第一〇五話 ダメな大人のお姉さん
河原にパチパチ、と火が爆ぜる。
夜の闇をぼんやりと照らし出す炎は暖かで、ミーアは思わず安堵の息を漏らした。
「とりあえず、これで風邪をひくようなことはなさそうですわね」
レムノ王国は北方の国ということはないものの、毎日熱帯夜が続くような南国ということもない。
体が冷えては体調を崩しかねない。ということで、二人は早々に焚火を起こしたのだが……。
「それにしましても、まさか火おこしができるとは思ってませんでしたわ」
「……まぁ、狩猟に行くことはあったからな。その時にいろいろと教わったんだ」
そう答えるシオンはなぜか、そっぽを向いていた。その頬はほんのり赤い。
それもそのはず、二人は濡れた服を乾かすために肌着のみになっているのだ。
シオンはなるべくミーアの方を見ないように、目を逸らしているのだった。
紳士である!
一方のミーアは、といえば、抱えた膝の上にあごを乗せたまま、シオンを眺めていた。
――あら、可愛らしい反応ですわ!
完璧超人なシオンのウブな反応にご満悦だった。
もちろんミーアとて恥ずかしくないわけではない。濡れた肌着のみの姿を異性に見られれば羞恥心だって刺激される。
けれど、そうはいってもシオンは十二、三歳の少年。対してミーアの中身は二十歳。否、転生してから一年が経とうとしているので、二十一歳である。
大人のお姉さんなのである!
余裕というものがあるのだ。頬をほんのり赤くする完璧美少年をニマニマ眺めていられる大人の余裕というものが!
……ダメな大人のお姉さんである。
「むしろ、俺の方が驚きだった。まさか食べられる野草まで知っているとは。さすがは帝国の叡智というところなのかな」
「うふふ、別に、驚くほどのことでは、ございませんわ」
したり顔で、そんなことを言うミーア。
その態度からは余裕がにじみ出ている。
それには理由があった。何を隠そう、ミーアは森の中で一夜を過ごすという経験をすでにしているのだ。
それは、静海の森での出来事よりもさらに前、前の時間軸でのことだった。
革命軍の手から逃れるため、ミーアは森の中に隠れ潜んだのだ。その時に一緒にいたのは、頼りにならないメイドが一人きり。
――あれは辛い経験でしたわ。
飲み水の確保もできず、食べ物もなく。護衛と離れたものだから、野生の獣も恐ろしく……。
しかも、近くにはすでに追手が来ていたから、誰かに助けを求めることもかなわない状態。
早々にメイドは脱落した。
こんなことに巻き込みやがって、とミーアを罵倒しながら村へと逃げていき、ミーアは一人ぼっちになった。
夜の闇と孤独、渇きと空腹に耐えきれなくなって、近隣の村に出て行ったところで、ミーアは革命軍の手に落ちた。
――あの時と比べれば、こんなのへっちゃらですわ。
何しろ近くに川がある。飲み水の確保は容易だ。
それに、この大陸の森にどんな食べ物があるのか、ミーアはすでに本で調べつくしていた。
ギロチンから逃れることに余念のないミーアは、今や生存術のスペシャリストといっても過言ではないだけの知識を得ているのだ。
食べられる野草、木の実……。
ひもじい思いは当分しなくても済む。さらに極めつけは、シオン王子が近くにいることだ。
――クマや狼が襲ってきたらどうしようか、とあの時は震えたりもしましたが、こいつがいれば一安心ですわ。
心を満たす安心感で思わずニコニコしてしまうミーアである。
さすがに、シオンといえど、クマや狼を相手に戦えというのは厳しいのだが……。
それをつっこむものは、ここにはいなかった。
――それにしましても、こいつがわたくしの護衛をしているだなんて、よく考えると不思議な気がしますわね。
森の方に視線をやっているシオンの、その横顔をぼんやりと眺めながらミーアは思った。
その、憎らしくなるぐらいに綺麗な顔を見ていると、なんだか、ちょっぴり意地悪がしたくなってしまって……。
「ねぇ、シオン王子、お聞きしたいことがあるのですけれど、よろしいかしら?」
ミーアは口を開いた。
「ああ、答えられることなら答えるが……」
一瞬、顔をミーアの方に向けかけて、すぐに背けるシオン。
ミーアは、シオンから視線を外さずに静かな声で言った。
「あなたは、もしもご学友であるアベル王子が、民の弾圧に加担していたら彼を斬りますの?」
「……それは」
「ラフィーナさまに負けず劣らず、あなたは高潔な方であるとお聞きしていますわ。シオン王子。そんなあなただから聞いてみたいのです。あなたは、相手が顔見知りで、友人であったとしても、もし悪に手を染めていたら、その剣で断罪するのですか?」
それは、ミーアがずっと聞いてみたかったことだった。
前の時間軸、シオン王子とティオーナ率いる革命軍は、自分の命を奪った。
なるほど、確かに飢えた民の怒りはわかる。自分を処刑する動機も、たぶん彼らは持っていたのだと思う。
では……、はたしてシオンはどんな気持ちで自分を殺したのか?
ミーアはそれが気になっていた。