第十一話 聖ミーア学園にて……
セントバレーヌから帰還したルードヴィッヒであったが、程なくして届いたミーアからの書状を一読。
目を見開き、眼鏡を輝かせるや、即座に、馬車に飛び乗った。
向かうはベルマン子爵領、静海の森のほど近く。
栄光あふれる皇女ミーアの町、その中心である聖ミーア学園である。
「よく来たな、ルードヴィッヒ」
穏やかな笑顔で出迎えた師に挨拶もそこそこに、ルードヴィッヒはその書状を手渡した。
学長ガルヴは、素早くそれに目を通し……深い、深い息を吐いた。
「どう思われますか、師匠」
生真面目に見つめてくる弟子に、ガルヴは苦笑いを浮かべる。
「ふっ、師匠はよせ、ルードヴィッヒ。わしはもはや、森の賢者でもなければ、お前たちの師匠ではない」
そうして、豊かな顎髭を撫でつつ……。
「そう、お前たちだけの師ではないのだ。わしは、今や、この聖ミーア学園の学長なのだ!」
ばばぁんっとドヤァ顔で言った!
賢者ガルヴは権力を嫌っていた。
王侯貴族を嫌い、権威を嫌い野に下った。
自由気ままに各地を巡り、知識を集め、知恵を磨き、森の賢者などと呼ばれるようになった。その過程で幾人かの弟子を取り、その一人一人を大切に思ってはいたが、それでもなお、彼は縛られぬ者であった。
そのはずだった……。
だがしかし……そう、だがしかし、なのだ!
今のガルヴは、聖ミーア学園の学長という地位に、大いなる喜びを感じていた。
こう……なんというか、楽しくなっちゃったのだ!
年甲斐もなく、若く有望な子どもたちを教えるのが……その子どもたちがゴリゴリ成長し、有能な人材に育っていくのを見るのが……実になんとも楽しくなってしまったのだ!
孫、場合によってはひ孫とも呼べるような子どもたちの成長を見守ること、人生の終わりも差し掛かったこの時期に、これほどの喜びを得られようとは思ってもみなかったのだ。
まるで、枯れ土に水がしみ込むように、日々、知識を吸収し、才能を開花させていく生徒たちを……それ以上に、顔を輝かせて学問に取り組む子どもたちを見ているのが、ものすごぅく楽しかった。
ガッツリやりがいを感じていたのだ。
正直、立ち上げで教師を集めて、ある程度の体制を整えるところまでやれば、まぁ、自分の仕事は終わりかな、と思っていた時もあった。
だが、今や、そんな枯れた気持ちはない。
自分の命尽き果てるまで、学長としての責任を背負い、この学園のために尽くそうと、彼は心の底から願うようになっていた。
誇りは責任感の裏返しだ。彼は自らが子どもたちを教える学長であることに誇りを持ち、重責を担うことを自らに誓っていた。
そんなわけで、学長としての自負を胸に、ガルヴは言った。
「帝国の叡智、ミーア姫殿下が造られた聖ミーア学園は素晴らしい学び舎だ。理念と実践において、セントノエルにも負けてはいないと、わしは確信しておる。だが……」
と、そこで彼は顔を曇らせた。
「その評価は、依然としてあまり高くない。無論、まっとうに続けていけば、評価は高まっていくものだとは思うが……聖ミーア学園の理念から言えば、それではまずいのだ」
その言葉に、ルードヴィッヒは軽く眼鏡を押し上げた。
「今だから……危機的な状況が目に見えている今だからこそ、やらなければならないことがある、ということでしょうか」
愛弟子ルードヴィッヒが、自らと同じ考察に至っていたことに、ガルヴは上機嫌に微笑んだ。
彼らは、事態の推移を正確に読んでいた。
なるほど、寒さに強い小麦は有用だ。
数年にも及ぶ小麦の大不作、それは、貴族たちの認識を揺るがすのに十分なインパクトを持っていた。
実際の食料不足を前に、誰も「反農思想」になど、こだわってはいられない。そんなつまらない思想はとっとと捨て去り、畑を作れと言うだろう。農業は素晴らしいと賛美してみせることだろう。
寒さに強い小麦を作った聖ミーア学園への評価も高まるだろう。
だが……不作の時期が終わったら?
喉元過ぎれば……というのが人のサガというものだ。
長き悪習に囚われた帝国貴族は、すぐにでも、かつての反農思想へと戻っていくだろう。
聖ミーア学園が「反農思想の払拭」のために建てられた学び舎だというのであれば、それは、ぜひとも避けたいところであった。
ゆえにこそ、今のうちに……農業の価値が注目されている今だからこそ、聖ミーア学園がセントノエルに並ぶ、大陸最高峰の学府であることを帝国貴族に示し、その評価を確立しなければならない。
そうは思ってはいたのだが……。
「なるほど、古のパライナ祭か……。中央正教会に……ヴェールガに、聖ミーア学園を認めさせるとは……」
「帝室の権威に加え、中央正教会のお墨付きをもらえれば、聖ミーア学園の価値は認めざるを得なくなるはずです」
ガルヴはルードヴィッヒに頷いてみせてから、
「いずれ、なにがしかの手を打たれるとは思っていたが、まさか、そのような場を用意してくださるとは……」
感慨深げにつぶやき、しばし瞠目。その後、
「手紙を読む限り、教育の方法論の共有はもちろんだが、それ以外に、教師が手を出すことなく、生徒たちの手で準備をし、その功績を示す必要もあるのだろうな……」
ガルヴは立ち上がり、わずかに思案してから……。
「この件は、セリアに担当させようと思う」
「セリア……というと、あのミーア姫殿下が孤児院で見出したという少女ですか……」
「さよう。あの子は特に優秀だ。専門的な部分ではセロやワグルに劣っていても、いろいろな準備の段取りを整え、調整する手腕は見事なもの。将来的には、この国の有能な官吏として腕を振るうだろう」
ガルヴは、軽く眼鏡を押し上げて、
「此度のことは、そのための、良い訓練にもなるだろう」
かくてミーアエリートたちは静かに動き出すのだった。