第百三十六話 ミーア姫、しかつめらしい顔で首肯す
急報に、一瞬、立ち上がりかけたラフィーナだったが、自分を落ち着けるように、小さく息を吐いて、座り直す。それから、ミーアのほうにそっと目を向けてきて。
「ミーアさんが大丈夫、というのであれば、きっと大丈夫なのでしょう。私も信じるわ」
涼しげな笑みを浮かべる。
その声には、微塵の動揺も感じられない。
万が一にも戦火が広がれば、セントバレーヌ全体を焼き尽くす業火となるであろうことを承知であろうに、その表情は相変わらず穏やかなものだった。
それは、すべてミーアの言葉を信じ切っているから……。
そのことを察して、ミーアは、背筋につめたぁい汗が垂れるのを感じる。
――ほっ、本当に大丈夫かしら……。いえ、大丈夫だと思いますけど……でも、ルードヴィッヒって時々、わたくしにとっておきの秘策があると思い込んでることがございますし……大丈夫かしら?
などと、内心で焦るミーアを尻目に、ラフィーナはルシーナ司教に視線を向けて……。
「ところでルシーナ司教……、ミーアさんの今の言葉、その在り方……きちんと見ていたかしら?」
静かに問うた。その声は、清く、汚れなき厳格さを持ったものだった。
「どういう、意味でしょうか……?」
一瞬、その言葉の意味を捉えかねたのか、怪訝そうに眉をひそめるルシーナ司教に、ラフィーナは続ける。
「ミーアさんは、自分の家臣に任せておけば大丈夫、とそう言ったわ。それは、家臣を心から信頼して、託したということ……。ミーアさんは大切な家臣を信じたということ……」
そこで、ラフィーナは静かに首を振った。
「いいえ、それだけではなかったわね。ミーアさんは、あなたの娘であるレアさんを信じて、私のもとに送った。レアさんなら、私の代理として回遊聖餐の職務を果たせると、そう信じたゆえでしょう……そうよね、ミーアさん」
突然、話を振られたミーアは、一瞬、え? と思いかけるも……むっつりとしかつめらしい顔を作って、首肯する。
腕組みして眉間に皺を寄せた、大変、厳格な表情であった。
――うん? そうだったかしら……?
なぁんて疑問は、もちろん顔に出すことはない。とりあえず、ラフィーナがこう言ってるんだから乗っておけ、の精神である。波が来た時には、信じて、素直に身を委ねるミーアなのである。
「そもそもの始まりは生徒会長選挙だった。私はミーアさんが生徒会長を続けるのが良いと思っていた。でも、ミーアさんはレアさんを見出し、彼女を信じて託した。レアさんならば、その重責を担えると、成長できると……そう信じて……それこそが、ヴェールガ公国の、いえ、大陸の未来のためになるから、と考えたから……そうよね、ミーアさん」
再度、話を振られ、ミーアは、うんうんっと頷く。
うん……うん? っと思っていはいたが、一度乗ってしまった波である以上、途中で降りることは難しい。
たとえ、自身を天空に投げ出し、本物の月にしてしまうような高波であっても、否、そうであればこそ、もう降りることはできないのだ。不幸なことに……。
ラフィーナは、それから、リオネルのほうに目を向ける。
「それだけじゃない。ミーアさんは対戦者であったリオネルさんも生徒会に入るようにした。リオネルさんが成長することを信じて……そうだったわよね、ミーアさん」
そうだったかしら? などとは思っても、無論、顔には出さない。
さも、その通り! とばかりの顔をして、頷く。頷く。
ただただ、眉間に皺を寄せた、硬く、まじめーな顔で頷く、頷く。
それを見て、嬉しそうに微笑んだラフィーナが、続ける。
「その結果が、今の状況よ。ルシーナ司教。ミーアさんは信じた。その結果、レアさんやリオネルさんを味方につけ、私はここに来ることができた。そして……」
責めるでもなく、怒るでもなく、ただ澄み渡った瞳で、ラフィーナはルシーナ司教を見つめる。
「ルシーナ司教、あなたは、それができなかった。あなたは間違っている。伯爵として、為政者として、政を司る者としてではないわ。あなたは、司教として間違っている。信仰者として……あるいは、親として間違えてしまっている。あなたは……」
そこで、ラフィーナは一度、言葉を止める。言いづらそうに、唇を噛んで、悩ましげな顔をしてから、それでも大きく息を吸って、吐いて……。
ラフィーナは厳かに告げる。
「あなたは誰のことも信じることができていない。愛する家族すらも……そして、おそらくは、信頼すべき友人たちも……。そのような在り方が、神から愛し合うように造られた『人間』の正しい姿とは思えない」
そう指摘した後、ラフィーナは無言でルシーナ司教を見つめた。
まるで鋭い矢のような、射抜くような視線――を横から見ていたミーアは、思っていた。
――こ……こわぁ……。
っと。
――やっぱり、ラフィーナさまとは敵対したくありませんわね。お友だちで良かったですわ……。しかし、よくよく考えると、間違えを指摘してもらえる分、ルシーナ司教は幸せとも言えますわね。わたくしの時にはなにも言ってもらえませんでしたし……。そう考えると、ちょっぴりズルいような……。
などと、恨めしげな視線を向けるミーアであった。
まぁ、それはさておき……。
「……ご指摘痛み入ります。確かに、我が子たちのことを、私は信じることができていなかったようだ。あるいは、友人たちのことも、あるいはそうなのかもしれません。私は弱く罪深き者ですから。それは、この場で悔い改めましょう」
微かに動揺に震える声で、ルシーナ司教は言った。が……。次の瞬間に顔を上げ……。
「ですが……それと、セントバレーヌのこととは、何の関係も……」
「すべての国がヴェールガ公国のようである必要はない」
遮るように断固たる口調で、ラフィーナは言った。それから、上目遣いにルシーナ司教を見つめ……。
「それは、他ならぬ神聖典に書かれていることではないかしら?」
静かに問いかけた。




