第百四十五話 娯楽に閉じ込めて……
旗を背に、二人の聖女は、互いの無事を祈り合ってから歩き出した。
片や、正真正銘の聖女、ラフィーナ・オルカ・ヴェールガは、ルシーナ司教を引き連れて、ミラナダ王国、並びにポッタッキアーリ候の軍のほうに。
片や、帝国のご当地聖女にして、大陸の食の聖女――略して『大食聖女』と一部で称される、ミーア・ルーナ・ティアムーンは、避難した民のほうへ。
互いに語るべき言葉を携えて、二人の聖女は進んでいく。
途中でアンヌと合流したミーアは、ルードヴィッヒとアンヌを従えて、橋の南側、集まって見学していた住民たちのところまで歩いて行った。
「みなさん、ご機嫌よう。わたくしは、ティアムーン帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ」
避難を指揮していた皇女専属近衛隊の者たちは、ミーアの声が聞こえる位置まで、住民たちを誘導し、その後、音もなくミーアを守る位置へと移動する。さりげなくも完璧な動きに、注意をひかれる住民たちはおらず……。
優秀な護衛に守られながらも、ミーアは話を続ける。
「大規模な避難訓練、お疲れさまでした。みなさまのご協力で、一人の怪我人もなく終えることができましたわ」
と、そこで、ミーアは一度言葉を切る。人々の顔をゆっくり眺めてから小さく笑みを浮かべた。
「ふふふ、不思議そうな顔をしている方がおりますわね。なぜ、この場面で帝国の皇女が出てきたのか、と、そんなところかしら?」
くすくす、と笑ってから、ミーアは続ける。
「そう不思議がることもありませんわ。実は、今回の訓練には、我が帝国の近衛隊も協力させていただいておりましたの。ここにいる彼らはわたくしの専属近衛隊ですし、あの橋の上で戦っていた片方の騎士は、我が国の誇る最強の騎士なんですの。ちなみに、侵攻軍役としては、ミラナダ王国軍、並びにレムノ王国侯爵、ポッタッキアーリ候の軍が協力してくださっておりますわ。もちろん、ルシーナ司教と商人組合の要請を受けて、ですけど……」
きっちり予定通りであったことを強調。あくまでも、セントバレーヌに対する侵略行為などなかった、という体で続ける。
「そして、今回、訓練にご協力くださったみなさまを労うため、と言いますか、少しでもお楽しみいただこうかと思いまして、訓練の仕上げに、橋の上での決闘を演出させていただきましたけれど……、みなさま、お楽しみいただけましたかしら?」
ミーアの声に、ところどころから、興奮した様子の歓声が上がった。
見栄えの良い鎧を着て戦うディオンと全身金属鎧のギミマフィアス。二人の達人の戦いは、すさまじい迫力と洗練された美しさを秘めた、素晴らしいものであった。
それが、訓練の終わりに披露された娯楽的な剣舞であったといわれれば、納得してしまうのも無理のないところだろう。
ミーアは、住民たちの顔が明るいのを確認してから、深々と頷いて、
「ところで、みなさまのお手元に避難計画書が行き渡っていると思いますけれど、その裏にある宣伝を読んでいただけましたかしら?」
唐突な問い。人々の顔に、一瞬、疑問の色が浮かんだ。
「実は、わたくしのお抱え作家が、この度、本を出版することになりましたの。タイトルは『貧しい王子と黄金の竜』ですわ。あの旗、見えますかしら?」
ミーアは、先ほどまで自分たちがいた建物を指さす。そこでは誇らしげに、ミーアとラフィーナの描かれた旗がはためいている。
「あの旗に描かれているのが、イメージ図ですわ。自らの持つ財宝を貧しい人々に与えたがゆえに貧しくなってしまった王子と、黄金の竜との冒険物語で……」
ミーアは、そこで、滔々と語り出す。
貧しい王子と黄金の竜に対する熱い熱い絶賛レビュー! まったくもって隠す気のないマーケティングを展開してから、ミーアは小さく咳払い。
「そして、実は先ほどの橋の上の決戦は、その小説の一場面を再現したものでしたの」
もちろん、橋の上の一騎打ちは、侵攻軍に対する脅し、敵の戦意をくじくためのものだった。
軍事訓練としてみれば、いささか意味不明のアレを誤魔化すため、協力した住人へのご褒美=娯楽の提供という理屈をつけてはみたものの、それでもいささか弱いかもしれない。
だからこそ、ミーアはさらに納得の行きやすい答えを与えようとしていた。すなわち、
「商人組合が企画した訓練に乗っかる形で、自分のお抱え作家の小説を宣伝しようとした」という答えを……
「ということで、ぜひ、みなさんもお読みいただいて、面白ければご友人や、取引に行った先の国の人にも、教えてあげて欲しいんですの」
ここ、セントバレーヌは商人の町。ゆえに、そこに住む住民たちも、商売に絡めた答えを与えてもらったほうが受け入れやすいだろう、と、ミーアは考えていた。
さらに……。
――わたくしのほうも利を求めてやったこと、としておいたほうが牽制になるのではないかしら……黄金の像の建造に対して……。
そうなのだ、ミーアは、きちんと覚えていた。
このセントバレーヌにやって来た理由……。自身を神格化する危険な空気のことを。
――もしも、戦争をわたくしが止めたなどという評判が広がってしまえば、商人組合がヤバイことを言い出すかもしれませんわ。このセントバレーヌの平和を祈念して、わたくしの黄金像を立てるとか、なんとか……ものすごぉく言いそうですわ!
正確に、将来起こり得る危機を予測する、帝国の叡智ミーア・ルーナ・ティアムーンである! そして、そうはさせじと、先手を打ったのだ。
と、そこまで考えたうえで、ミーアはふと思う。
――しかし……わたくしのワガママで、推し本を勧めようとしているだけ、と考えられると、反感を持たれて逆に売れなくなってしまうかもしれませんわね。ふむ……。ここは、少し……。
っと、ミーアは、少しだけ生真面目な表情を作り……。
「わたくしはこう思いますの。人には楽しみが必要である、人の心には喜びが必要である、人が生きるためには娯楽が不可欠である……と」
厳かに、朗々と、ミーアは語り出した。