第百四十六話 帝国の叡智は娯楽にも通ず
偉大なる帝国の叡智、女帝ミーア・ルーナ・ティアムーンは娯楽、すなわち、エンターテイメントに対して造詣の深い人物として知られている。
後の大作家、エリス・リトシュタインをお抱えにしたことはもちろん、その他の小説や詩劇、演劇にも精通し、乗馬レースやダンスにも詳しいこと、さらには、料理に独自のアレンジを加え、食べる者の目を楽しませようとする遊び心などからも、そのことはうかがえる。
では、彼女はなぜ、娯楽を好んだのか?
一時的な享楽にふけるためか?
否、そうではない。そうではないことは、セントバレーヌで民に語りかけた言葉が証明していた。
帝国の叡智ミーアは、娯楽を、民を治めるために必要な要素、あるいは、人が希望を持って生きるために重要な要素として考えていたと、私は指摘したいのだ。
とある歴史学者の論文より
「人が生きるためには娯楽が不可欠である……と」
ミーアは、厳かに民に語りかけ始める。
思い出すのは、地下牢での出来事だった。
アンヌの話してくれた、貧しい王子と黄金の竜。あの物語によって、ミーアは確かに生きる気力を得ていた。救われていたのだ。
あの時間がなければ、確かに、自分は生きてはいなかっただろう、とミーアは思っている。いかにミーアが地下牢の石の数で暇つぶしが出来る精神力を持っていると言っても、まさか、それだけでは、心は徐々に死んでいったことだろう。
「人と動物とは違いますわ。ただ生きるのに必要な食べ物を口の中に放り込んでおけば生きていける……そんなことは決してありえない、とわたくしは思いますわ。なるほど、確かに食べ物がなければ死んでしまう。味気ない食べ物でもないよりはマシ。そうかもしれませんわ。けれど、貧しいのだから、買えないのだから、最低限の味気ない食事と水だけで満足しろ、というのは違うとわたくしは思いますわ。食事は体を満たし、心を喜ばせるものでなければいけないと、わたくしは思いますの」
……ちなみに、この「食事は体を満たし、心を喜ばせるものでなければいけない」という言葉と、帝国の叡智が料理において見せるちょっとした遊び心とを繋げて考える歴史研究家もいる。その者の書いた『馬形サンドイッチに見る女帝ミーアの深いおもてなしの心』という論文には、そのことが詳しく書かれているのだが。まぁ、それはさておき。
「事は食事に限りませんわ。人には楽しみが必要なのです。それがなぜかと説明することは難しいですけれど、ラフィーナさまのお言葉をお借りするならば、人は、そのように造られているから、と言ったところかしら?」
ここ、セントバレーヌにおいて、聖女ラフィーナの言葉には、格別の権威がある。なので、先ほど、ルシーナ司教とのやり取りで、ラフィーナが話していた言い回しを若干パクリつつ、ミーアは続ける。
「逆に、わたくしは、このことを一つの、良い戒めであると考えておりますわ。民が、人が……家畜とは違うということを、心に刻み、忘れないようにするための、ね」
そうして、ミーアは静かに人々のほうに視線を向けて……。
「人は、心が折れてしまえば簡単に倒れて、動けなくなってしまうもの。自暴自棄になり、生きることを諦めて……あるいは、それを怒りに変えて剣を持って暴挙に出たり……。逆に、ちょっとしたことに希望を見出し、満身創痍から立ち上がることだってできる。今日読んだ物語がちょっとだけ面白かったから……続きにはもっと面白い物語が待っているかもしれないから……そう、想像するだけで生きる気力を得られることがあるのですわ」
それから、ミーアは、グッと拳を握りしめた。
「例の本、貧しい王子と黄金の竜は、そういう意味でとても楽しい物語ですわ。読むと元気が湧いてくる、生きる気力が湧き上がる、わたくしが大好きな物語ですわ。ですから……みなさんにも、ぜひ、お友だちなどにお勧めしていただきたいんですの!」
清々しくも朗らかに、高らかに、ダイレクトマーケティングをしてから、ミーアは再度、生真面目な声で……。
「人には心があって、人は自分で思っている以上に心に支配されている。その人の心が見た光景がその人の世界だとすら言えてしまうかもしれない。ならば……その人の世界が明るくなるように、良い物語がたくさん出回ることは、良いことであるとわたくしは考えておりますわ」
決して、自分のワガママのみでやってるんじゃないんだぞ! ということを強調して、言葉を閉じるのであった。
さて……ミーアの言葉は、通常の住民たちにとっては、彼女の狙い通りに受け取られた。
「なるほど、姫のお気に入りの作家の小説の宣伝か……」
「軍事訓練という派手な場で、しかも、あんな一騎打ちに旗まで作って宣伝するとは、この姫さまは、なかなかやり手だぞ」
「確かに、良い娯楽に触れると心が明るくなるし、良い面もあるよな」
そんな感じで、感心する者たちがいた。
一方で、今回の騒動の真相を知る商人たちの中には、ハッとした顔をする者たちがいた。
ある者たちは、自らの商会で雇っている使用人のことを思い出した。荷運びの男たちを……誰にでもできる単純な仕事を任せている者たちを、ただ、重たいものを運ぶしか能のない者たち、と自分たちは見下し、ある種の家畜のように扱ってはいなかったか……と。
あるいは、ある者たちは、より具体的に過去の出来事を思い出していた。
古びた孤児院の扱いについて、雨風を避けられる建物と、毎日、食べる物を与えておけばよい……と、ごく潰しの弱き者たちなど、生かしてもらっているだけで十分で、気遣う必要もなければ、文句を言う資格すら彼らにはないのだと……そんな風に思ってはいなかっただろうか……それがもとで、ルシーナ司教と意見が対立したことはなかったか……と。
そして、彼らは思い至る。
なぜ、この局面でミーアがこのようなことを言っているのか……。
――ミーア姫殿下は、諭そうとされているのか? 人をどのように扱うのかを……。そして、おそらくは、ルシーナ司教と対話して、彼との付き合い方を教えてくれているのではあるまいか……。
……ミーアの思いとは裏腹に、商人組合に属する商人たちの間では、ますますミーアへの信頼が高まってしまっていたのだが……。
そんなこと、知る由もないミーアであった。