第五話 帝国の叡智(風呂脳)の思考
生徒会での会合を終えたミーアは、早速、行動に移る。
……そう! 待望のお風呂である!
やはり、旅から帰って一番にすることといえば、これだ。旅の汚れや汗を洗い流し、すっきりしないと、落ち着いて考えごともできないではないか!
「アンヌにお願いしましたけど、もう準備できているかしら?」
季節はすっかり夏間近。日差しはそれなりで、汗がしっとりと肌を湿らせている。早く、あっつぅいお湯で洗い流したいところだった! ミーアは熱めのお風呂が好きな、帝都っ子なのだ。
「しかし……今日はまだ暑いとはいえ、今年も来年も不作は続くんでしたわね……。そして、今年の終わり頃には、わたくしは革命軍の手に堕ちて……」
ふと、ミーアは廊下に目を移す。かしましく廊下を通り過ぎていく下級生たち。それを目で追いながら……、
「結局、わたくしは卒業できませんでしたけど……よくよく考えると、あと一年半で卒業なんですのね……」
なんだか、名残惜しくなってきてしまうミーアである。
「卒業すれば、気軽にみなで集まって、ということもなくなってしまうわけで……少し寂しい気もいたしますわ」
それを思うと……レアの提案も、そこまで悪くはないような気がしてきてしまうのだ。
要は、思い出作りのようなものであるが……セントノエルとミーア学園、それにほかの学校と共同で大きなお祭りを作り上げること……。それはきっと忘れられない、楽しくて、良い思い出になることだろう。
っと、考え事をしながらも、ミーアは大浴場の脱衣所へ。
「あっ、お待ちしていました。ミーアさま」
そこには、すでに、アンヌが準備万端で待っていた。その手に持った桶には、いつもの洗髪薬のほか、お肌の手入れ用の香草入り油のビンと、セントバレーヌで新しく仕入れた垢すり、花の香りのする石鹸などが揃っていた。
「うふふ、お待たせしましたわね、アンヌ。では、早速、参りましょうか」
ミーアは流れるように、ぽぽいっと服を脱ぐと、颯爽と大浴場の中に突撃する。その大きなドアをばばーんっ! と開けた瞬間……。
「あっ、ミーアお姉さま……」
驚いたような声が、ミーアを出迎えた。
ふと見れば、大浴場には先客がいた。
広い浴槽の中心付近、その身をお湯に沈める少女、しっとりと濡れ艶やかな輝きを放つ、ミーアと同じ白金色の髪、青く澄んだ瞳は、ミーアの姿を見て、わずかばかり嬉しそうに細められていた。
「お帰りなさい。ミーアお姉さま」
ミーアの祖母、パティはいつもと変わらぬ感情の乗らない声を、ほんの少しだけ弾ませて言った。
「うふふ、ただいま帰りましたわ。パティ。それに、ヤナも」
ミーアは、パティの隣に視線を送る。っと、長い髪を頭の上にまとめたヤナが、少し慌てた様子で立ち上がろうとした。
「ああ、ここでかしこまった態度は不要ですわ。一糸をもまとわぬこの場所では、王も貴族も民もなく、ただ人と人とがいるばかり……。ですわ」
聖女の言葉をまるパクリして、ちょっぴり聖女っぽい雰囲気を醸し出しつつも、ミーアは、ヤナの後ろへと視線を転じた。
「ところで、そちらにいる子たちは、今年から、特別初等部に入った子たちですわね」
パティとヤナの後ろには、二人に隠れるようにして、三人の少女たちの姿があった。
「ええと、確か……、あなたが帝国出身の……」
などと、少女たちの名前と出身地を言い当てていく。そう! 当然のことながら、ミーアはその全員の名前を憶えている。出身地もセットでだ。
なにしろ、帝国出身の孤児が万が一にも悪いことをしたら、大変だからだ!
民が悪しき行いをするのは統治者の責任……とかなんとか、みなの前で言ってしまった手前、後には引けない。
問題がないように、きちんと把握しておかなければならないのだ。
一方で、名前を呼ばれた子どもたちは、ポカンと口を開けた。帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンは、生徒会長の座を退いたとはいえ、このセントノエルの重鎮だ。しかも、あの大国ティアムーン帝国の皇女殿下なのだ。そんな人に名前を知られているというのが、信じられなかったのだ。
「もしかして、パティたちが先輩として、その子たちにお風呂の使い方を教えていたとか、そんな感じかしら……ふむ……しかし、それにしては妙な時間にお風呂に入っておりますわね。あ、もしかすると、他の貴族令嬢たちと鉢合わせにならないように気を使ってるとか、そういうことは……」
「いえ……その」
っと、ちょっぴり言葉を濁してから、パティは微妙に言いにくそうな顔で、
「実は、今日、ハンネスがくるってお手紙が届いて……。だから、お風呂に入っておこうと思って……ええと……」
「ああ、なるほど。ハンネス大叔父さまが……」
どうやら、ひさしぶりに弟に会うので身綺麗にしておこうということらしい。
パティの弟、ハンネスは、自らの病気の治療薬である「水土の薬」を探すために、ヴァイサリアンのルーツを探っていたはずだったが……。
「わざわざセントノエルに来るということは、なにか調査に進展があったと考えるべきかしら……?」
お風呂の近くでは、地形補正が入り、ミーアの脳みそは回転数を増していた。
そのまま考え事をしつつ、アンヌに髪を洗ってもらいながら、ミーアは考え事を続けるのだった。