セントノエルの生徒会長ではない。だから、パライナ祭を主宰する立場ではなく、あくまでも協力を求められて参加すればいいだけのはず。聖ミーア学園の代表として、あくまでもゲストぐらいの扱いのはずで……。
そこまで考えたところで、ミーアは思わず、舌打ちしそうになる。
――ああ、そうでしたわ! パライナ祭の方向性に関して、わたくしは、口出ししてしまったのでしたわ!
本来は、発案者である生徒会長レアが音頭を取り、積極的に進めていけば良い話だったものを、ミーアは、ついうっかり口出ししてしまったのだ。そして、あろうことか、祭りの方向性を決めてしまったのだ。
えてして、こういうものは、言い出しっぺが責任を負わなければならないもの。
――くぅ、生徒会長だった頃の癖が抜けきらずに、余計なことをしてしまいましたわ。今から、わたくしは、お手伝いだけして……などと言うことができるかしら……。
刹那の黙考、その後、ミーアは結論に至る。
――答えは否、ですわ!
そんなことをすれば、無責任のそしりを免れないだろう。
加えて、もともとレアが「パライナ祭を開こう」と言い出したのは、ミーアの存在をヴェールガの人々に知らせるためであった。
いわば、自分のためにレアが頑張って、考えて、提案してくれた企画なのだ。そんな企画を前にして、ミーアがなにもせず、ゴロゴロしていることなど許されるだろうか? 言うまでもなく、許されはしない。
――というか、セントノエル自体が参加するということであれば、レアさんはそのとりまとめをしなければならないはず。同時に、祭り全体の準備委員長をやってほしいというのは酷ですわね。
生徒会長一年目のレアである。まだ、十三歳の少女に、あまり負担をかけることは、やはり良しとはされないだろう。
――こ、ここは、ラフィーナさまか、あるいは、リオネルさんにでも……。
などと考えつつ、ミーアの経験則が告げていた。
これは、なんとなく、自分に一番、ヤバイ役割が回ってきそうだぞぅ、っと。
うっかり、祭りの方向性に口出ししてしまったがゆえに「その功績を横取りするような真似は……」なぁんて、辞退するラフィーナたちの姿が見えるようだった。
それに、である。
例えば、サンクランド王国やレムノ王国、ガヌドス港湾国にペルージャン農業国、騎馬王国に、ミラナダ王国にまで……ミーアは、なんだかんだで人脈を持っている。
パライナ祭が各国の協力によって成り立つものである以上、根回しは必要なはずで……。その人脈は大いに活用できるもので……。
もろもろの状況を鑑みて、ミーアは、深々とため息を吐いた。
――アベルの言うとおり、忙しくなりそうですわね。やれやれ……。
これは、下手に手を抜いたほうが、却って厄介なことになる、とミーアの直感が告げていた。であれば、積極的に関わるべき……と、ミーアが覚悟を決めようとしたところで。
「実はね、今度のパライナ祭のこと……レムノ王国にも良い影響がないだろうか、と思っているんだ」
唐突に、アベルが言った。
「あら、レムノ王国に、ですの?」
「そう……」
アベルは遠くを眺めるように目をすがめて、
「覚えているだろうか……以前、ボクは、シオンと本気で決闘をしたことがあっただろう? レムノ王国の、紛争の時に……」
「ああ……」
言われて、ミーアも思いだす。
あの日、革命を止めるために、レムノ王国に潜入した時のこと。
――わたくしの記憶が確かであれば、アベルを助けるため、そしてレムノ王国を革命の混沌から救うために、仲間たちの協力を得て、レムノ王国に踏み込んだんでしたわね……。懐かしいですわ。
……いや、そうだっただろうか?
いささかの捏造が加えられたミーアの記憶は、あまり確かではないようだった。
来週は年始ということでお休みといたします。
一月の八日より、餅でモチモチになったミーアの冒険を再開できる……予定です。




