第百五十五話 オウラニア、躍動する!
さて……。
様々な食材を見学してから、ミーアたちはルシーナ司教の館へ帰った。
「海の幸……これは、なかなかに研究のし甲斐がありそうですわ」
食堂で、お料理ができてくるのを今か今か、と待ち望みつつ、ミーアはウッキウキの声で言った。
「え、ええ……そうみたいね……」
ラフィーナは、ちょっぴり疲れた顔をしていた。
ワラウツボのみならず、あの場で紹介された大変に刺激的な食材の数々に、ちょっぴりクラァっとしてしまったのだ。
「あの、黒くてトゲトゲの……マロンのような見た目のものはともかく、あの大きなカタツムリみたいなのとか……本当に食べられるのかしら……。それに、あのにょろにょろしたものとか、どうやって食べるのかしら……」
オウラニアに勧められて、指先で突いてみた感触が、微妙に指に残っているようで、ラフィーナは微妙に顔色が悪い。
そうなのだ……ラフィーナはごく一般的なご令嬢の感覚を持つ、年相応の少女なのだ。海産物なら何でも喜ぶ猫でもなければ、食べ物全般に広い許容量を持つ広食の聖女でもないのだ。
「そういえば、ラフィーナさま、例の回遊聖餐の儀はいかがでしたの?」
とそこで、ミーアは、ふと思いついた、と言った様子で口を開いた。
「え? あ……ええ。そうね……」
少し、考えるように首を傾げてから……。
「回った村では歓迎してもらえたけれど……やっぱり、食料はギリギリと言った村も多かったわ」
「まぁ、ヴェールガでも、やはりそうなんですの?」
「事前に、回遊聖餐のための食料は、絶対に無理をしてはいけないと厳命していたということもあるのかもしれないけど……。例年に比べて、出される食事は寂しい感じがした」
と、ちょうどそこで、お料理がやって来た。
「こちらが、ワラウツボのスープです」
置かれたスープ皿に、ラフィーナがちょっぴり体を引く。それを見て、ルシーナ伯爵夫人レベッカは、優しげな笑みを浮かべた。
「ワラウツボの干物を粉にして、出汁に使いましたので、姿は残っていません」
「感謝いたします、レベッカさん」
やたらと実感のこもった声で言うラフィーナである。それから、震える手でスプーンを手にとった。
食料が不足していることを知っている以上、ワガママを言って残すわけにはいかない。回遊聖餐で、村々の様子を実際に見てきた以上、余計にそう思う。
ちなみに、本日の晩餐会には、今回の事件に関係したミーアの仲間たち以外の、ゲストの姿もあった。
「あのぉ、私も来てしまって、よろしかったのでしょうか……?」
困惑顔を見せるのは、例の旗を描いたシャルガールだった。自らの絵を見せる時とは打って変わって、どこか遠慮がちな様子だったが……。
「なに言ってるんですか。あの素晴らしい旗を描いたシャルガールさんの功績を無視するなんて、できませんよ。ね、ミーアお……姉さま」
明るく輝く顔でそう言ったのは、ベルだった。
「うふふ、あの迫力ある絵で、エリスか……さんの小説の挿絵を描いてもらえるなんて、すごく楽しみです」
上機嫌に鼻歌を歌うベル。ミーアのほうも、
「まぁ、そうですわね。やはり、あのインパクトの貢献は大きかった気がしますわ」
などと認めているものだから……。
「ええ……そう……かもしれないわね」
そう認めざるを得ないラフィーナである。やや声から感情が消えているような感じがしないではないが……それはさておき……。
「恐縮です、ミーアさま。私もまさか、あのような旗が描けるとは思っておりませんでした」
三人の称賛を受けて、シャルガールは神妙な顔で頭を下げた。
「ミーア姫殿下には、数々のご無礼を働いてしまいましたが……そのおかげで、私は新しい美について知ることができました。見た目の美をかなぐり捨ててまで、民のために尽力するお姿、感動させられました」
心なしか、目を赤くしつつ、シャルガールが言った。
「……いえ、別に美をかなぐり捨ててはおりませんけれど……」
などとささやかに抗議しつつも、ミーアは首を振った。
「まぁ、いいですわ。それより、シャルガールさん、例の小説の挿絵の件、引き受けていただけるかしら?」
そう問うと、シャルガールは改めて背筋を伸ばして……。
「謹んでお引き受けいたします。できれば、お話を書かれた方ともイメージのすり合わせをしたいのですが……」
「なるほど、とすると、帝国に来ていただくのがよろしいかしら……。作者のエリスは少し体が弱いのでここまで来るのも大変ですし……。できれば、帝国内に住む場所を用意して、と思いますけど」
「はい、問題ありません。住む場所とお給金をいただいて好きなように絵を描けるなんて、夢のようです」
「いや、好きなように、とは言っておりませんけれど……」
などという、ミーアの言葉を聞いているのかいないのか、シャルガールは、よろしくお願いします、と頭を下げる。
「ま、まぁ、いいですわ。それでは、よろしくお願いいたしますわね」
っと、それから、ミーアはワラウツボのスープにスプーンを落とした。
鼻孔をくすぐるのは、ほのかな磯の香り。干物を炙ったのか、芳ばしい香りも合わさって、さらに、そこに香草のスパイシーな香りが加わる。
混然一体となった香りのハーモニーを楽しみながら、一口。
舌の上に広がるは、香りに負けない重厚かつ複雑な味。程よい塩加減、香辛料の絡み、魚介類の脂の出すあっさりとした甘味とまろやかなコク……。
「おお……なるほど。あの恐ろしげな見た目からはとても想像できないお味ですわ」
「ワラウツボだけでなく、他にもいろいろなお魚が入っていますが、ベースは、ワラウツボのスープになります。ワラウツボはその名の通り、食べると笑ってしまうぐらい美味しい魚なので」
レベッカの解説に満足げに頷くミーア。そんな時、視界の端で、スプーンを持ったまま固まっているラフィーナが見えた。
声をかけようとしたミーアだったが……。
「うふふー、そうですよねー。とーっても美味しいし、研究の価値があると思います」
オウラニアがるんるん、っと鼻歌混じりに言った。さらに、
「それに、海外の作物類も見ることができました。種も入手することができましたから、これをペルージャンに持ち帰って、いろいろ試してみたいと思います」
続くラーニャの言葉に、ミーアは満足げに頷いて、
「ほほう、それは楽しみですわ。寒さに強い小麦は強力な飢饉対策になるでしょうけれど、逆に暑くなる時もあるかもしれませんし……。いろいろな作物を植えておけば、どんな変化が起きても対応できるようになるかもしれませんわ」
暑かろうが、寒かろうが、いつでも食べたいものが食べられる世界こそが、ミーアの理想だ。食材さえあれば、どんな物であっても、料理長ならば美味しく料理してくれるだろう、と確信しているミーアである。
「今日のデザートにも、新しく見つけた果物を使ってもらいました」
「あら、それはとっても楽しみですわね!」
ニコニコとご機嫌な笑みを浮かべるミーア。っと、その時だった。すぐ隣から、小さな声が聞こえてきて……。
「美味……しい?」
目を向けると、呆然とスープを見つめるラフィーナと目が合って……。
――うふふ、黄月トマトのシチューを食べた時を思い出しますわね。
ちょっぴり微笑ましい気持ちになるミーアである。
「やっぱり、食わず嫌いはいけませんわね、ラフィーナさま」
「ええ。そうね。これは、次のものも楽しみかもしれ……」
「じゃーん! 次は、なんと、ガヌドスの伝統料理『八目ウミヘビ』のステーキですよー。宿敵、混沌の蛇を食べて倒してしまおうという縁起物と思って、こっそり内緒で用意してましたー。料理前のものがこれでー」
などと……意気揚々と入って来たオウラニアと、彼女の持っている、ニョロッとした食材を見て……クラァッと倒れていくラフィーナの姿があって……。
かくて、セントバレーヌの平和な夜は明けていくのだった。




