第百四十九話 ミーアさん、そういうことなのね?
ラフィーナが案内されたのは、どうやら、宿屋のようだった。
店の者たちがすべて退避した建物内は、ガランとしているものの、特に荒らされた様子もなかった。
食堂のテーブルの上には簡易ながら、お茶の用意がされていた。
ラフィーナは特に緊張した様子もなく、テーブルにつく。っと、緊張した様子のポッタッキアーリ候、それにビアウデット伯を両側に従えて、ラフィーナの正面にゲイン王子が腰を下ろした。
「さて、先ほども言ったが、私は今回の件の主導者というわけではない。なので、詳しいことはポッタッキアーリ候に任せて、ここで見守らせてもらおうか」
そんなことを言うゲインに、ラフィーナは小さく頷いた。
――どうやら、ゲイン王子は都合よく味方をする気はない、というつもりみたいね。
ポッタッキアーリ候のやり方には反対ではあるが、さりとて、なんの道理もなく軍を引くこともできない。そもそも、今回の軍事行動は、ルシーナ司教の要請によるものなのだから、彼のスタンスは理解できた。
ラフィーナはゆっくりと紅茶のカップを持ち上げる。その香りを楽しむように、一口。
「とても美味しいわ。よい紅茶を用意してくださったのね」
「お、おお、おわかりいただけますか。これは、海外の……」
などと、いそいそと茶葉の解説を始めるポッタッキアーリ候。
「し、しかし、戦場でお茶とは、なかなかに風流ですね……」
さらに、ビアウデット伯が雰囲気を和らげようと軽口を叩くが……。
「戦場……? あら……ここは、戦場なのでしょうか?」
ラフィーナは、ちょっぴり驚いたような顔で首を傾げた。
「てっきり、軍事訓練の訓練場所、と思っていたのですけれど……」
「は……? ぐ、軍事訓練?」
理解できない様子のポッタッキアーリ侯。対して、ラフィーナは静かに、ルシーナ司教へと視線を移した。ルシーナ司教は……深々と頭を下げて、
「この度の騒動について、まず、謝罪したい。私が軽挙妄動により、多くの者たちにご迷惑をかけてしまったこと……誠に申し訳なかった」
その言葉により、ようやく状況が呑み込めたのだろう。いや、あるいは、ラフィーナが登場した時、ルシーナ司教と共にやってきた時に、すでに半ばわかっていたことだっただろうか。自分たちの計画がすでに、破綻しているということが……。
驚きに言葉を失っている者たちを尻目に、最初に口を開いたのは、ゲインだった。
「なるほど、軍事訓練……か。落としどころとしては妥当だろうな……」
腕組みしつつ、ゲインが頷く。
「そう。今回のことは、軍事訓練、並びに、帝国皇女ミーア・ルーナ・ティアムーン姫殿下が近々、出版なさろうとしているお抱え作家の小説の宣伝にしてしまおう……と私たちは考えているわ」
「宣伝……ああ。なるほど、それでは、あの勇ましい聖女さまが描かれた旗もその一環ということですか?」
ポッタッキアーリ候の不用意な一言に……。
「勇ましい……」
一瞬、ヒクッと頬を引きつらせるラフィーナであったが、すぐに咳払いして……。
「ええ、まぁ……。ともかく、今回の軍の動きが正式な軍事行動であると知られては、民の間に不安が募ってしまうことでしょう……。ただでさえ、食料への不安が広まりつつある時ですから、できるだけ事を荒立てないようにするのが良いだろう、と、ミーアさんと私は考えています」
ラフィーナの言葉に、ゲインは一つ頷いて……。
「だが、我が国は、そちらにおられるルシーナ司教の要請によって来たのだ。この騒動の原因は、そちらの司教殿にある……とも言えるはずだ。その責任はどうする?」
「そうですね……」
ラフィーナは、静かに横に座ったルシーナ司教に目をやった。彼は、表情を動かすことなく、静かに座っていた。
「私の責任については、すべてラフィーナさまにお任せしております。が、重ねて、私の誤解と短慮から、ポッタッキアーリ候、並びにミラナダ王国にご迷惑をおかけしたこと、大変申し訳なく思います。罪を謝し、悔い改めたいと思っております」
「なるほど。我らの神は、過ちを悔い改めれば、罪を赦される。だが、神は赦しても、軍を動かした責任は、どうするつもりか?」
そう言って、ゲインはラフィーナに視線を向ける。
対するラフィーナは、あくまでも涼やかな笑みを浮かべたまま、
「そうですね。確かに、軍を動かすのもただではないでしょう。それでは、お詫びに望みを言っていただけるかしら? できる限りのものは用意いたしましょう」
その言葉に、ポッタッキアーリ候は、嬉しそうに腰を浮かせた。
「おおっ! そっ、それでは、ぜひ、私めに、このセントバレーヌの権益の……」
「馬鹿が……」
声を躍らせるポッタッキアーリ候を、舌打ち混じりにゲインが一蹴する。
「そんなもの、軍事演習でどのように得ようというのだ? それでは、我が国が軍を動かし、武力によってセントバレーヌの権益を脅し取ったように見えるではないか」
ラフィーナの言葉の意図を、どうやら、ゲインは正確に把握しているようだった。
そう、「ルシーナ司教の正式な要請によって、商人組合の私兵団を排除すべく軍隊を派遣した」という大義名分は、すでに失われている。したがって、彼が正当に受け取ることができるのは、訓練の協力の費用と謝礼のみである。
もし、それ以上を求めたのであれば、それは、ポッタッキアーリ候が軍を動かした動機への疑いとなる。
港の権益を求めなどすれば、それを求めてセントバレーヌに侵攻したと、周辺国からは受け取られかねないのだ。
ポッタッキアーリ候もそれに気付いたのか、ハッと目を見開いた。
そう、彼らは、あくまでも私情なく、ただ司教の要請を、善意を持って受け止めて派兵した……というスタンスを取らなければならないのだ。
代わって口を開いたのは、ミラナダ王国軍司令官、ビアウデット伯だった。
「我が国に、ぜひ、小麦の輸送の優先権をいただきたい。我が国の食料状況は厳しく……もしも、セントバレーヌからの供給が少しでも滞れば、民は窮することになってしまうのです。私が率いている者たちは、兵ではなく、農民がほとんどです。彼らの行動も、ひとえに食料を求めてのこと。どうか、なにとぞ……」
ポッタッキアーリ候とは違い、彼は心の内を隠すことはしなかった。それに対し、ラフィーナはわずかばかり、驚いた様子だった。
「なるほど……それで、ミーアさんが……」
その脳裏には、今回の落としどころについて、ミーアと話し合った時の光景が浮かんでいた。




