第十話 幸せのネズミ
ミーアはいったん黙って、水をもう一口。それから、みなの顔を見回してから、再び話し出す。
「実はそう思ったのにはきっかけがありますの。先ほど生徒会室でお話した後でお風呂に行ってきたのですけど……」
「え? お風呂……? 私、誘われて……」
なんだろう、ラフィーナが、なにやらつぶやいているのが聞こえた……ような気がしたが……?
ミーアが目を向けると、ラフィーナはいつもと変わらぬ涼やかな笑みを浮かべて、ん? っと不思議そうに首を傾げる。気のせいだろうか……?
「それで、特別初等部の子どもたちと一緒に、お風呂を楽しみましたの。うふふ、いろいろとお話もできましたし、なかなか有意義な時間でしたわ。なにより楽しかったですし……」
「楽しかった……」
なんだろう、ラフィーナが、またしても、なにやらつぶやくのが聞こえた……ような気がしたが……?
ミーアが目を向けると、ラフィーナは、やっぱりいつもと変わらぬ涼やかな笑みを浮かべて、なにかしら? と首を傾げている。やっぱり、気のせいだっただろうか……?
っと、その時だった。
「ミーアお姉さま、ラフィーナさまも、特別初等部の子どもたちと触れ合う機会を作っていただくのが良いかもしれません」
敏感に空気を読んだのは、パティだった!
シュシュッとラフィーナの顔を見て、それから、ミーアの顔を見て、何事か悟ったような顔でパティは続ける。
「なので、セントノエルにご滞在の間に、一緒にお風呂に入る機会を……ミーアお姉さまも一緒に」
「ああ。そうですわね。これは不覚でしたわ。確かに、互いのことをよく知るには、お風呂か食事をするのが一番ですし……」
ミーアが目を向ければ、ラフィーナは、ぱぁあっと嬉しそうな笑みを浮かべて……。
「ええ、もちろん。私も、それが必要だと思っていたの」
なぁんて言うのだった。
まぁ、それはともかく……。
「それで、まぁ、話を戻しますけれど……。お風呂で子どもたちを見て思いましたの……彼らの扱いは、あまり良いものではないな、と」
セントノエルに来てからは、きちんとした食事をしているであろうに、まだまだ細く頼りない体をした子どもたち。あれではかつての新月地区のように、疫病が流行れば、ひとたまりもないだろう。
そして、そのような環境に革命の種は芽吹くもの。ゆえに、彼女らのような子どもたちに救いの手を差し伸べなければならない。
だが……それをするのにセントノエルとミーア学園だけでは、とても手が足りない。
もっと積極的に、各国の王侯貴族たちが介入しなければならない。その必要を、わからせてやらなければならない。
「王や貴族、統治者に連なる者たちは、民を安んじて治める義務を負っていますわ。けれど、すべての者がそのように振る舞えるわけではない。といって、悪徳の貴族をいちいち一人ずつ咎め、罰していくことは不可能ですわ」
「なるほど……。自らの悪徳を隠そうとする者も現れるかもしれませんね」
難しい顔でつぶやくリオネル。その頭には、もしかしたら、父であるルシーナ司教の挫折、ツロギニア王国のことがあるのかもしれない。
「そう、だからこそ、考え方を変えるべきですわ、むしろ、王侯貴族たちに、善を行うことに、利を説くべきではないかしら。弱き者たちを助け、養い、教育することの利点を見せるのが良いのではないかと思っておりますの」
ミーア学園や特別初等部を巣立って行った卒業生が行く先々で活躍し、貴族の目に留まり「よし、うちの領地でも平民に教育を施して、有能な人材を得よう!」と思わせる。
新しく学校が建ち、そこの卒業生が活躍し、それを見た別の貴族が……といった具合に、特別初等部のような場所が増えていく。
――そうなれば、とても楽ですわ。ミーア学園や、わたくし自らが何かする必要はない。巣立って行った彼らが勝手に活躍して、その活躍が他の孤児たちの境遇改善に繋がっていく。革命の種は芽吹かない。素晴らしいことですわ。
ミーアの頭の中に、ふとあるイメージが浮かぶ。
それは、多産な生き物として有名なネズミだ。
ネズミが子を産み、その子が子を産み……と、加速度的に広がっていくイメージ。
――楽して勝手にネズミのように増え広がっていく。ふふふ、幸せのネズミ算ですわね。
「それができれば、特別初等部やミーア学園の取り組みを真似て、いろいろな国でも、孤児たちの境遇が改善されるかもしれない……そういうことね、ミーアさん」
ようやくミーアのイメージが伝わったのか、どこか感動した口調でラフィーナが言った。
「そのとおりですわ。そして、そのために、ミーア学園の卒業生や、特別初等部の子たちの優秀さを示す必要がございますの。パライナ祭は、その良いきっかけになるかもしれませんわ」
聖ミーア学園の卒業生が優秀であればあるほど、あるいは、特別初等部の子どもたちが将来、活躍すればするほど、他国はそのような人材を欲し、平民の子どもたちに目を向けることになるのだ。
「無論、こちらが誠意をもって接したからと言って、相手が誠意で応えてくれるとは限りませんわ。学園に入れ、衣食住を与え、教育を施したとして、貴族にとって価値ある人間になるとは限らない。なにかのきっかけで恨みを持たれることだって、あるいはあるかもしれませんわ。されど……」
ミーアは小さく首を振ってから……。
「されど、少なくともこちらが誠意をもってあたらなければ、相手が誠意で返してくれることはない。これは確かなことだと思いますわ」
揚げ足を取ろうというものはいくらだっている。欠点を指摘したり、失敗の例をあげつらおうという者もいるだろう。
されど、それでも、やらなければ何も始まらないのもまた事実なのだ。
「つまり、知識の共有を目的とするのではなく、平民を教育することの利点を共有するということね?」
ラフィーナの言葉に、レアが意表を突かれたという顔をする。
「そうか……。過去のパライナ祭と同じように、自国を利する知識ならば隠匿されるかもしれない。でも、教育を施した孤児たちの功績を見せることで、教育の利益を知らしめることができれば、各国の孤児たちへの扱いも変わる……。これならば、もしかすると、図書館長のユバータ司教を説得できるかもしれません」
明るい声を上げるレアと、さらに、キノコシチューをお替りしようとして、さすがに、三杯目は……と給仕に止められているミーア。
それを見て、孫を誇った顔をするパティと友を誇った顔をするラフィーナ。
幸せそうな顔で姉を見守るハンネスと、妹を見守るリオネル。
そんなふうに和やかに、晩餐会は進んでいくのだった。




