第百四十八話 変えられた者たち
二人の最強騎士を従えて、橋を渡ってくる聖女ラフィーナ。
その姿を前に、兵たちは浮足立っていた。
そこは橋の北方の大通りだった。
一騎打ちが終わった直後、一斉に雪崩を打って攻められるよう、そこに兵たちが詰めていた。仮に一騎打ちで負けたとて、大人しく引く道理もなし。ポッタッキアーリ候も、ミラナダ王国軍も、すぐに数を頼りに攻め込めるよう準備していたわけだが……。
――物量でなんとかしなければならないのは確かだろうが、一桁少なかろうに。
レムノ王国第二王子、ゲインは半ば呆れた目で、その醜態を眺めていた。
――遠距離に弓兵を並べて射殺すならば、まだ可能性はありそうだが……敵軍の弓兵のほうが腕が良さそうだ。指揮官を射殺されて混乱したところを、あの男に突撃されればひとたまりもないな。
唯一、可能性があるのは、ギミマフィアスが健在なうちに、どこか別の場所から渡河して要所を押さえてしまうことだが……。
――手勢が足りんな。もともと戦うつもりなく来たのだから仕方ないが……。戦う前から勝つのが戦略と聞くが、戦略家を気取るには知恵が不足しているようだ。
舌打ちしたくなるのを堪えつつ、なお彼がこの場に留まっているのは、いくつかの理由があった。その内の一つが、今まさに、目の前にやってこようとしていた。
――聖女ラフィーナ……そして、あの女……いや、帝国の叡智がどのように事を治めるつもりなのかは興味がある。
姉であるヴァレンティナの企みを破ったこと、今回のポッタッキアーリ候らの企みにしても、ここまで台無しにしたその手腕……その鮮やかさに、ゲインは瞠目していた。
元より、慧馬をこの地に向かわせた時から、ポッタッキアーリ候の思惑を阻止しようとは考えていたが、まさかそこに帝国の叡智の介入があるなどとは予想もしていなかった。
――だが、これも好機か……あの女がどのように解決するつもりなのか、じっくり観察してやろう。
っと、そこまで考えたところで、ゲインは不意におかしくなった。
――そんなことを考えるとは、我ながらずいぶんと変えられたものだな。
彼は、その変化の始まりを、弟アベルに負けた日だと考えていた。
一度も負けたことがなかった弟に負けた日……弟の実力も、第一の構えの真価も見誤っていたことに彼は気が付いた。
けれど、考えてみればその前……初めて帝国の叡智ミーア・ルーナ・ティアムーンと出会った時から、すでに、それは始まっていたのかもしれなかった。
――女になど大した価値はない。それがレムノ王国の常識だ。だが、その女によって、アベルは俺に勝ち、革命派は解体された。なにより、俺は一度として、姉上に勝てたことがなかったではないか……。
ゲイン・レムノは、それゆえ、あの日以来、考えるようになった。
そのものの真の価値は、やはり自らの目で見定めなければならない。
これから、聖女ラフィーナがなにを言うのか……そして、帝国の叡智が出す、この騒動の落としどころはどのようなものなのか……。半ば興味本位で、彼は成り行きを見守っていた。
やがて、ラフィーナが、軍の前まで歩いてきた。
ギミマフィアスが、一瞬、こちらに視線を向けたので、ゲインは静かに頷いてみせる。
ヴェールガの聖女の護衛は、周辺国の者たちの務め。それに、下手にポッタッキアーリ候の兵に任せでもして、なにかあれば一大事だ。
っと、ラフィーナを出迎えるようにして、ポッタッキアーリ候、並びにミラナダ王国軍の司令官、ビアウデット伯爵が進み出る。
「これは、ラフィーナさま、ご機嫌麗しゅう」
揉み手でもしかねないほど、腰を低くして、ポッタッキアーリ候が口を開いた。
元より、今回の騒動は、ヴェールガ本国に知られず、秘密裏かつ迅速に進めなければならなかったこと。こうして、聖女ラフィーナが出張って来た以上、計画を進めるわけにはいかない。
なれば、できるだけ印象を良くしておこう、ということなのだろうが……その姿は卑屈そのものだった。
「ご機嫌よう、ポッタッキアーリ候。確か……以前、回遊聖餐でこの地を訪れて以来だったかしら……」
ラフィーナは、涼やかな笑みをポッタッキアーリ候に向け、さらに、ビアウデット伯爵のほうに顔を向ける。
「ラフィーナさま、セントノエル学園では我が子が、大変、お世話になりまして……」
「ビアウデット伯……ご子息というと……ああ」
ラフィーナは何事か思い出したのか、小さく笑みを浮かべて、
「セントノエルでの学びが、ご子息の身になっていれば良いのですけど……」
つぶやくように言った。それから、さらに、ラフィーナは視線を転じ……。
「お久しぶりね、ゲイン・レムノ王子殿下……」
ゲインのほうにも目を向けてきた。
「ご機嫌よう、セントノエル学園を卒業されて以来かしら?」
「ご機嫌麗しゅう、ラフィーナさま。ええ、確かに……卒業式以来となりましょうか」
同じセントノエルにて、学んでいた者同士ではあったが、ゲインはラフィーナとまともに会話をしたことはなかった。
ついでに言うと、あまり好意的でもなかった。
入学して以来、ラフィーナは、一貫してゲインに冷たい目を向けていた。価値のないものを見るかのような冷たい目を……。
もっとも、ゲインのほうも同様に、価値のないものと見做していたから、お相子ではあったが……。
女になど、価値はない。あの姉……あのヴァレンティナさえ価値がないとするなら、それ以下の女どもにはなおのこと、価値などあろうはずもない。そう思っていたからだ。
けれど……。
――少々、雰囲気が変わったか……?
ゲインは、ラフィーナを眺めながら、腹の中で思う。以前までの透き通った硬質な……それでいて脆さもありそうな感じが、少しだけ変わったように思えた。
――まぁ、変わったのは俺も同じことか……。
小さく首を振ってから、
「立ち話もなんでしょう。建物を一つ接収してあるので、そちらで対談ということでいかがか? 兵の糧食なれど、茶の一杯も用意するが……」
ゲインの問いかけに、ラフィーナは小さく頷き、
「そうですね。それでは、再会を祝して、軽くお茶会でもいたしましょう」
涼やかな笑みを浮かべた。