第百五十八話 冒険の終わりに……
階段を下った先に広がっていたのは、思いのほか広い通路だった。それはまぁ、良いのだが……。
「な、なに、ここ……?」
先ほどまでとは打って変わって、壁にはむき出しの岩肌が覗いていた。地面もゴツゴツとした岩が転がり、さらに天井からは尖った鍾乳石が伸びている。
「これは、自然の洞穴……でしょうか?」
リオネルが、目を丸くして辺りを見回していた。
館を建てる時に掘った人工の穴ではなく、もともと洞穴があるところの上に、館を建てた感じだろうか。
「それにしても、まさか、こんな空間が広がっているなんて……」
唖然とした顔で辺りを見回すリオネルに、ベルはニッコリ笑みを浮かべた。
「まだまだ、冒険は終わらないみたいですね、リオネルくん。さ、行きますよ」
「あっ、ちょっと待って、ベルちゃん。足元注意して!」
「天井もです。頭ぶつけないように気を付けてください」
追いかけてきたシュトリナとリンシャの声に、ベルは自信満々に頷き、
「大丈夫です。その辺りも抜かりは……あいたっ!」
鍾乳石に頭をぶつけていた。
まぁ……それはさておき……。
一行は、曲がりくねった洞窟の中を進んでいく。
「それにしても、ここっていったいなんなんでしょうか? もしかして、海賊が使ってたアジトに繋がってて、財宝が眠ってたりして……」
なぁんて甘々な予想をするベル。であったが……リオネルが、そっと声を潜めて……。
「あり得る……かもしれません」
意外なことを言った。それから、彼は、通路の一点を指さして……。
「ほら、それ……」
その指した先を見て……ベルは思わず目を見開いた。
「それって……」
そこに、人が横たわっていたからだ。いや、正確に言えば、かつて人であったもの……かなりの大昔に人であったもの……すなわち骸骨が……。
しかも、骸骨の首元には、黄金の首飾りがつけられていて……。
「こっ、これって……それじゃあ、本当にっ!?」
なぁんて歓声を上げるベルの隣で、シュトリナがそっとしゃがみ込む。拾い上げたのは、今にも崩れ落ちそうな、赤い帽子だった。こう、いかにも海賊が被っていそうな……。
そして、帽子の額には、なにかのエンブレムが刺繍されていた。
「これは……海賊団の文様、なのかな?」
基本的には博識なシュトリナではあるものの、さすがに海賊の文様には詳しくない。けれど……。
「三本斧に船の家紋……これは、もしかすると……」
紋章学に詳しいミーアと、同じぐらい知識を持つ令嬢がいた。すなわち、元貴族令嬢たる、リンシャだった。元レムノ王国の貴族令嬢であった彼女は、シュトリナよりもこの辺りの貴族の事情に詳しい。
しばし、その文様を見つめていた彼女は……。
「確証はありませんけど、海賊公と謳われた、ゼデルストローム卿の家紋ではないでしょうか?」
「海賊公ゼデルストローム……」
覚えがあるのか、その名を聞いて、ベルは、腕組みして唸ってから……。
「なんだか、冒険の匂いのする名前ですね!」
……いつものベルだった。まぁ、それはいいとして。
「かつて、この辺りを荒らしまわっていたレムノ王国の公爵にして、大海賊です。今から百年以上前の話だと思いますけど……」
「セントバレーヌが生まれる前の話ですか……? それじゃあ、この骸骨が、まさか……?」
「いえ、さすがに海賊公本人ではないかと。でも、その一団の海賊という可能性はあるかもしれません」
慎重な口調で言うリンシャに……。
「じゃあ、ここが海賊公のアジトだったということは?」
眉をひそめてリオネルが問うた。
「そうであっても不思議はないかもしれません。もしかしたら、本当に、この奥に財宝が眠っているかも……」
リンシャの言葉に、ベルは、ぱぁあっと顔を輝かせて。
「これは、もう行くしかありませんね! さぁ、夜になる前に行きましょう!」
声を弾ませた。のだけど……。
それ以降、大きな発見はなく……。
やがて、さー、ささー、っと遠くのほうから音が聞こえてきた。
「あれ……? この音って……」
ベルがつぶやいた直後、風。同時に、強い潮の香りが届いて……。
角を曲がった刹那、視界に真っ赤な光が広がった。
「あっ……」
大冒険の終着点……そこは、海だった。
夕日に、赤々と染まった、大きな大きな海だった。
どこまでも、どこまでも続いていく、海だった。
残念ながら、海賊公の財宝はそこにはなかったのだ。
呆然と、波を眺めるリオネル。そんなリオネルに……。
「ふっふっふ、やりますね、リオネルくん。こんな大冒険、ボクもはじめてです」
探検学の権威たる冒険姫ベルは、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「そう……ですね。ただ、できればなにか……成果が得られれば良かったのですが……」
残念そうな顔をするリオネルに、ベルはきょとん、と首を傾げた。
「そうですか? 大冒険のゴールが、こんなに綺麗な夕日だなんて、素敵だと思いますけど……」
楽しげに笑ってから、ベルは続ける。
「それに、たった一回の冒険で、全部を明らかにしてしまうだなんて、もったいないですし」
そうして、ベルは手を差し出した。
「また、いつか一緒に冒険しましょう! 今日みたいな、とっても楽しい冒険を」
リオネルは、きょとんとした顔で、その手を見つめて、それから、自らの手を差し出そうとして……けれど、ベルの手を握ることなく、すぐに引っ込めた。
「いいえ、僕の冒険は……これでおしまいです」
そう言って、リオネルはゆっくりと首を振る。
「え……? リオネルくん?」
「僕は、セントノエル卒業後に、すぐにツロギニア王国に派遣されて、そこで神父として働きます。その次の任地がどこになるかはわかりませんけれど……父の名を汚さぬよう立派に務めを果たし、そして、ルシーナ伯爵領に戻るか、あるいは、ヴェールガの中央正教会の本部で働くことになると思います」
穏やかに微笑んで、続ける。
「いずれにせよ、世界を冒険して、神の御業をこの目で見るという夢は、もうありません」
もしも、それが可能だとすれば、セントノエルを卒業してすぐのことだった。商船付きの神父として世界を旅する、まだ自分に体力があり、父もルシーナ伯として健在であったならば、できたかもしれないが……その道はすでに断たれた。
ツロギニア王国に行き、父の無念を晴らすこと……そのために、リオネルは、自らの夢を諦めたのだ。
「ふふふ、だから、これが僕の最初で最後の冒険でした」
そう言って、リオネルは無邪気に笑った。
「とっても楽しい冒険ができました。今日は、本当にありがとうございました」
それから、夕日に染まった海に、目をすがめた。
それはまるで、今日という日の光景を刻みつけるように。
そして、まだ見ぬ海の彼方に、思いを馳せるかのように……。
「リオネルくん……」
そんな少年の顔を、ベルは静かに見つめていた。
それは、遠い遠い未来の物語。
リオネル・ボーカウ・ルシーナは、長男に家督を譲り、悠々自適の隠居生活を送っていた。
神聖典と、愛読書である冒険小説を読みながら、平穏な日々を送っていた。
そんな彼のもとに、ある日、孫娘の一人がやってきた。
孫娘は、リオネルお祖父さまの前に立つと、腰に手を当てて胸を張った。
「リオネルお祖父さま、ボクと一緒に海の向こう側を冒険してみませんか?」
だしぬけにそんなことを言い出した孫娘に、リオネルは目を丸くする。そんな彼に、孫娘は、朗らかな笑みを浮かべて……。
「いつか見た夢の続きを、ボクと一緒に見てみませんか?」
そう、手を差し出す彼女の姿は、リオネルにあの日を思い起こさせた。
初めての冒険の日、夕日に染まる美しい海へとたどり着いた、あの夢のような日を……。
差し出された右手、あの日、取ることができなかったその手を、リオネルは静かに握りしめるのだった。
リオネル・ボーカウ・ルシーナ。
その名は、前半生と後半生とで、がらりと印象を変える人物の名だ。
若き日の彼は、生真面目な司教として、伯爵として、堅実に、誠実に役目を果たす人であった。赴任した地の王族に、臆することなく意見し、非道があれば、その行いを改めさせた、善良かつ常識的な人と、歴史家は評価する。
では……後半生はどうだったか?
彼の後半生を、歴史家はたった一言で評す。
すなわち「ファンタスティック」と……。
たまたま孫娘と出かけた、半ば遊び半分の船旅で、海賊公のお宝が眠る無人島に行きついてしまうとか。持ち帰った財宝がもとになって、隠されていた歴史に触れるような遺跡の位置を知ってしまうとか……。
神聖典に出てくる聖遺物すら、うっかり発見してしまったりとか……。
そんな、あり得ないほどの波乱万丈、ファンタスティックな人生が、彼を待ち受けているのだが……。
若き日の彼には、そのようなこと、知る由もないのであった。
ちなみに、海賊公に設定とかはまるっきりありません。
もしかしたら、蛇かも……? などということは今のところありません。
後で設定が生えてくるかは微妙ですが。




