第百五十話 朗らかに、高らかに、友を讃えん
時間は、少し遡る。 それは、旗を持って建物へと向かう途中のことだった。
「ところで、ミーアさん……ポッタッキアーリ候とミラナダ王国のことについてだけど……」
これから別れて行動しなければならなかったので、ある程度、コンセンサスを得ておく必要があったため、二人は綿密に打ち合わせていたのだが……。
「どのように、彼らを遇すれば良いかしら……?」
穏やかな声でそう問われ……ミーアは思わず震える!
――遇する……、なるほど。さすがはラフィーナさまですわ。きっかけは、ルシーナ司教であったにしろ、両軍がなにか良からぬことを考えてやってきたのは、ほぼ確実。となれば、それに相応しい報いを……罰を与えてやろうというわけですわね……!
ミーアは、ふんむ、っとわずかに考えてから……。
「そうですわね……ポッタッキアーリ候のほうに関してはなんとも言えませんけれど、確か、ミラナダ王国軍は、平民からの徴兵がほとんどということではなかったかしら?」
ミーアの問いかけに、付き添っていたルードヴィッヒが頷いて応えた。
「農民も多いようですが……」
「農民が多い……っ!」
腕組みして、考えることしばし……。ミーアは厳かな口調で言った。
「それならば、こういうのはどうかしら……? 寒さに強い小麦の栽培に協力していただく、というのは……」
「え……?」
パチクリ、と目を瞬かせるラフィーナに、ミーアは意味深に笑った。
「寒さに強い小麦……」
「ミーア二号ですね……」
ルードヴィッヒがその微妙な名前を口にする。
正直、ミーア的にはその名前、どうなんだ? と思わなくもないのだが……。
――ふむ、しかし、わたくしの名前を冠した小麦が広まっていれば、民衆はわたくしにも功績のあることだと考えて、断頭台にかけようとは思わないかもしれませんし……。
などと、容認しているのであった。
「その……ミーア二号? ですけど、ラーニャさんを通して、近隣国に広めているところですわ。しかし、なかなか、手が足りておりませんの。各国ともに、保守的なようで、進んで協力しようというところが、なかなか出てこないんですの」
料理長の新しい料理法をセットにしたとしても、それでも、食べ慣れたパンが作りづらいというのは一つのネックではある。
「ですから、ミラナダ王国に協力していただくのですわ」
ミラナダ王国は立地的に、セントバレーヌの近郊にある国だ。近くに海があり、そこから食料を運んでこられるとするなら、もしかすると、寒さに強い小麦は、そこまで必要としていないかもしれない。
されど……、
――不作の時期に、ミラナダ王国でしっかり小麦が取れてさえいれば、セントバレーヌからの食料を別の地域に回すこともできるかもしれませんし……。最低限、自国のことは自国で面倒を見てもらえれば、その分、こちらへの負担は減るはずですわ。
ミーアは、楽がしたいのだ。
ミーアは、楽が、ものすごくしたいのだ!
食料が不足してる、などという知らせを聞いて、あくせくと手配をするのは面倒だし、間に合わなかったらどうしようと気をもむのは、心の平安によろしくない。
そう、ミーアは誰かの危機を助けたいなどとは思わない。目指すべきは危機が起こらないことであって、それでも防ぎきれなかったものを救っていく体制を築くことなのだ。
転がって勢いがついた巨岩を受け止めるのは大変なので、まず、巨岩が落ち始めないようにし、そこからこぼれた小さな石を確実に止められるようにする。これこそがベストなのだ。
――だからこそ、この近辺の国も、セントバレーヌの輸送路におごらずに、いざという時に備えて、寒さに強い小麦を育てさせておくほうが良いですわ。罰として、ミーア二号を育ててもらうことには、意味がありますわ。
そう強く確信するミーアであった。
「ミラナダ王国に、寒さに強い小麦を渡す……?」
一方で、ラフィーナは首を傾げていた。のだが……。
ミラナダ王国の要求に、ラフィーナは戦慄すら覚えていた。
「まさか、ミーアさん……そこまで」
思わずつぶやいてしまうほどに、彼女は動揺していた。
なぜ、寒さに強い小麦の種を分け与えることが、軍事訓練に協力したミラナダ王国にとっての報酬となり得るのか……?
それは、ミラナダ王国軍が、食料供給の不安から動いたためだ。
その心理を正確に読み取り、そのうえで「他国より自国を優先しろ」という、一見すると利己的な彼らの要求を、そのまま受け入れるのではなく、かといって拒絶するのでもなく……変える。
ラフィーナのまぶたの裏に、セントノエルでの情景が浮かんでくる。
そうだ、いつだって、ミーアはそうだった。
相手を排除するのでもなく、甘やかすのでもなく……。
――相手を、善き者へと変えようとする。そう働きかける……。それが私のお友だち、ミーアさんの在り方……。あの頃からずっと変わらない、ミーアさんの本質……。
ラフィーナは、そっと目を閉じて、口を開いた。
「どんな時でもミラナダ王国に、優先的に食料を送り、ミラナダ王国の民に安心を与えること……それは残念ながら聞くことのできない要求です。けれど、その代わりに、我が友ミーアより言付かっていることがあります」
朗らかに、高らかに、その友ミーアを讃えるかのように、ラフィーナは言った。
「我が友、ミーアさんは、今回の小麦の不作、そして、飢饉が起こる危険を早い段階から予測していました。そして、いち早く、海外からの小麦の輸送路を確保し、自国内でも備蓄を進めていました」
友の功績を讃える、ラフィーナの顔は、ものすごぉく、輝いていた。
「そして、それだけではなく、これから先、より大きな寒冷期が訪れた時のために、寒さに強い小麦の発見にも尽力していたのです」
「寒さに強い小麦……?」
「そう。今年のように……昨年のように、夏の日光の力が弱い年にも例年と変わらずに収穫が期待できる小麦です。料理法が少し変わっていますが、すでに確立されています」
「そっ、それを我が国に与えてくださると……?」
ラフィーナは厳かな、聖女スマイルで頷いて、
「ええ。ミーアさんは、その小麦を金儲けのためでも、ご自分の名誉のためでもなく、ただ、民が餓えないために使いたいと思っているの。ご自分の帝国だけではないわ。この大陸の、すべての民が餓えないように、ただの一人も、そのことで苦しまなくっても良いように……。だから、セントノエルで宣言を出し、各国に語りかけた。だから、国同士の相互援助の仕組みを作ろうとしている。ペルージャン農業国やフォークロード商会、それに、他ならぬ大商人、シャローク・コーンローグ殿の協力を得て、ね」
ミラナダの国民であれば、誰しも知る大人物……シャローク・コーンローグの名前を聞き、ビアウデット伯は息を呑んだ様子だった。
「そのうえで、改めて言うわ。ビアウデット伯。私は……私たちは、ミラナダ王国に優先権を与えることはできない。けれど、あなたがたが自分たちの安心のために努力する協力はすることができる。それと、もちろんだけど、その小麦が実るのは来年以降のことになるから、それまでの間、食料が不足しないよう緊密に連絡もとりましょう」
ミーアが示したもの……それは、実のところ寒さに強い小麦という「物」ではなく、自分たちが信頼に足る存在であるということだった。このような考え方をする自分たちをどうか信じてほしいと……。あなたたちが窮した時には必ず助けると……。そして、あなたたちも自分たちと共に歩んでほしいと……。
そんなメッセージであった。
万感の想いを胸に秘めながら、ラフィーナは真っ直ぐにビアウデット伯のほうを見て……。
「これが我が友ミーアと、私が出した結論よ。いかがかしら?」
それを聞いたビアウデット伯は、深々と頭を下げるのだった。