第百五十二話 歴史書に載らない一幕
今回は真面目回です。
さて、軍を撤退させた日のこと。
ゲイン・レムノはセントバレーヌ内のポッタッキアーリ候の館で、酒杯を傾けていた。
「聞いたか? ポッタッキアーリ候。ルシーナ司教は取り立てておとがめなしだそうだ」
「なっ、なんですとっ!?」
ポッタッキアーリ侯が声を荒げた。
「馬鹿な……なぜ、そのような……」
「今回の出来事は、公に軍事訓練ということになったのだ。表立って処分しては理にかなわないとは思っていたが、こう来るとはな……」
愉快そうに笑うゲインに、ポッタッキアーリ侯は怪訝そうな顔をした。
「わからんか? おそらく帝国の叡智は、新しく派遣される司教より、ルシーナ司教を与しやすしと考えたのだろう。今回のことでルシーナ司教は、ミーア姫や聖女ラフィーナに弱みができたのだ。ならば、彼をセントバレーヌ派遣司教という重役につけておいたほうが、連中には有利となるだろう」
「なっ……なるほど」
ちなみに、この時のゲインの予想は当たっていた。すなわち……。
「ルシーナ司教を更迭し、本国に送還? それは、決してなりませんわ」
ミーアの言葉に、ラフィーナだけではなく、当のルシーナ司教も驚愕の表情を浮かべていた。
「しかし、私は……」
なにか言おうとするルシーナ司教を片手で制し、ミーアは首を振った。
「ルシーナ司教、償い方にもいろいろございますわ。あなたは、今回の失敗によって大切なことを知った。ならば、それを生かし、商人組合と折り合いをつけていっていただく、それこそが、あなたの償い方ではないかしら?」
言いつつ、ミーアは思っていた。
――ルシーナ司教を更迭して、次に来る司教が、もっと話のわかる方である保証は、どこにもありませんわ!
そう、最悪、ルシーナ司教の後に、よりお堅い司教が来てしまう可能性だってあるのだ。現に、今回だって、ルシーナ司教に協力してくれそうな者たちは、ヴェールガ本国にいたのだ。もし、そんな人が司教として派遣されてきたら、すべては振り出しに戻ってしまうではないか!
そんなことになっては一大事、とミーアはルシーナ司教の引き留めにやっきになる。
「ルシーナ司教、確かに商人組合の中には、利益のみを追求し、人の道を踏み外しそうな商人というのは出てくるかもしれませんわ。されど、彼らが道を逸れないように、教え導くのがあなたの償いですわ」
ミーアは、優しい笑みを浮かべてルシーナ司教に言うのだった。
さて、そんなやり取りは知らぬものの、ゲインは納得顔で頷いた。
「帝国の叡智、なかなかどうして……実に参考になる……」
「は、はぁ……」
微妙な返事をするポッタッキアーリ候に、ゲインは、一転、鋭い視線を向ける。
「時に、だ。ポッタッキアーリ候……実はつい最近、このような噂を耳にしたのだが……」
そうして彼は話し出す。彼がポッタッキアーリ候を訪ねた、真の目的を。すなわち……。
「我が姉、ヴァレンティナ・レムノの暗殺に、貴公が関わっているという噂だ」
聞いた途端、ポッタッキアーリ候の顔色が変わる。
「なっ、そ、そのような根も葉もないことをいったい誰が……」
声を震わせる侯爵に、ゲインはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ところが、困ったことに、根も葉もあることでな……。まぁ、希望があれば証拠を揃えてやってもいいが……言い逃れができると思っているのなら、俺をナメすぎだとだけ言っておこう」
断定するようなゲインの物言いに、ポッタッキアーリ候は、口をパクパクさせていたが……やがて、ガックリと肩を落とした。
「ごっ、誤解しないでもらいたい。あれは、あくまでも国王陛下の御意によるもの。なにかと小うるさい第一王女殿下を黙らせるために少し脅しつけてやれと……それがあのような……そう。あれは、あくまでも事故……」
「……さえずるな」
ゲインの口からこぼれ落ちたのは、低く、重い一言だった。それを受け、侯爵はビクンっと震えあがる。
「さえずるな、侯爵。お前の声は気に障る」
不快げにゲインは吐き捨てる。助けを求めるように、ポッタッキアーリは、ゲインの背後、無言で立つギミマフィアスのほうに目を向けた。
「そう案ずるな。ポッタッキアーリ候。お前は、我が国の南部貴族の重鎮。そう簡単に排除はできん……」
その言葉に、ポッタッキアーリ候が安堵し、表情を緩めた……次の瞬間!
「などということは、まったくない」
言葉と同時、ゲインは剣を抜き放った。刃は一呼吸の間に、ポッタッキアーリ候の首に迫り、そして……。
「ひっ、ひぃっ!」
ポッタッキアーリ候の悲鳴が響いた。
「誤解がないように言っておく。お前の首を落とすことなど容易い。俺はレムノの次期国王だ。お前程度の命、どうとでもなることを肝に銘じておけ」
言ってから、彼は剣を鞘に納める。
「しかし……俺も王になる身だ。かの帝国の叡智や聖女ラフィーナのやり方から学ぶというのも一興だろうと思ってな」
「はへ……? あ……と言いますと……?」
ぽっかーんっと口を開けるポッタッキアーリ候に、ゲインはニヤリと、実にあくどい笑みを浮かべて。
「言わないとわからんか? 今回の失態、それに、姉上への狼藉、あまつさえ、暗殺を失敗したということ……お前には、数多、他人には教えられぬ秘密があろう」
ゲインは、どっかりと椅子に腰を下ろしてから、
「俺の協力者となれ」
短く、要求を突きつける。
「はぁ? きょ、協力者……でございますか?」
素っ頓狂な声を上げるポッタッキアーリ候に、ゲインは静かに微笑んで……。
「そうだ。俺が見たところ、我がレムノ王国の先は、あまり明るくなさそうなんでな……できるだけ早い段階で、父上には退位してもらおうと考えている。そして……お前には、その協力をしてもらおうと考えている」
「なっ、そ、それは……」
思わず腰を浮かせかけるポッタッキアーリ候に、ゲインはニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「落ち着け、ポッタッキアーリ候。なにも、力づくでどうこうしようというわけではない。国を割る内乱などゾッとしないしな」
「いや、しかし……」
「もし協力してもらえるならば、お前のもろもろのことを、不問に付そうではないか。姉の暗殺に絡んだことを、罪に問うことはしないでおこう」
俺はな……と心の中で付け足してから、ゲインは再び、ポッタッキアーリ候を見つめた。
「どうだろう、侯爵。俺の誘いを受けるか、それとも、父に忠義をささげ続けるか……もっとも、後者を選んだ場合は、今回の失態は、すべて父上に話すがな」
実に悪人らしい笑顔を浮かべたまま、ゲインは言った。
「困ったな。お前が忠義をささげる王は、お前を軽視するだろう。もしかすると、罰するかもしれない。いや、困った、困った」
「なっ……ぁ」
「と、いうわけだ。残念ながら、お前に選択の余地はない」
首筋に剣を突きつけられた時と同じような表情を浮かべるポッタッキアーリ候に、ゲインは肩をすくめてみせて。
「さて、それでは、そうだな……手始めに……姉の暗殺に関わった貴族を、すべて教えてもらおうか……。知っているのだろう? その陰謀に加担した者たちのことを」
その言葉に、ポッタッキアーリ候は、ガックリと肩を落とした。
さて、ポッタッキアーリ候を去らせて後、ゲインは深々とため息を吐いた。
「よろしかったのですか? このような形で……」
「そうだな。俺らしくはないかもしれんが……」
ゲインはそこで肩をすくめた。
「悔しいが……アベルの掴まえたあの女は……本当にロクでもないぞ」
「は……?」
「考えれば考えるほど……あのやり口は完璧だ。完全な機能停止をしている領主であれば、排除しても問題はなかろうが……曲がりなりにもポッタッキアーリ候は宰相と並ぶレムノ王国南部貴族の代表格だ。しかも、セントバレーヌに多くの商船を持つ大貴族でもある。排除すれば混乱が国全体に影響を及ぼす」
「そのために、姉君の仇を討つことを諦める、と……?」
その言葉に、ゲインはスゥっと目を細めた。
「誤解をしているならば、訂正してやる。ギミマフィアス。俺はあの女の……姉上の仇を取りたいわけでもなければ、無念を晴らしたいわけでもない。俺は姉上を超える。姉上のできなかったことを成し遂げて、徹底的な屈辱を叩きつけてやる」
それから、彼は酒杯を煽ってから……。
「ところで、だ……。ギミマフィアス、今日のことを、お前は父上に教えるか?」
鋭い視線を、ギミマフィアスに向ける。
「レムノの剣聖、お前はどう見る? 俺か父上か……どちらにつく?」
「そうですな……」
ギミマフィアスは、静かに自らの髭を撫でる。まるで器の大きさを測るかのように、ゲインを見つめてから……その顔に苦笑いが浮かんだ。
「ふふ、本当であれば、国王陛下、と迷うことなく答えねばならぬところなれど……今日はいささか、血がたぎっておりましてな……。橋の上での、あの男との戦いが、どうやら、老骨に活を入れたと見えまして……」
それから、彼は遠くに目を向ける。
「レムノ王国に新しき風が吹くというのならば……見たことのない景色を、最前線で見られるというのであれば……それもまた一興」
「そうか……」
老兵の答えに、ゲインはつまらなそうに、ふん、と鼻を鳴らす。
っと、その時だった。
「失礼いたします。ゲイン殿下、お客人が訪ねてきているのですが……」
「なに? 客だと……?」
眉をひそめるゲインに、報せを持ってきた兵は背筋を伸ばした。
「はっ! 騎馬王国の娘で、なんでも、約束の菓子をもらいうけにきた、と……」
「ああ……そうだった……」
小さくつぶやき、一瞬、しまった、という顔をしたゲインだったが……直後、ギミマフィアスの表情を見て、舌打ちする。
「他国の姫に世話になったのだ。約束通り礼をせねば沽券にかかわるだろうな……」
「さようでございますな。ここは、協力者殿のポッタッキアーリ候にでも頼るのはいかがでしょうか?」
「なるほど。確かに、奴ならば珍しい海外の菓子にも詳しいか……よし、そうしよう」
レムノ王国の国王、ゲイン・レムノが、陰謀劇の協力者ポッタッキアーリ候に最初に願ったのが、海外の珍しいお菓子だったというのは、後の世に知られることのない歴史の裏に隠された秘話であった。