第百三十五話 物語のような戦いを~英雄譚、二人の射手~
セントバレーヌの一角……。少し背の高い建物の屋上に、二人の少女が立っていた。
矢筒を背負い、目立たぬ色の外套に身を包んだ二人……ティオーナとリオラだった。
その見下ろす先には、今にも燃え落ちそうな橋があった。
踊る炎のそのまた向こう、立ちつくし混乱の表情を浮かべる軍の指揮官と思しき男。さらに、そのそばには見覚えのある青年の姿も見えて……。
「あれは、ゲイン王子……それに……」
そのすぐ後ろに、全身を金属鎧に包んだ一人の騎士の姿を認めて、ティオーナは頷いた。
「あれが、レムノの剣聖ギミマフィアス」
レムノ王国の……否、この大陸の最強の剣士の一人。
アベルから彼のことを聞いていたティオーナだったが、いざ実際に見てみると、遠目でもわかるほどの強者の風格を備えた騎士であることがよくわかった。
「こちらの狙いが上手く伝わればいいんだけど……慧馬さんに情報を託したということは、ゲイン王子も今回の派兵には反対のはず……であれば……」
そっと唇を舐めて、気持ちを切り替える。
いずれにせよ、こちらでやることは変わらない。
弓を静かに持ち上げる。
緊張に手が汗ばむ。
失敗の恐れに手が震える。
深く息を吸う、一度、二度。
深呼吸を繰り返し、体から硬さを取る。
気負いはあった。でも、嫌な気分ではない。
ミーアの護衛としてついてきた以上、場合によっては、誰かを傷つけ、殺さなければならないという決意はあったし、自分が傷つき殺されるかもしれないという覚悟もあった。けれど、ミーアが求めたのは殺し合いではなく、物語のような戦争。
人々の心を躍らせる英雄譚。
なれば、その求めに応じ、ティオーナもまた、身につけた技を振るうのみ。
もう一度、深く息を吸う。一度、二度、三度。
ゆっくり深呼吸をしてから、弓を構える。
それは普段、彼女が使っているものより、さらに長い弓だった。
矢をより遠く、より強く飛ばすための長弓。引き絞るのに力がいるその弓は、ここ最近、彼女が練習していたものだった。
「ティオーナさま、風向きはちょうどいい、です。狙いを少しだけ左にズラす、です」
横で、同じく弓を構えるリオラが指示してくれる。それを受け、わずかに調整。目をすがめ、狙いをつける。
息を吸って、吐いて、吸って……止めて……。
「行くよ」
「どうぞ、です」
短いやり取り。刹那、ティオーナは矢を放った。
美しい軌道を描き、天空に放たれた矢。高い風切り音を上げ、弧を描くように向かう先、それは、馬上の指揮官のほうだった。
わずかに狙いを外すように放った矢は、けれど、流れるように剣を振るった騎士、ギミマフィアスによって斬り落とされた。
「よかった。食いついた」
安堵の吐息、直後、隣のリオラも矢を放つ。その数、続けて三本。一呼吸に放たれた矢は、今度は一直線にギミマフィアスのほうへと向かっていく。
金属鎧に当たるよう、今度はしっかりと狙いをつけてある。
さらに、ティオーナも再び一矢。
騎士を襲う四本の矢。されど、彼は難なくそれらを斬り落とし――否! リオラがさらに続けて放った三本……その直後、息を合わせ、ティオーナとリオラが同時に二本! その内の一本に剣が間に合わず……ギミマフィアスが鎧の小手でそれを叩き落とした!
それは、護衛の騎士としては至極当然で、あっぱれな動き。されど……剣一本で生きてきた達人にとっては屈辱的な敗北。
まして……その叩き落とした矢が矢文であったとするならば、なおさらのこと。
「やった、リオラ、上手くいったよ」
ティオーナは思わず、安堵の笑みを浮かべた。
彼女たちに課された役割は二つ。
一つは、言わずもがな、文を届けるということ。中央の橋における一騎打ち、それによりこの戦の雌雄を決さんとする、その果たし状を送り届けること。
今一つは、こちらに侮りがたい射手がいることを、相手に印象付けること。橋の上の酒樽を撤去する余裕などないことを、相手にわからせること。
そして……欲を言えばもう一つ。
それは、ギミマフィアスの誇りに傷をつけ、名誉を挽回する機会を橋での一騎打ちに求めるよう、誘導すること。
そのすべてに成功した、とティオーナは一瞬喜んだが……彼女の従者にして、弓の師でもあるリオラ・ルールーは、むーっと不機嫌そうに眉をひそめていた。
「いえ、あれは、わざと、です……」
「え……?」
驚きに目を見開くティオーナに、リオラは小さく首を振って、
「何の手応えもなかったので、やろうと思えば簡単に剣で防げた、です。たぶん、矢の先が潰してあることも、矢文を放ったことも、音でわかってた、です。こっちの狙いに気付いてる、です」
ふん、っと不機嫌そうに吐いて、ギミマフィアスのほうを恨めしげに睨んでから、
「でも、こちらも殺さないようにしていたから、引き分け、です」
負けず嫌いにもそんなことを言った。
そんなリオラに、ティオーナは思わず苦笑いを浮かべてから、
「なにはともあれ、これで、あの人がミーアさまの思惑の通りに動いてくれれば……」
祈るように、ティオーナはそっとつぶやくのだった。




