第六話 帝国の叡智(風呂脳)は、冴え渡り……
さて……。
頭と体を洗ってから、ミーアは素早く湯船に身を沈めた。
「ああ……いいですわ……」
馬車の中で、硬くなった体をポキポキ言わせながら伸ばし、伸ばして、ほぐしていく。
ポカポカ、体の芯まで温められていく感覚に、思わず、おーふっと息をこぼす。そう……、忘れがちなことではあるが、ミーアは大人のお姉さん。旅の疲れは、こうしてすっかりケアしておかないと、二日後、三日後に筋肉痛が出てしまうのだ。
……大人のお姉さんなのだっ!
「うふふ、やはり、こうたくさんのお湯に身を沈めるのは、たまりませんわね」
「そうですね、ミーアさま」
ミーアの隣には、アンヌの姿があった。
一瞬、遠慮しそうな仕草を見せたアンヌだったが、お風呂の隅で心なしか、居心地悪そうにしている子どもたちのほうを見て、かえって堂々とお湯に浸かっていた。
親しき仲にも礼儀は必要だ。ミーアの忠臣、腹心とは言っても、そこには主従の関係がある。だから、こうして同じ湯船に浸かることを当然の特権だなどと思ってはいけない、と普段からアンヌは思っていた。
でも……同時に、アンヌは、こうも思っていた。自分の主が、弱き者たちを慈しむ人であると……孤児たちに気を使わせるようなことを好まない人だと……そう示すことこそが、今は必要なのではないか、と。
だからこそ、アンヌはあえて親しげに、ミーアと接する。自らの主の慈悲深さを、優しさを見せるように振る舞うのだ。
そんなアンヌの意図を知ってか知らずか、ミーアは子どもたちに声をかける。
「あなたたちも、もっとこちらで温まったらよろしいですわ。セントノエルのお風呂は本当に素晴らしいのですから、味わっておかないと損ですわよ?」
久しぶりの広いお風呂に、ミーアの機嫌はすこぶるよかった。
声をかけられた子どもたちは、パティとヤナの顔をうかがって、それから、おずおずと浴槽の中に入ってくる。それを見ながら、ミーアは心の中で小さく唸った。
――しかし、この子たちも当然のことながら、孤児院で面倒を見てる子どもたちなのでしょうけれど……やっぱり、あまり良い環境で暮らしていなさそうですわね。
今年、特別初等部に迎えた少女たちは四人。どの子も少しやせ気味で、かつて新月地区で見たワグルに似ていた。顔にもどこか生気がなく、肌艶もまだ悪い。
去年、入学してきた子どもたちよりも、もしかしたら、貧しい地域から来たのかもしれない。痛々しくもあるその姿に、ミーアは思わず考えてしまう。
――この子たちが革命の種火として、蛇に使われたかもしれないと考えると……こうしてセントノエルに保護できたのは良いことですわね……。種を蒔き刈り取る、ということから考えると、これは、特別初等部という種蒔きの実りということができるのかも……。
ミーアは、ここに来て気付く。
なるほど、種を蒔けば実りはある。悪い種を蒔けば悪い実を、けれど、良い種を蒔けば良い実を刈り取ることになるわけで……。
お湯に浸かり無邪気に笑う子どもたちの姿は、将来の良い実りを確信させるものだった。
それは、良い。だが……ミーアはふと、一つの問題に思いが至る。それは……。
――しかし、これをセントノエルで賄うには、手が足りない……かもしれませんわね。ミーア学園も似たようなことをして、孤児院から子どもたちを入学させていますけれど、やっぱりそれでも足りませんわ。
種を蒔けば収穫はあるもの。されど、少なくしか種を蒔かないのであれば、その収穫もまた少ないというのも真理。
――ふぅむ……しかし、それをすべてわたくしがやるというのも……なかなかに大変ですし……。
ミーアは、できればサボりたいのだ。自国のことは自国でなんとかしてもらいたいし、ティアムーンのことは、ルードヴィッヒらになんとかしてもらいたいと思っている。
切に思っている!
ゆえに……。
――そのために、今度のパライナ祭を、使えないかしら……?
ポヤァッとお湯に浸かりつつ、ミーアは考える。じっくりとお風呂のお湯で温まった脳みそは、ぎゅんぎゅんと良い感じに回っていた。
――この子たち……踏みつけにされた弱き者たちが革命の種火になり得ると訴えかけるのでは、おそらくダメですわね。
ミーアと同じように危機感を持っては貰えるだろうが、逆に弾圧に走る者もいるだろう。締め付けを厳しくし、反抗する気が起きないように、と……。そうなってしまっては目も当てられない。
その発想では駄目なのだ。そうではなく……。
「八目ウミヘビというのが、とっても美味しくて……」
っと、その時だった。ミーアの耳にアンヌとヤナの会話が聞こえてきた。
「ああ……あれ……。見た目は怖いけど、美味しいですよね」
「そうそう。ふふふ、あんな見た目なのに、肉がホロホロしてて」
楽しそうに会話をする二人。
――うふふ、確かに。美味しかったですわね……。八目ウミヘビ……。
っと、口をにんまりさせつつも……ミーアはさらに思い出す。先ほどのやり取りを。
村長の口に八目ウミヘビのモツを突っ込むと言うオウラニアに対して、レアは、それは美味しいから罰にならない、と言った。
――料理すれば美味しくなるから、そんなことをしてはもったいない……。もしかすると……これと似たようなことなのではないかしら……?
マイナスに思えるもの、あるいは、無価値に思えるものが、実は価値があるものであると知ったなら……おのずと扱いは変わっていく。
路傍の石だと思えばこそ、踏みつけ、蹴り上げてもなんとも思わないが……もしも、それが宝石の原石であるかもしれないと知れば、そうそう祖末には扱えない。かえって大切に磨き上げ、その真価を見極めようとするかもしれない。
よしんば、磨き上げたそれがただの石であったとして……労力を割いて磨き上げたものには愛着だって湧くだろう。
であれば……。
――ミーア学園の功績をアピールすることによって、平民に教育することの価値を説く……。彼らが原石であって、そこから価値が生み出されるかもしれないと……各国に知らしめること……。それをするためにならば、パライナ祭には十分、意味があるかもしれませんわ。
ミーアエリートの魔窟、聖ミーア学園の存在を世界にアピールする……などというアレな目的はさておくとして、パライナ祭に関しては、案外、悪くはないのかもしれない、とミーアは考え始めていた。
そう……やはり、お風呂は偉大なのだ。ミーアの脳みそは地形効果で、確かに冴えていたのだ!
そうして、パライナ祭に対して、ちょっぴり前向きになれたところで、ミーアはお風呂を上がった。
アンヌの揃えてきた入浴セットは、実にお見事なものであった。
お風呂から上がる頃には、ミーアは、すっかり、つやつやになっていた。
月の女神のよう、とはいかないまでも、「海」に浮かぶ美しき「月」略して海月のようなすべすべのお肌と名馬のごとき艶やかな髪は少なくとも取り戻していた。
そうして、身綺麗になったミーアは、パティと連れ立って、ハンネスを迎えることになったのだが……。




