第一〇六話 激おこ! ミーア姫!!
「ずいぶんと、突然だな。ミーア姫」
思ってもいなかった問いかけに、シオンは考え込んでしまう。
――その可能性は考えなかったが……。
迷いは一瞬、それからシオンは言った。
「もしも、アベル王子が民衆の弾圧に加担して、その剣をふるったのであれば……、そうだな、俺は彼に剣を向けなければならないかもしれない」
それは、ぶれることのないシオンの信念だった。
幼き日より大国サンクランド王国の王子として育てられた彼は、公正たれと育てられてきた。目の前で悪をなす者を放置するなど、できることではない。
けれど、
「場合によってはアベル王子を斬ることがあると、それがあなたのお考えですの? シオン王子」
その言葉には、さすがに即答しかねた。
アベル・レムノとは、そこまで深く付き合いを持っていたわけではない。ないが、それでも、セントノエル学園での日々は、アベルを友人と呼んでも差し支えのないだけの情を、シオンの中に育んでいた。
そんなアベルを、斬ることができるのか?
そこに躊躇はないのか?
小さな迷いに心を揺らされながらも、シオンは答える。
「そうだな。そういうこともあるかもしれない」
それから、彼にしては珍しく言い訳のように付け足した。
「けれど、それは仕方がないことではないか? アベル王子が選択したことであり、俺にはどうすることもできない」
悪をなした者に適切な裁きを与えること。公正を貫くことは、国を統べる王族としての義務だ。
それは幼き日より、シオンが教え込まれてきた自己を律するルールで……。
「仕方がない、どうすることもできない……、本当にそうかしら?」
だけどミーアは……、帝国の叡智と称される目の前の少女は、そう言った。
「違うとでも言うつもりか?」
問いかけるシオンの声は固かった。
一瞬、彼は思ったのだ。もしかすると、ミーアは恋心……私情で、アベルをかばおうとしているのではないか? と。
だが……、
――いや、違う。
すぐさまシオンは否定する。ミーアの瞳に宿る光に気づいたから。
そこにあったのは、すがるような色でも、悲しみでもなく……。
怒り……。帝国の叡智が、シオンの言葉に怒っていた。
「あなたのお言葉は、そうならないように努めた者のみが言える言葉、そうではございませんか? シオン王子」
貫くようなミーアの視線を受けて、シオンは息を呑んだ。
仕方なく相手を裁く。相手が悪をなしたから断罪する。
シオンにとって当たり前の、その価値観に、ミーアは疑問を呈していた。
それでは、あなたは……、仕方がないと言うあなたは……、相手が悪をなさないように、どのような努力をしたのですか? と。
シオンは、レムノ王国の窮状を知らないわけではなかった。
夏休みの間も、レムノ王国内に潜伏した諜報員から情報を得ていて、不穏な空気は感じていた。
あるいは、自国が軍事介入することもあるかもしれないと覚悟していた。
けれど、それだけだ。ほかには何もしなかった。
民を苦しめたことを断罪する、正義の言葉を吐きながら、民が苦しまずに済むように働きかけることは一切しなかった。
そんな自分に、アベル王子を断罪する、その資格があるのか……?
シオンの心のうちに、大きな迷いが生まれつつあった。
それと同時に疑問も一つ。
――ミーア姫がアベル王子のところに向かっているのは、もしかして、ただ会いたいからではなくって……、彼が悪をなすことを防ごうというのか?
それは、すなわち……、
――まさかとは思うが、レムノ王国で起きつつある革命を止めようとでもいうのか? そんなことが、本当に可能なのか?
黙ったまま、炎を眺めるミーア。
その静かな横顔に、シオンは畏怖を覚えつつあった。
……まぁ、言うまでもないことだが、革命を止めるプランなどミーアにはない。
シオンの信条とか、ぶっちゃけた話、知ったこっちゃなかった!
では、何にミーアが怒っていたかというと……。
――仕方ないで片付けられたらたまりませんわっ!
これである。
なるほど、確かにあの時のティアムーン帝国は酷い状況だった。民たちは、帝室や門閥貴族を恨む理由があったし、他国の批判も甘んじて受け入れるべきではあっただろう。
だけど……、とミーアは思うのだ。
――革命が起きたり、ギロチンにかけたりする前に、一言ぐらい注意とか、警告とか、あってもよろしいんじゃないかしらっ!
同じ学校に通っていたわけだし、せめて注意ぐらいはしてもらいたかったのだ。
君の態度、よくないよ! とかなんとか言ってくれれば、もしかしたら、何かが変わったかもしれないではないか。
それを、手遅れになった時に颯爽とやってきて「やむを得ず断罪する!」「君自身の行いの報いだ!」なぁんて、したり顔で言われた日には腹が立ってしょうがない。
――やっぱり、こいつ嫌いですわ!
腹の中でプリプリ怒りまくるミーア。
その頭には、翌日以降のプランは一切ないのであった。