第十二話 ラーニャ姫、あ〇に会う
ハンネスらとの晩餐会の翌日、生徒会メンバーへパライナ祭の情報が共有された。
さらに、その翌日、ラーニャ・タフリーフ・ペルージャンは、みなより一足早く夏休みに入り、帰国の途についた。
毎年恒例の収穫感謝祭の演舞のためである。
彼女の見送りには生徒会のメンバーが揃って出てきた。その一人一人に笑顔で挨拶をしていく。
――それにしても、すごかったな、セントバレーヌ。
彼女の胸にあるのは、ここしばらく経験したセントバレーヌでの出来事だった。
それは、実に刺激的な経験だった。
もちろん、戦争になりかける、などという絶対的な危機を、なんだかんだで、お祭り騒ぎに納めてしまったミーアの手腕に驚いたのはもちろんのことなのだが……。それ以上に、彼女の印象に残ったのは、やはり、大きな港のことだった。
海の向こうから、大きな大きな船で運ばれてくる農作物。その輸送方法もさることながら、見たこともない果物に、ラーニャの心は踊った。
――帝国との関係が変わって、小麦畑を少し減らしたら、代わりに色々な作物が育てられる……。そうしたら……。
見たこともない、美味しい果物を売ることができる。人気が出れば、それだけ輸出が増え、国も潤うかもしれない。
もちろん、環境によって育つものと、育たぬものとはあるだろうが、それはもう試行錯誤だ。
――それに、ああやって船で作物が運ばれてくるのを見るのは、なんだかんだではじめてだったかもしれない。
巨大な船に積み込まれた大量の積み荷、輸送の現場を実際に見たことは、ラーニャにとって貴重な経験となった。そこにあるノウハウを手に入れることは、農業国ペルージャンにとって、意味のあることだろう。
――普通にしていれば、セントバレーヌに行く機会もなかっただろうし……うふふ、なんだか、すごい経験をした気がするな。
「ラーニャさん」
っと、その時だった。
名を呼ばれ、ラーニャは視線を転じると、そこにはミーアが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「道中、お気をつけて。みなさまに、よろしくお伝えくださいませね」
その言葉に頷きつつも、ラーニャは、ふと不思議な感慨に囚われる。
――なんだか、信じられないな……。もう、あの日から五年も経ったんだ。
保存用のクッキーを巡って、意気投合した日のことが今は懐かしい。
この夢のような日々は、すべてあの日に始まったのだ。
「ラーニャさん?」
不思議そうな顔で首を傾げるミーアに、ラーニャは首を振ってから、
「お心遣い感謝いたします。ミーア姫殿下。ラフィーナさま、みなさまもお元気で」
深々と頭を下げたラーニャは、それから、ふと真面目な顔をして、
「ペルージャンのほうでも、パライナ祭に関して話を通しておきます。それと、アーシャ姉さまにも」
ラーニャは、セントノエルから皇女の町を経由して、ペルージャンに帰る予定を立てていた。レア発案のパライナ祭のことについて、事前に知らせる必要があるためだ。
「ええ、ぜひ、アーシャさんにもよろしくお伝え願いますわ。ルードヴィッヒにも手紙を送っておきますけれど……」
ミーアは、そこで、少しだけ考えるように黙ってから……。
「その……できるだけ、常識……」
なにやら、言いづらそうな口調で言った。
「はい……?」
きょとん、と首を傾げるラーニャに、ミーアは慌てた様子で首を振り、
「いえ、なんでもありませんわ。ともかく、よろしくお願いいたしますわね」
「わかりました。下準備はきっちりしておきます」
胸を張り、ラーニャは言った。
さて、特にトラブルもなく聖ミーア学園にたどり着いたラーニャ。そんな彼女を出迎えに出てきたのは、ほかならぬ、姉、アーシャであった。
「ようこそ、ラーニャ。歓迎するわ」
「お久しぶりです、アーシャ姉さま」
スカートをちょこんと持ち上げて挨拶。それからラーニャは微笑んで、
「お元気そうですね」
「ええ、あなたも。元気そうでよかったわ」
互いの無事を確認し合ってから、アーシャは、学園校舎内の自室へとラーニャを誘う。
「それにしても、とても良い畑ですね」
ラーニャは、学園の周りに広がっていた畑を思い出して言った。どこか故郷、ペルージャン農業国を思い出させるものだった。それを耕した者たちの、土地への愛着が感じられるような……そんな美しい畑だった。
「ふふふ、ありがとう。生徒たちの力作よ」
「本当に、力作と言った感じですね」
それが、姉のこれまでの努力の結晶のようにラーニャは、少しだけ嬉しくなってしまう。
「ところで、どうですか? その生徒たちの様子は……」
「ええ。ここに来るのは、ほとんどが平民や、中央貴族とのかかわりが薄い子たちだから、意外と素直に私の話を聞いてくれるけど……。ああ、でも……元白月宮殿メイドという人がいたかな。彼女は確か、ローゼンフランツ伯爵家のご令嬢だから、中央貴族なのではないかしら……」
そう言うアーシャだったが、その顔には否定的な色は見えなかった。帝国貴族への嫌悪感も、その顔からはうかがえない。
「彼女も最初は農業を学ぶなんて……と言っていたけど、でも、他の子どもたちとの関係は意外と悪くなくって。その影響でなのかは知らないけど、授業も意外と真面目に受けてるし、農作業も手伝ってるわ。虫は嫌いみたいで、文句言ってるけどね」
くすくすと笑うアーシャに、ラーニャは少しだけ安心して……、だから、ふと軽口を叩いてしまう。
「ところで、アーシャ姉さま、どうするおつもりですか?」
「ん? どうって?」
首を傾げる姉に、ラーニャは苦笑いを浮かべた。
「聖ミーア学園のお仕事が楽しいのはわかりますし、意義のある仕事をしているのもわかります。けれど、そろそろ、ご結婚を考えても良い頃合いなんじゃないかな、って思って……」
「あー……」
っと、途端に、アーシャは困り顔をする。
「もう少し……ミーア二号小麦のことにもう少し関わっていたくって。それにそのぅ、ほら、あまり出会いが、ね……」
などとモゴモゴ言うアーシャに、ラーニャは苦笑いを浮かべる。
「もしも、同じように研究や教育に関わる人が良いというのであれば、今度のパライナ祭は、良い出会いがあるかもしれませんよ」
「ああ、例の……」
すでに報せは届いていたのか、アーシャは一つ頷いて、
「さすがはミーア姫殿下ね。私は、お腹を空かした子どもがいない世界を作るために、寒さに強い小麦の研究をしていたけど、ミーアさまはその先を見ているのね」
「はい。食べるものだけでなく、その将来をも視野に入れ、学びを与える手段をお考えだなんて……思ってもみませんでした」
そこで、ラーニャは思い出す。出発間際に、ミーアが言いかけていた言葉……。ミーアは言っていた。
"できるだけ、常識"……否……"できれば、常識"と。
その意味は……。
ラーニャは、ハッと目を見開いて……。
「アーシャ姉さま、たぶん、ミーアさまは、"できれば"各国に新しい"常識"を築こうとされていると思います。今度のパライナ祭が、その第一歩になればいいと……そうお考えなのではないかなって」
「常識……?」
「そう。力なき子どもたちを教え導き、やがて育った彼らの協力を得て、その力を束ねて、国を、世界を前に進めていく……。そのような王族の在り方が常識となるような……その第一歩となるような祭りになればいいと、そうお考えなのだと思います。ただ、私たちや子どもたちへの重圧になるから、はっきりとはおっしゃらなかったけれど……」
「孤児たちを助け、教育するのが常識になる世界……。ふふふ、それは、とても素敵ね。それに、とてもミーア姫殿下らしい……」
っと、そんなことを話している時だった。
「失礼します、アーシャ先生……あっ」
ドアを開けて、一人の少年が入って来た。彼は、ラーニャのほうを見ると、慌てた様子で視線をさまよわせて……。
「失礼しました。お客さまがいらっしゃったなんて……」
「あら、あなたは、もしかして……」
その顔に、ラーニャは見覚えがあった。生徒会で共に働くティオーナの顔に、どこか似た雰囲気がある。
「もしかして、ティオーナさんの弟さん?」
話しかけると、少年は、ピンっと背筋を伸ばした。
「あ、はい。お初にお目にかかります、セロ・ルドルフォンです」
「はじめまして、アーシャの妹のラーニャ・タフリーフ・ペルージャンです」
緊張した様子のセロを微笑ましく思いつつも、
――このミーア学園でいい人との出会いがあればいいとも思ったけど……こういう子どもたちばかりだと、なかなか難しいのかな……。
なぁんてことを思うラーニャであった。
お伝えし忘れましたが、今週はミーアが誕生祭で忙しいので出番少なめです。
来週は、年末ですがバリバリ働いてもらおうと思います。