第百四十二話 見事な旗ができました!
――はて……旗とはなんのことでしたかしら?
一瞬、首を傾げるミーアであったが……次の瞬間、背筋に寒気が走った。
――まっ、まさか、あの、例の肖像画のことなんじゃ……?
そうなのだ、ミーアが考えごとをしていたため、ほとんど聞き流していたことだが……。訪ねてきたシャルガールから旗の話をされた時、ミーアはそれを聞き流し、あろうことか、反射的に、いいね! などと笑みを見せてしまっていたのだ。
その結実が、今、目の前に広げられようとしていた。
シャルガールは、嬉々として、旗の図柄を見せようと、くるくる、巻かれた旗を開こうとする。
――ま、まま、まずいですわ。あれは、わたくしが自らを神格化させようと思われても仕方ない代物。それに、下手をするとラフィーナさままで、敵に回してしまうかも……っ!
ミーアは慌てて、シャルガールに手を伸ばす。
「ちょっ、まっ!」
なんとか止めようと、声をかける。が……。
「じゃじゃーんっ!」
遅かった……。シャルガールは意気込んで、その旗を広げた。
「お……おお……」
ミーアは、思わず呻いた。
それは、実に……実に見事な旗だった。
描かれた絵の迫力はそのままに、その周りにド派手な装飾が施されていた。旗の棒の先端には、輝く月と魚のエンブレム。肖像画の周りには、キラキラ、キラキラ、輝く金糸。
――ああ、シャルガールさんってば、絵を描くだけじゃなくって、刺繍的なこともいけるのですわね。
なぁんて、現実逃避気味に感心していると……。
「ミーアさん……あれは……ナニ?」
ミーアを現実に呼び戻す、涼やかな声……。
ぎくしゃく、っと振り返れば……ああ、ラフィーナが温度のない笑みを浮かべていた。その笑みは、どこか、前時間軸のラフィーナの姿を彷彿とさせて……ミーアは久しぶりに、背筋が凍り付くのを感じる。
――あ、ああ、まずい、まずいですわ。ラフィーナさまの内に眠る獅子が、目覚めようとしておりますわ! なな、なんとか、誤魔化さねば……。
ミーアは、考え……考え……考えて……っ!
――あっ、駄目ですわ……なぁんにも、思い浮かびませんわ!
ミーアが諦めて、サラサラ―ッと砂になって崩れ落ちかけた……まさにその時だった!
「おお、すごいです! ミーアお祖母さま、まるで、貧しい王子と黄金の竜の一場面みたいですね!」
ベルの能天気な言葉……瞬間っ! ミーアの脳裏に、閃きが駆け巡る。
ミーアは改めて、その肖像画……否、旗を見る。
キラキラと、体の周りに黄金を散らす旅装のミーアと、赤い、鱗のような鎧を身にまとうラフィーナ……。なるほど、それは、自らの黄金を周りに施し、貧しくなった王子と人の姿をとったドラゴンに見えなくもなくって……。
ルードヴィッヒから聞かされている作戦、橋の上での一騎打ち。
軍事訓練という擬装……女神肖像画とド派手な旗……っ!
すべてのピースを繋ぐもの……。それは『貧しい王子と黄金の竜』
「ええ、実は、そうなんですの……」
ミーアは厳かな顔で、頷いた。
それから、とりあえず、話が面倒になるから、とシャルガールを労いつつ、いったん退出させてから、ミーアは考えを整理する。そうして……。
「ルシーナ司教には、謝らねばと思っておりましたの。誤解させてしまったことを、ね。あ、もちろん、ラフィーナさまにも、ですけど……」
深々と頭を下げてから、ミーアは言った。
「実は、例の女神肖像画……手違いがございましたけれど……わたくしが依頼して描かせたものでしたの」
そう言ってから、ミーアは素早くラフィーナに目配せする。っと、ラフィーナは、いろいろ言いたげな顔をしていたが……。
「そう……。そういうこと、なのね」
そういうことにするのね……という感じで頷いた。
「……どういうこと、でしょうか?」
対して、ルシーナ司教の顔には隠しようのない困惑があった。ミーアは、ちょっぴりバツの悪そうな顔をして……あえて、そう見えるような表情を作って、言った!
「あの肖像画は、いわば試し。シャルガールさんの腕前のほどを確認するためのものでしたの。そして、その目的は……」
意味深に言葉を切って、一瞬、間を作ってからミーアは続ける。
「物語の挿絵を描いていただくため、ですわ」
「物語の、挿絵……?」
ルシーナ司教が目を瞬かせる。
「そう。わたくしのお抱え小説家、エリス・リトシュタインの処女作『貧しい王子と黄金の竜』の挿絵ですわ」
そうして、ミーアは、話し始める。
民の間に蔓延しつつある不安感、それを払拭するために、物語と新しい小麦の調理法を広めようとしていること……。
「ただ、イメージが難しいお話なので、誰でも描けるというものではない。ということで、絵描きを探しておりましたの。そして、それっぽい絵を描いていただいたのですけど、手違いで、商人の方の手に渡ってしまい、勝手に女神などと、恐れ多い題名までつけられてしまいましたの。蛇の関与や、民草の暴走などではない。あくまでも、わたくしのミスによって生み出されたものですわ」
「では、ミーアさん、その旗は?」
ラフィーナが怪訝そうな顔で聞いてくる。それに頷いてから、
「これは、その小説のイメージを描いていただいたもの。ラフィーナさまと、わたくしを作中人物のモデルにしてもらいましたの。肖像画家として描き慣れたラフィーナさまと、その友である、わたくしを……」
友である、を強調する。
お友だちだから、大目に見てね、許してね……という意味を言外に込めて……。
「お友だち……そう。確かに、ミーアさんに読ませてもらったあの物語の中の王子と竜とは、とても良いお友だちだった……あの関係を表すのに、私とミーアさんを、ね……ふふ、そう」
眉間に皺を寄せ、しかつめらしい顔で腕組みするラフィーナ……であったが、口元が微妙にムズムズしている。こう、笑うのを堪えるような、ちょっぴり複雑な顔だった。
これでラフィーナのほうは大丈夫かも、と思っていると……。
「でも、どうして旗に……?」
ラフィーナから、追加で質問。それに対して、ミーアは再び真面目くさった顔で頷いた。
「それは、もちろん振るためですわ。振って人々の目を惹くため、ですわ」
そうして、ミーアは、ルシーナ司教のほうに目を向ける。
「ところで、ルシーナ司教、確認いたしますわ。ミラナダ王国、並びにポッタッキアーリ候に与えていた大義名分、それを取り下げていただくということで、問題ないかしら?」
その問いに、ルシーナ司教は、ハッとして……それから、深々と頭を下げる。
「そう。ならば……すべての問題を一気に解決するとしましょうか」
格好よくニヤリと微笑み、ミーアは巨大な旗を抱え……ようとして、フラついた。
微妙に締まらない、いつものミーアであった。




