第百三十四話 物語のような戦いを~飛来する矢と剣聖と~
古来、戦はある種の娯楽であった。
多くの人が血を流し、あまつさえ命を落とす者すらいる、そのようなものに楽しみを感じてしまう……それは愚劣なる人間の持った罪深き性質を表す良い証左であるだろう。
けれど……。
帝国の叡智、ミーア・ルーナ・ティアムーンは、その戦の愚劣さを物語に閉じこめ、完全なる娯楽へと変えようとしていた。
その物語の開幕は、進軍の太鼓によって幕を開けた。
「レムノ王国軍、及び、ミラナダ王国軍、進軍開始です。セントバレーヌの北東、北西より南下。町に侵入してきます」
報告を受け、ルードヴィッヒは眼鏡をクイッと上げる。
「予定通り、橋を燃やすよう準備を」
指示を出しつつ、ルードヴィッヒは改めて地図を見た。
恐らく……この町を設計した者は、外部からの侵攻があった際、張り巡らされた運河を利用して迎撃することを考えていたのではないだろうか? 運河を城の堀として利用するつもりだったのではないか? と、そう思わせるほど、運河の通し方が絶妙であった。
「足止めだけならば容易い。ただ、敵を追い返すだけなら、ディオン殿に率いられた皇女専属近衛隊ならば、十分にやってのけるはずだが……」
彼らが求めるのは、その上。
帝国の叡智の求める戦い。後々に、禍根を残さぬ戦い。
命懸けの戦いがあったということすら否定する……そのような戦いだった。
「そのためには、誘導が必要だが……さて、上手く行くかな……」
ポッタッキアーリ軍とミラナダ王国軍は、整然と足並みを揃えて進軍した……わけではなかった。
実際のところ、両軍にそこまでの連携は望むべくもなく。特に、ミラナダ王国軍は、農民からの徴用も多く、さらに、帝国皇女ミーアの存在が、その足を鈍らせていた。
だからこそ、ポッタッキアーリ候の軍が先行すると申し入れてきた時には、司令官は歓迎した。
しかし……同時に不安もあった。もしかすると、功績を独占され、取り分が減るかもしれない。
求めるものは、自国に対する優先的な食料の輸送。不作が続けば、死活問題となる権益である以上、妥協は許されぬ。
ミラナダ王国を率いるビアウデット伯爵は悩みつつ、自身と、護衛の兵士数名を率いて、ポッタッキアーリ候のもとに赴き、同行を申し出る。
一方、ポッタッキアーリ候の側にもまた、懸念すべき事情があった。
成り行きで同行することになった第一王子ゲイン・レムノの存在である。
「ただでさえ、セントバレーヌの抵抗力を削ぐことに失敗したのだ。これ以上の失態は許さぬ。他国の軍に後れを取ることは許されん」
王位継承権一位の王子の前での無様は許されぬ、とばかりに気合が入る……と、いうよりは、気合を入れざるを得なくなったポッタッキアーリ候である。
ゆえに、彼は自ら軍を率いて、前線に出て指揮を執ることを宣言。ちょうどそこに、ミラナダ王国軍から使者が訪れる。
「ミラナダ王国より、司令官ビアウデット伯がいらっしゃいました。我らの軍に同行したいとのことですが……」
「そうか。まぁ、何もせずにいたと言われたくはないだろうからな。両軍揃っての進軍を、ルシーナ司教もお望みだったことだし、いいだろう。認めよう」
さて、そんなわけで、ポッタッキアーリ候とビアウデット伯、さらに、王子ゲインを加えたポッタッキアーリ侯軍は前進。急進し、奇襲を仕掛けるような真似はせず、堂々たる行軍を見せつける。
あえて、降参を申し出る時間を作りつつの進軍であった。のだが……そんな彼らを出迎えたのは、あっさりと燃え落ちる橋だった!
煌々と赤い炎を上げる橋を前に、ポッタッキアーリ候があんぐーりと口を開ける。
馬を並べるビアウデット伯も、思わぬことに言葉を失っていた。
「なっ! なな、なんということを!」
悲鳴を上げるポッタッキアーリ候のもとに、焦った様子で兵士が走って来た。
「報告! 先行した斥候によると、すべての橋に同じように酒樽が置かれ、塞がれているとのことです」
「なっ、ななな、なん……」
「落ち着け。ポッタッキアーリ候。燃やされる前に、酒樽を取り除けばいいだけのことだ」
ゲインに言われ、ポッタッキアーリ候はハッとする。
「む、無論でございます。おい、どの橋の酒樽をどければいいか、斥候と……」
っと、その時だった。
遠く、どこかから、風切り音が迫ってきた!
盾になるように、前に出たのはギミマフィアスだった。剣を引き抜き無造作に一振り。飛来した矢を斬り落とす。
「……はて、今のは……むっ!」
さらに続けて三本の矢。ほぼ同時に向かい来るそれらを一閃、二閃、三閃。
まるで、舞を舞うがごとく、流れるような身のこなしで斬り落とす。その目は、なぜか、斬り落とした矢の先端を見ていた。
さらに、風切り音。一つ、二つ、否、四つ! 続いて二つ!
飛来した四本を難なく斬り落とし、直後、ギミマフィアスが剣から片手を外す。片手持ちの剣で一本、空いた右腕の小手で、もう一本の矢を叩き落とした!
そうして彼は、
「おおう! レムノの剣聖たる吾輩に剣ではなく、腕で受けさせるとは。敵にはなかなかの射手がいるようですぞ!」
どこか、ちょっぴり芝居がかった様子で言った。
「お……おお、あ、危ないところを感謝いたします。ギミマフィアス殿」
ポッタッキアーリ候が、震え慄く声で言った。その隣、馬首を並べたミラナダ王国の者たちも恐々とした視線を向けてきていた。
「お褒めいただいたところ誠に恐縮ながら、おそらく敵には殺すつもりがなかったようですぞ」
そう言って、ギミマフィアスは落ちた矢を拾い上げた。矢の先端、矢尻は潰されて丸くなっていた。これでは、よほど当たり所が悪くなければ鎧を刺し貫くことはできなかっただろう。
「いや、しかし、今回は脅しだとしても、次も同じとは思えませぬ。あれほどの弓の射手がいては、酒樽を撤去している間に狙い撃たれてしまう。おのれ……」
忌々しげに舌打ちするポッタッキアーリ候に、ゲインが意地の悪い笑みを浮かべた。
「そうだな。まぁ、橋を先に燃やしてしまうというのも一つの手かもしれんが……」
「そっ、それはなりません。ルシーナ司教との約束で、施設にはなるべく被害を出さないように、と……」
「やれやれ、ずいぶんと良いように動かされているようだな」
呆れたようにため息を吐くゲインに、ギミマフィアスが拾い上げた矢を手渡した。その矢の先端には、文が結び付けられていた。
「ほう、これは……」
文を一読したゲインは、不機嫌そうな顔をポッタッキアーリ候に向けて……。
「ポッタッキアーリ候、どうやら、この軍の斥候の者たちの目は節穴だな」
「は……? え、いや、それは、どういう……」
「酒樽に封鎖されていない橋があるようではないか」
ゲインは、意地の悪い笑みを浮かべてから、ギミマフィアスに目を向けた。
「どうやら敵は、一騎打ちをご所望のようだぞ、ギミマフィアス」
「ほほう、なるほどなるほど。先ほど、剣を手放してしまった失態を、埋め合わせる機会が早々に頂けるということですかな……」
ギミマフィアスは、ニヤリと獰猛な笑みで答えた。