第百五十九話 小さな恋と友情と
それは前の時間軸。
帝国が革命軍によって倒れ……そして、新しく革命政府の樹立が宣言された、その日の夜の物語。喜びの宴の……物語。
その日、帝都ルナティア、白月宮殿は喜びに満ち溢れていた。
目の前の問題は山積みだ。未だに飢饉を引きずっている地域、領主たる貴族を失い、混乱状態の地域があった。国内の治安の乱れ、流通網の止まった地域も数限りない。
明日からは、また多くの課題に頭を悩ませなければならないという、そんな状況ではあっても、今宵ぐらいは勝利を祝おうと……人々は踊りあかしていた。
辛い現実から目を背けるように酒を飲み、踊り、歌い、騒いでいた。
そんな宴の中で……。
「ティオーナ……!」
名を呼ばれ、ティオーナ・ルドルフォンは立ち止まった。
振り返れば、そこには、美しい白銀の髪の王子、シオンが立っていた。激務によって、少々やつれてはいるものの、その美貌はいささかも損なわれることはなかった。
彼はその場で、芝居がかった態度で礼をして、
「一曲、俺と踊ってもらえるだろうか、革命の聖女さま」
おどけた様子でそんなことを言うシオンに、ティオーナは一瞬、首を傾げる。
その口調が、少しだけいつもよりも軽薄なものに感じられたからだ。
でも、すぐにその理由に気付く。
自分たちへと集まってくる視線。そして、期待……。
おそらく、シオンはダンスなどしたくないのだろう。
ティオーナは知っている。彼は、かつての級友を殺して、間もなくダンスができるほどに、非情な人ではない。
ただ、彼は、周囲が求める正義の国の王子として振る舞おうとしているだけだ。
今、そうすることが必要だと判断したから、そうしようとしているだけだ。
だから「革命の聖女」とティオーナを呼んだ。
革命の聖女としての振る舞いを求めて……。
ティオーナはそっとスカートの裾を持ち上げた。
「お受けいたします、シオン王子殿下」
そうして、二人は身を寄せた。
愛ではない。親密さでもない。ただ、周りに見せるためだけの、儀礼的なダンス。
この革命の主導者たちの仲をアピールし、周囲を安心させるためのダンスを。
革命政府は、サンクランドの助けを得て帝国を立て直していく。そのことに疑いを抱くことなど一切ないのだと……そう伝えるための、これはポーズだった。
「渋い顔をしているな、ティオーナ。なにかあったのか?」
囁くような問いかけに、ティオーナは取り繕うような笑みを浮かべた。
「すみません……。少し考え事をしていただけです……」
それを受け、シオンも優しげな笑みを返す。
「辛くても、今は笑わなければいけない時だ。すまないが……」
「いえ、シオン王子には、我が帝国のことで大変お世話になっていますから。気にしないでください」
小声で囁き合う二人を見て、人々はひそひそとつぶやいた。
「お似合いの二人じゃないか。この帝国の未来を導く革命の聖女さまと、次期サンクランドの国王陛下とは」
「ふふふ、しかし、あのティオーナと言う娘、こんな世の中でなければ、ただの田舎貴族の娘で終わっていたものを。まさか、シオン王子殿下のダンスパートナーに選ばれるとは」
「自分より上の貴族の首をことごとく刎ねて手に入れた身分だ。さぞや気持ちがよかろうよ」
周りに満ちた嫉妬の声、怨嗟の声、蔑む声……。
それらを笑顔で受け流し、二人は踊り続ける。
――私はただ、自分の役割を果たすだけだ。それが死んでいった人たちへの……なにより、お父さまへの手向けとなるだろうから……。
祝宴の夜は明けていく。仮初の喜びと、新たな謀略をその身に孕んだまま。
かくて、時は流転して。
それは、奇跡の夜の物語。
セントバレーヌの戦いが、ただ一つの命をも損なうことなく、娯楽の内に封じ込められた日、その夜の宴の出来事だった。
町の中央の広場では、帝国最強とレムノの剣聖の剣技に魅了された剣術馬鹿たちが、楽しげに自らの剣を振るっていた。実に……実に楽しそうだ!
まぁ、もちろん、真剣ではなく鍛練用の剣なので、刃を真っ二つに斬る、といった馬鹿げた真似はできなかったが……。それでも……いや、それ故に……なのか? ともかく、ディオンやギミマフィアスに挑む者は続々と現れては、自らの剣の腕前を披露していった。
レムノの剣聖に剣の指導をつけてもらえる機会など滅多にあるものではない。そのうえ、あの絶技……刃の三枚おろしを披露した強者と、命の心配をせずに剣を交えられる。
剣術馬鹿たちは、その幸せを噛みしめていた。
さらに、三人の、いずれも剣術巧者の王子たちを加え、即席の剣術大会は大いに盛り上がっていた。
さて、そんな中で、いったん休憩をと下がったシオンのもとに、セントバレーヌの美女たちが駆け寄って行った。
避難の指揮を執っていた美貌の王子は、女性たちの間で大いに話題となっていた。無論、アベルもその対象ではあったが、シオンと比べれば、断然、シオンの人気のほうが高かった。
面食いベルの見立ては確かなのだ……アベルお祖父ちゃんは泣いていい。
それはともかく……。
汗を拭くタオルを渡す令嬢たちに、卒ない笑顔で応えるシオン。だったが、その目が、誰かを探すように辺りを見回していた。っと、ティオーナと目が合うと、わずかばかりに、その目が微笑んだように感じられて……。
シオンは、令嬢たちに軽く礼をして、こちらに駆け寄って来た。
「やあ、ティオーナ。見学に来ていたのか?」
「はい。あの、これをどうぞ」
差し出したのは、果実水だった。動き回った後で、喉が渇いているだろうと、先ほどもらっておいたのだ。
「ありがとう、ああ、こっちへ」
微笑みつつ、近くのベンチへとエスコートするシオン。その背後から、令嬢たちのちょっぴり嫉妬に尖った視線が追いかけてくる。
けれど、ティオーナがそれに動じるようなことはない。なにせ、その嫉妬は見当違いだからだ。
――辺土伯令嬢の私が、シオン王子といくら仲良くしようと、なんの意味もないのに。
そう考えると、ちょっぴりおかしくなってしまう。
「うん……?」
っと、その時だった。シオンがわずかに顔を上げた。遠くから、踊りの賑やかな音が聞こえてきていた。
「ダンスもやっているのか……。サンクランドの王子が剣しか能のない血の気の多い男と思われるのも困るな。どうだろう、ティオーナ。もしよければ、一曲、俺と踊ってもらえないだろうか?」
「はい、わかりました」
ティオーナは一瞬、首を傾げるも、すぐにご令嬢たちに目を向けて理解する。
――ええと、彼女たちへの牽制……かな?
自分には相手がいるとアピールしておいて、彼女たちを遠ざけようということなのだろうか。
――この方も、やっぱり疲れるんだろうなぁ……。
先ほどの様子を思い出してティオーナは思った。
ご令嬢たちの熱烈なアピールに晒されたからといって、サンクランドの王子としては、そうそう無下にも扱えない。相応に気を使うのだろうし、疲れるだろう。
――うん、私が協力できることだったら、喜んでしよう。
ティオーナは、少しだけ気合を入れて、シオンのダンスパートナーを務めることにした。
シオンの優しいリードに身を委ねるようにして、ティオーナはステップを踏む。中央貴族に負けぬよう鍛練を積んだダンスのステップは、なかなかに巧みなものだった。
次々に嫉妬と羨望、さらに、こそこそとした囁き声が聞こえて来るけれど、ティオーナは気にしなかった。
彼女の胸には、シオンを楽にしてやろう、という強い意志があったからだ。
そんなティオーナを見つめて、シオンはつぶやくように言った。
「君と踊っていると、心が落ち着くな」
その言葉に、ティオーナは、くすりと微笑んだ。ちょっぴりできの悪い弟に向けるような、しょうがないなぁ、という顔で頷いてから、
「どうぞ、心おきなく安らいでください。私ならば誤解を生んでも、辺土伯令嬢なら、すぐに解けるでしょうし……」
っと、そう言った時だった。不意に、シオンの顔が曇ったように見えた。
「……ティオーナ、俺が君をダンスに誘うのは、そういうことじゃないんだが……」
シオンが、どこか寂しげな顔で言った。
「え……?」
ティオーナは瞳を瞬かせて、シオンを見つめるが……。続く言葉はなかった。
やがて、音楽が終わる。
踊り終わったシオンは、再び誘われて、剣術大会のほうに行ってしまった。
後に残されたティオーナは、戸惑いから、そこに立ちつくしていた。
――今のって、どういう意味……?
途方に暮れるティオーナに、されど、答えを与えてくれる者は誰もいなくって……。
否っ、そうではなかった!
「ふんふんふーん……」
なぁんて、鼻歌を歌いながら……お皿を片手にスキップしながら、やってくる一人の少女の姿があった!
「うふふ、アベルったら、また格好よくなってましたわね。後で、ダンスにも付き合っていただこうかしら……」
それは……、剣術大会でのアベルの健闘ぶりを、スイーツ片手に堪能しつつ、堪能した甘味を消費すべく、ダンスにも付き合ってもらおうかしら? などと考える、我らがミーア・ルーナ・ティアムーンであった!
今まさに、そこに通りかかったミーアは、ぽかーん、と立ちつくすティオーナを見て、首を傾げた。
「あら、ティオーナさん、どうかなさいましたの? 変な顔をして……」
「あ、ミーアさま……?」
まるで、暗闇で灯を見つけた人のように、ティオーナはミーアのそばに歩み寄った。
「あの、ミーアさま……その、今、お時間はありますか?」
「時間……? そうですわね……」
ミーアは、ふいっと剣術大会のほうに目を戻した。
戦いを終えたアベルは、一緒に戦った者たちと健闘をたたえ合っていた。
手が空くのはもう少し先になりそうだった。
「ふむ、少しならば大丈夫ですけど……」
っと答えると、ティオーナは、先ほどのシオンとの話をして……。
「ということなのですが……」
聞いた瞬間……ミーアはカッと目を見開いた!
――こっ、これは……恋のお話ですわ!
ミーアのピンク色の脳細胞が瞬時に活性化する!
「あの……ミーアさま?」
呼ばれ、ティオーナの顔を見たミーアは、直後に少しだけ驚く。ティオーナの顔に、どこか不安の色を見たからだ。
彼女のそんな顔を、ミーアは見たことがなかった。
前時間軸からずっと、彼女は、どんな権威にでも立ち向かう勇気の持ち主だった。
折れぬ強い意志の、持ち主であった。
けれど、そんな彼女が……戸惑い、不安げな顔をしている。それを見て……ミーアは一つ咳払い。それから口を開いた。
「そんなの、決まってますわ」
ミーアは腕組みしつつ、言った。
「ティオーナさん、あなたは……わたくしの友なのでしょう?」
「え……? あ、それは、はい……」
戸惑い気味に頷くティオーナに、ミーアは続ける。
「あなたは、辺土伯令嬢である以前にわたくしの友。ならば、それだけで十分。たとえサンクランドだろうが、レムノ王国だろうが、どこの国の王子だろうが、釣り合わないなどということはあり得ませんわ。噂になっても結ばれることはない、などということは、あなたが勝手に思っていることに過ぎませんわ」
そう指摘してやってから、ミーアは真っ直ぐにティオーナを見つめる。
「だから、胸を張りなさい。ティオーナ・ルドルフォン。何をおいても、あなたはわたくしの友なのですから。そして、それゆえに、シオンはあなたが結ばれる可能性がないご令嬢だから、利用しているわけではありませんわ。その可能性がないから、心が落ち着くと言っているわけでもない。あなたが、あなただから、そう言っているということですわ」
「私が……私、だから?」
「そう。そして、それは、あなた自身も気付いているのではなくって? だからこそ、そんな衝撃を受けているのでしょう? もしかしたら……と思った通りになってしまったから……真剣に向き合わざるを得ないと思ったから……そうなのではなくって?」
言いながら、ミーアは不意に笑いそうになる。
――って、わたくしが、まさか、ティオーナさんとシオンの間を取り持とうとするとは、実に奇妙なことですわ……。
かつての仇敵を前に、けれど、ミーアは言葉を止めない。
なぜなら、ティオーナは、もう友となった人だから。大切な友と思える人だから。
シオンもティオーナも、幸せになってくれなければ、きっと、ミーアの気分が悪くなるから。
――わたくしの幸せのためにも、ベルのいる未来のためにも、この二人の仲がつまらないすれ違いでこじれたりしたら一大事ですし……。
常に揺らがぬ自分ファーストに背中を押されるように、ミーアは続ける。
「ティオーナさんは、どうしたいのかしら?」
「え……?」
「もしも、シオンがあなたという人間に……気軽に付き合える身分の辺土伯令嬢ではなく……、一人の人間としてのティオーナさんに安らぎを求めているとしたら……あなたは、どう答えたいんですの? あなたは、それを嬉しいと感じるのかしら? それとも……」
「私……私は……」
混乱に、目を泳がせているティオーナに、ミーアは優しく語りかける。
「ねぇ、ティオーナさん、実はわたくし、これからアベルをダンスに誘いに行こうと思っておりましたの」
それから、ミーアはそっとティオーナの手を取って……。
「よろしければ、一緒に誘いにいきませんこと? ダンスを終えた後、そんな気分でいるのは、もったいないこと。今宵をそんな気分で終えるのは、とてももったいないことですもの」
そうして、ミーアはティオーナの手を引いた。
かくて、セントバレーヌの夜は過ぎていく。
その日の宴は、朝方近くまで続いた。
小さな恋と、友情と、喜びの実りと共に。
来週、エピローグを挟んで九部に行きます。今度こそ……。




