番外編 天才と天才
ティアムーン帝国、帝都ルナティア。その中心である白月宮殿の一角、帝国中の本が集まる大図書館にエリス・リトシュタインの仕事部屋があった。
普段は部屋の主、エリスしかいないその部屋に、その日は客人の姿があった。
机を挟み、エリスの対面に座るその人物は……。
「この度、ミーアさまより、挿絵画家として召し抱えられました、シャルガールと申します。エリスさんの書かれた小説の挿絵を描くよう、仰せつかっております」
「はい、存じております。どうぞ、よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げたエリスは、早速、シャルガールに自らの小説「貧しい王子と黄金の竜」を渡した。
「長い話ですが、今、お渡しした分がとりあえずの一冊分です。あと、ミーアさまがお考えの紙芝居は、さらに、それを二十等分にして……」
「なるほど、では、拝読させていただきます」
真剣な顔で頷いて、シャルガールは原稿を読み始めた。
しばらくして、原稿の最初の数十ページを読み終えてから、シャルガールは顔を上げた。
「なるほど……これがミーアさまの仰っていた小説なのですね」
シャルガールは、しかつめらしい顔で頷いた。原稿を机の上に置き、ほぅっとため息。それから、彼女はエリスのほうに目を向け……。
「素晴らしい……。確かに、今まで見たことのない物語です」
笑みを浮かべる。その顔には素直な称賛、そして、同じクリエイターとしての尊敬の念が浮かんでいた。
「まだ見ぬ光景を見せる、素晴らしい物語ですね。さすがは、ミーア姫殿下のお抱え作家さんが書かれた物語です」
「ありがとうございます」
シャルガールの絶賛を受けて、エリスは嬉しそうに頬を赤らめた。それから、
「でも、シャルガールさんの絵も素晴らしいですね。とても想像力を掻き立てられます」
エリスの手には、シャルガールの絵の見本として、何枚かの挿絵のラフがあった。まだスケッチ段階のものだったが、それでも十分に見えてくる風景があった。
深い海の中、厳かに佇む水色の髪の人魚、どこまでも広がる砂の海、雲の合間から覗く重厚な城とその周りを飛び回る美しい天使、切り立つ崖にかけられた太い橋、向かい合う二人の騎士と、それを見守る二人の乙女。
どこか見覚えがあるかな? なんだか、誰かと似てるかな? と一瞬思うような人物造形ではあるのだが、まぁ、それは置いておくとして。
「私のお話に、こんなに素晴らしい絵を付けていただけるなんて……すごく嬉しいです」
エリスは素直に感動していた。
まさか、自分の小説に、こんなにも素晴らしい挿絵が付くだなんて……少し前までは想像すらしていなかった。
病気がちで、小さい部屋の中で、一人でお話を考えていた時には、こんなこと、まったく想像もしなくって……。
――それも、これも、ミーアさまと出会ってから始まったんだよね……。
そう思った、瞬間だった!
「そういえば、セントバレーヌでミーアさまとお会いになられたと聞きましたけど、ミーアさまのこれまでの功績については、ご存知ですか?」
……若干、風向きが変わる。
ふと思いついたという様子で、ポンッと手を叩いたエリスに、シャルガールは首を振ってみせた。
「いえ、大まかなことしかお聞きしていませんが……」
「それなら、ちょうど良かった」
エリスはニコッと微笑んで、
「実は、ミーアさまの功績をまとめた、皇女伝を書いているところなのですが……。よろしければ、お読みになりますか?」
「ああ。それは興味深いですね。ぜひ、読ませてください」
そんなやり取りを経て、皇女伝(未完)はシャルガールの目に触れることになったのだ。
なって……しまったのだ!
「エリスさん……ミーアさまの記録、読ませていただきました」
シャルガールが訪ねてきたのは、翌日のことだった。
「えっ……もうですか? まだ、一日しか経ってませんが……」
渡した原稿は、かなりの厚みのあるものだった。エリスの分厚い熱意のほとばしり出るものであったのだ。が……。
「絵を描き始めれば、徹夜などざらですから、この程度、どうということもありません」
どこか赤い目をしたシャルガールは当然のように言って……。
「正直言って、感服いたしました……」
その声は、かすかに震えていた。
「ミーア姫殿下のこれまでなされてきたこと、そこに溢れる慈愛と叡智……感動を禁じ得ませんでした」
興奮した様子のシャルガールに、エリスはうんうん、っと頷く。
「ミーア姫殿下の外面をそのまま描いたのでは、これは、とてもではないですが足りません。姫殿下の美しく輝く内面をも表現した絵にしなければ……この感動は表現しきれないと思いました!」
煮えたぎる情熱がほとばしる声で……言った!
「すごい……。そんな絵、見たことありませんけど、でも、それができたら……ミーアさまの魅力をもっともっとお伝えすることができるかも……」
「はい。見た目だけではミーアさまの美しさはせいぜい、中の上ぐらい。あまり絵画には向いていませんが、そうした内面的な美しさも合わせれば、あるいは、帝国の叡智の魅力の一端でも人々に伝えることができるかも……」
「……一部、賛同できかねるところもありましたが、概ね、賛成です! ぜひ、取り組んでください!」
かくて、二人の天才は出会いを果たしたのであった。
さて……後日のこと。
エリスが書いていたミーア皇女伝に、挿絵が付くなどと言う話を小耳に挟んだミーアは、早速、シャルガールを呼び出した。
「ええと、シャルガールさん、聞くところによれば、エリスの小説だけでなく、執筆途中の皇女伝のほうにも挿絵を付ける予定だとか……」
「おお、さすがは、ミーア姫殿下。お耳が早いですね」
シャルガールは、鼻息荒く頷いて、
「実は、いくつか試作品を描いてみたので、ぜひ、ご覧いただければと思っていたところなのです。特にこれが一番気に入ってるもので……」
そうして、胸を張ってシャルガールが差し出してきた絵! それを見てミーアは……。
「ナニコレ……?」
衝撃のあまり、口をあんぐーりと開けてしまうのであった。
それは、こう……なんというか、ええと、その……なんだこれ?
ともかく、とても人物画とは見えないような、なにやら、意味不明の絵に、これもしかして、上下逆なんじゃ? とか、鏡に映したら普通の絵になるのかも? なぁんて、ひたすらに首を傾げるミーアであった。
その奇怪かつ難解な絵は、後に、絵画の世界に具象画とは一線を画す新たなジャンルを生み出してしまうことになるのだが……。
ミーアはそんなこと知ったこっちゃないのであった。




