第十一話 帝都ルナティアの影
光あるところには、必ず闇が生まれる……。
大国ティアムーン帝国の華やかなる帝都、ルナティアにも、薄暗く、人々が目を背けるような地区がある。
城壁近くの貧民街、通称「新月地区」がそれである。
最下層の貧民が住まうそこは、満足に食べる物もなく、病気になれば、そのまま道に捨てられているような場所。
小さな教会と孤児院以外、人間らしい営みがほとんど絶えてしまった場所。
まさに、そこは見捨てられた地区だった。
そんな街角を、場違いな、美しいドレスを身にまとった少女が歩いていた。
他ならぬティアムーン帝国、皇帝の娘、ミーア・ルーナ・ティアムーンその人である。
物珍しげに辺りをキョロキョロしつつ、ひょこひょこ、ひょこひょこ、と道を歩いて行く。
「ミーア姫殿下、あまり、前に行かれますと危険です。我々より前に出ないようにしていただかないと……」
少女の周りには、武装した護衛の兵士が四人、さらに、専属メイドのアンヌと、先日仲間に引き入れたルードヴィッヒの姿まであった。
いかにも周囲の目を引きそうなこの団体が、なぜ、このような場所を訪れることになったのか……。
話は数時間前にさかのぼる。
「……やはり、片付けるべき問題はこれ……ですわよね」
アンヌが持ってきたお菓子のおかげか、ミーアの頭はいつになく冴えていた。
改めて日記帳を読みなおしたミーアは、その中に気になる記述を見つけたのだ。
「流行病、このせいで卵とかぶつけられましたわね」
今から数年後に、帝都で大流行する疫病。
帝都の民衆の一割が命を落とすことになるこの大事件は、さすがのルードヴィッヒも予測できなかったらしい。
書き変わった日記帳では、せっかくルードヴィッヒのおかげで改善しかけた財政が、これで一気に悪化していることが読み取れた。
「うーん、放っておくわけにはいかないのでしょうが……。疫病ってどうすれば防げるんですの?」
基本的に、ミーアは努力があまり好きではない。必要があれば、大図書館にこもりもするが長続きはしないし、そもそも調べ物や勉強は大嫌いだ。
ならば、どうするか……。
「とりあえず、わからないことは聞けばいいのですわ」
答えは簡単。誰かに聞いて、頼ればいい、である。今やミーアには便利な知恵袋がついているのだ。
「アンヌさん、出かけますわよ」
「どちらにお出かけですか? ミーア様」
「くされめが……じゃなくって、ルードヴィッヒのところですわ」
「ああ、先日の……、でしたら、お召し物を直さなければなりませんね」
急に鼻息が荒くなるアンヌである。
「そう? 今のままでも十分だと思いますけど……」
ミーアが着ているのは、部屋着用のシックな黒いドレスだった。舞踏会などに行くならばともかく、人と会う分には何の問題もない格好だと思ったのだが……。
「いけません! そう言うところで、男性にアピールせずにどうしますか。さ、ドレスルームに行きますよ、ミーア様」
半ば強引に、衣裳部屋へと連れて来られたミーア。
アンヌはそばにいたベテランメイドの手も借りて、ミーアの服装を整えていく。
蒼月桜をあしらった青いドレスは、スカートの丈が比較的短くて、それが可愛らしさと活動しやすさを両立するデザインとなっている。
「あら、このドレス、はじめて見ましたわ」
ドレスなど腐るほど持っているミーアである。その全てを把握するのはもちろん無理なので、一度も袖を通すことなく着られなくなってしまうドレスというのが、たくさんあるのだ。
「ふふ、よくお似合いですよ、ミーア様」
そう微笑むと、今度はアンヌはミーアの髪を整え始める。
十分に櫛を入れて、輝くような白金色の髪を整え終えて後、仕上げに、と、虹色に輝く宝石のついたかんざしを付けた。
「あら? それは……」
鏡を見たミーアは、そのかんざしを見て、微かに瞳を細めた。
「どうかなさいましたか? ミーア様」
アンヌの疑問に答えたのは、ミーアではなく、別のベテランメイドだった。
「それは、昨年、さる大商人がミーア様に献上されたものですよ。ミーア様も大層お喜びになられておりましたわね」
衣裳部屋担当のベテランメイドの話を聞いて、アンヌは嬉しそうに笑った。
「そうなんですか。それなら、ちょうどいいですね」
「そうですわね……」
答えたミーアの声は、ちょっと沈み気味だったが……、
――正直これ、ちょっと微妙ですわ……。
別に、かんざしのデザインが気に入らないわけではないし、実際、その見栄えは嫌いではないのだが……。
ミーアには、このかんざしを心から喜んでつけられない理由があったのだ。
――でも、くされメガネに会いに行くのであれば、これで十分ですかしら?
そう思いなおし、ミーアはあえて何も言わずにいた。