第百五十四話 ラフィーナ、決意する!
その日、ラフィーナはミーアからお誘いを受けて、セントバレーヌの市場を見て回ることになった。
「気楽なお出かけではなくて、共同プロジェクトの題材の下調べなので、申し訳ありませんけど……」
なぁんてすまなそうにするミーアであったが、ラフィーナは静かに首を振った。
全く気にならない……なにも問題ないと思った。
ほかの仲間たちと共に市場を回る……それは、とても素敵なことに思えたから。
それに、もしもこれがただの遊びであったなら、回遊聖餐を代わりに行ってくれているレアに申し訳なく思うところだったが……きちんとした仕事ならばそんな気兼ねもない。むしろ、ありがたいぐらいだった。
思う存分、市場見学を楽しめるのだ。
「両学園の共同プロジェクトに関することならば、もちろん喜んでするわ。それに、市場の見学なんて楽しそうだしね」
なぁんて、ウキウキ弾みつつ、市場へとたどり着いたラフィーナであった。
セントバレーヌの市場は、数日間の取引の停止を取り戻すかのように、活気にあふれていた。朝早く漁に出た漁師や海産物を加工した物を並べる商人たち、海外からの輸入品を並べる商人たちまで……。
明るい顔で仕事をする人々を見て、ラフィーナは静かな笑みを浮かべる。
「良かった……」
守られた平和な風景、人々の日々の営みを慈しむようにつぶやくラフィーナに、ミーアもそっと頷いて……。
「ラフィーナさまに来ていただいたおかげですわ」
すかさず言っておく。
実のところ、これはヨイショではない。きちんと功績の分散化を図っておかないと、自身の評価が大変なことになってしまう。なので、全部、ラフィーナのおかげですよぅ、っと、せっせと種を蒔いているのだ。
もっとも、それがミーアの期待したとおりの実りをつけるのかは定かではないが、まぁ、それはさておき……。
「ミーア師匠ー、こっちですよー」
っと、ミーアたちに向かって手を振るオウラニアの姿が見えた。
彼女とクロエは先行して市場で準備していたのだ。
「ああ、オウラニアさん。クロエも、早くからお疲れさまですわね」
上機嫌なミーアに、オウラニアは意気込みからか、頬を上気させていた。
「うふふー、早く来た甲斐がありましたー。珍しいお魚をたーくさん用意したんですからー」
「いろいろと考えて、体によくて保存が効くものをいくつか用意させていただきました。あ、もちろん、みなさんに喜んでもらえるように、普段は食べられないような珍しいものも用意していますから」
クロエが控えめに補足する。
「……珍しいもの」
不意に、ラフィーナが小さな声でつぶやいた。
その声からは、そこはかとなく、不安げな様子が窺えた。
「どうかなさいましたか? ラフィーナさま」
きょとりん、っと実に無害そうな顔で首を傾げるクロエに、ラフィーナは静かに首を振って……。
「いえ、なんでもないわ。それで、ええと……?」
「ああ、それでは、早速、参りましょうかー。あちらに並べてありますからー」
「確か、お見せしていただいた食材を、ルシーナ司教のところで、お料理してもらうとか聞いたけど……」
ミーアのほうを窺えば、我が意を得たりとミーアは頷く。
「ええ、なにしろ、食材は見ただけではよくわからないもの。食べて、自らの舌で味わってこそ、その真価が見えてくるというものですし……」
「物の価値は自分で確かめないと判断できない……。さすがね、ミーアさん」
なぁんて、感心した様子のラフィーナ……であったのだが……。
「それでは、最初にご紹介するのが、ワラウツボの干物ですー」
オウラニアがででーん、っと持ってきた、箱の中に入っていた生物を見て……
「え……あ……え?」
……思わず二度見する。
箱の中央、堂々と鎮座していたのは、一見すると、蛇かなにかの干物のようなものだった。
いや、仮に蛇だったとしても、まぁ、あまり食べたいとは思わないのだが、問題は、蛇よりも、こう……化物じみた見た目をしていることだった。
なんというか、口の部分に牙が突き出しているというか……頭もつるりと丸くて、それが微妙に不気味だし……。少なくとも、ラフィーナの知っている、既存の魚とは、まったくもってイメージが一致しないナニカが、そこにいたのだ。
「このワラウツボの干物は水で戻したり、このまま焼いて、パリパリ食べても、とぉっても美味しいと言われててー」
え? 嘘でしょ、これ、食べられるの……? どうやって……?
混乱に目をグルグルさせつつも、なんとかオウラニアの説明に集中しようとするラフィーナだったが……、ワラウツボのあまりにもインパクトのある顔に目を奪われて、話が入ってこなかった。
「ほほう、これが、セントバレーヌの珍味……。ちなみに、どんなお味なのかしら?」
興味津々に問いかけるミーアに、一瞬、ラフィーナは信じられぬ者を見た、とばかりに、目を見開いた。
「あ、あの、クロエさん、一つ……試みに問いたいのだけど……」
小さく手を挙げてから、ラフィーナは、なんとか逃げ場を探す。
「なぜ、わざわざ珍味を……? 普通の食べ物でも別に……」
別に、無理にヘンテコな食材を味わわなくてもいいんじゃないかな? と訴えたいラフィーナである。
やんわりと苦言を呈するラフィーナに、クロエは……まるで、よくわかっていない素人さんを前にするような、ちょっぴり困った笑みを浮かべる。
――あら、私、なにか変なことを言ったかしら……?
なぁんて、錯覚にとらわれるラフィーナに、クロエは厳かな口調で答えた。
「今までに知られている魚だけでは、あまりにも視野が狭いと思います。珍しい食べ物、新しい味の開発、それこそが、研究には必要なのではないでしょうか」
そう言われ、ラフィーナは思わず唸る。
なるほど、それは正論だ……。少なくとも、ラフィーナには正論に聞こえた。
ならば、きっとクロエが愛好しているから珍味ばかり選んでいる、というのは、穿った見方というものなのだろう。たぶん……おそらく……きっと。
――で、でも、あれを食べるのは、さすがにみなさんも……。
きょろきょろ、と辺りを窺いつつも、ラフィーナはオウラニアに問いかける。
「あ……ああ、あの……本当に、アレを……食べ、るの?」
「うふふー、ちょっと美味しそうに見えませんよねー。でもでもー、とぉっても、美味しいですよー」
自信満々、胸を張って、オウラニアが請け負った。その笑みには、一切の悪意はない。
「え、え、で、でも……、でも……」
ラフィーナは再び、そのワラウツボを見て……ひくっと頬を引きつらせる。
そこへ……。
「ラフィーナさま……」
ミーアが穏やかな声で言った。優しい顔をしたお友だちを見て、ラフィーナは、一瞬、救われたような気持ちになるが……。
「食わず嫌いは良くないですわ。わたくし、以前、黄月トマトが嫌いで……そんな時、料理長が諭してくださいましたの」
っと、ミーアは自らの食わず嫌いのエピソードを披露する。
そんなミーアの後ろでは、そんなこともあったんですね……っと、アンヌが優しい笑みを浮かべている。
「そう……なのね」
ラフィーナも、お友だちの意外なエピソードに、一瞬、誤魔化されそうになるが……。
――え? でも、黄月トマトと、あのワラウツボでは全然違わないかしら!
ふと、重大なことに気付いてしまう。
ラフィーナは、ちょっとイイハナシ程度では誤魔化されない、賢い少女なのだ。
さらに、助けを求めるように、視線を巡らせるラフィーナ。すると……、
「楽しみですね、リーナちゃん。どんな味がするんだろう?」
なぁんて、持ち前の冒険心を発揮して食べる気満々のベルと、それに追従するシュトリナが見えた。ラーニャやティオーナは恐る恐る、と言った具合で食材を見ているが……。自分から主張しようとはしていない。
リンシャはいささか顔を引きつらせているようにも見えるが……やはり、自分から反対とは言ってくれなそうだった。
……ラフィーナの味方は、いない……っ!
――いえ、まだ……。
ラフィーナは最後の希望とばかりに、二人の王子たち……の、その隣、キースウッドに目を向ける。
前に、メイドのモニカに言われたことがあったのだ。
「いいですか、ラフィーナさま。もしも、ミーアさまにキケンな食べ物を勧められた際には、迷うことなくキースウッドさんを頼ってください。料理を自分たちで作ろう、なんて時にも、たぶん、キースウッドさんがそばにいますから……」
その言葉を胸に、ラフィーナは最後の希望を胸に、すがるような視線をキースウッドに向けて……向け……て?
「なるほど、これをルシーナ伯爵夫人が料理を……。どう料理するか興味がありますね、今後の参考のために……」
なぁんて言っていた!
そうなのだ……キースウッドは、危険か安全か、にのみ興味を持っているがゆえに……ゲテモノかどうかということへの関心は薄いのだ!
むしろ、ちょっぴり触るのが躊躇われる見た目の食材のほうが、ご令嬢たちが料理したいとか言い出さなくって良いかも! などと思っている節すらあって……。
「うふふー、ほかにも釣り応え……じゃなくって、共同プロジェクトに良さそうな海産物がいろいろありますよー。漁師さんも言ってましたー。海は、神が与えてくださった恵みのものであるってー」
「ああ……ええ…………そう、ね……」
その言葉に……ラフィーナは、なにやら、目尻を軽く指で拭ってから、祈りをささげるかのように、手を組み、目を閉じた。
「今日を生きる糧は、神が私たちに与えてくださったもの……。ならば、ええ、食わず嫌いは……よく……ないわね」
自分を説得するようにつぶやくラフィーナである。
覚悟を決めたラフィーナは、毅然と背筋を伸ばし、キリリッと表情を作ってから……。
――レベッカさんに……元の姿があまり残ってない料理法をお願いしましょう。
心の中で固く、かたーく! 決意するのであった。




