第百二十九話 ベル、奥深そうな暗号に触れる
シュトリナの号令の下、ベル探検隊はルシーナ司教の書斎へと向かった。
「手紙があるとしたら、ここでしょうか。もっとも、公務に関係する手紙は教会のほうに保管していると思いますが……」
言いつつ、机の上に目をやった彼は、そこに置かれている分厚い紙の束に目を見開いた。
「それは……?」
「ヴェールガ本国にいる父の友人からの手紙のようです。本国で司教をされている方ですが……」
リオネルは一瞬、躊躇うように手を止めたが、
「……このような事態ですから、仕方ありません」
意を決した様子でそれを開けた。
緊張気味に中を改めた彼は、すぐにふっと表情を和らげた。
「ああ、これは、かつてこの屋敷で育てられた子どもたちからの手紙です」
「これ、全部ですか?」
リンシャが驚きの声を上げた。手紙は、ちょっとした本ぐらいの分厚さがあったからだ。
「人数が多いですから。父は自分の友人たちにお願いして、子どもたちの働き口を探しています。その子どもたちの手紙を、働き口を紹介して下さった方ごとに、こうしてまとめて送ってきてくれるんです」
一番上の手紙を手に取り、リオネルは優しい笑みを浮かべた。懐かしそうに目を細めて……手紙に目を落とし……。
「んっ……?」
その顔に疑問の色が浮かんだ。
「どうかしましたか?」
シュトリナの問いかけに、リオネルは一瞬、考え込んでから……。
「この手紙が……少し……おかしい気がします」
「おかしい……?」
シュシュっと素早く手紙に目を通したシュトリナは、眉間に皺を寄せて黙り込む。さらに、その後ろから覗き込んだベルが……。
「ええと、なになに……。え? 普通の近況報告に見えますけど……」
「いえ……この最後に書かれた聖句なのですが……」
「聖句……?」
きょとりん、と首を傾げるベルに、頷いて……。
「はい。手紙の締めに神聖典の聖句を書くことは、よくやるんです。自分の好きな聖句だったり、最近、励まされている聖句を書く……。教会の孤児院育ちの子や、神父さま、司教さまもやったりすることなのですが……」
その手紙の文面を軽く撫でてから、リオネルは首を傾げた。
「この子が好きな聖句は、よく知っています。けれど、ここに書かれた聖句は、まったく違う……それが少し気になります。確かに、環境の変化で好みが変わることはあると思うのですが……これは……」
納得のいかない様子のリオネルを見て、シュトリナは顎に手を当ててから……。
「ああ……書籍暗号……。そうか……」
小さくつぶやき、シュトリナは目を見開いた。それから、急いで手紙に目を通していく。
「この手紙……リーナも違和感があったの。数字の出現頻度が高いような気がして……。少し不自然なぐらいに……」
リンシャが驚いた様子で、口を開いた。
「その数字に意味がある……つまり暗号である、と?」
「そう……。そして、その数字に意味を与えるのが、指定される書籍」
あらかじめ、ある本を定め、数字によってその本の中の文字を指定することで、相手に情報を伝達するのが書籍暗号だ。
例えば、ミーア皇女伝の一ページ目、一行目、一文字目を暗号の第一文字、同じく、二ページ目、二行目、二文字目を暗号の第二文字、三ページ目の……と文字を指定していき、文章にしていくのだ。
どの本が暗号に使われる書籍であるか、わからなければ、数字だけでは意味が読み取れないうえに、その都度、指定する書籍が変わればその解読は極めて困難なものとなる。のだが……。
「神聖典は、複数の書物の集合体。創世の書に始まり、いくつかの預言書や歴史書、手紙、終末の書などによって構成されている。それを、手紙の最後に書かれた聖句によって指定し、そして、手紙の中に書かれる数字に暗号を送っているのだとしたら……。手紙一枚につき、記せる文字数は少ないけれど、これだけの厚さがあれば情報のやり取りには十分なんじゃないかなって……」
シュトリナは、手紙の中から数字を素早く書き出していく。そうして、リオネルが持ってきた神聖典に照らし合わせて、文字を抜き出していく…っと……。
「すごい、やっぱり、文章になった……!」
ベルが、キラキラと目を輝かせた。
そこに表れたのは、ルシーナ司教の計画が成功することを祈る、という励ましのメッセージだった。
「この調子で読み解いていけば……」
「ううん、駄目……」
答えたシュトリナの声には、けれど、諦念の色が見えた。
「今回の手紙みたいに束になっていればわかるけど、もうすでにバラバラにされてしまっていたら、読み解くのは難しいと思う」
送られてきた時点では、こうしてまとまっていても、読み終わってしまえば、手紙はバラバラになってしまう。仮に手紙自体があったとしても、どの子とどの子の手紙が同じ時期に来たのか、合致しなければ暗号の意味が通じなくなってしまう。
「ある程度なら、文脈を見ればわかるだろうけど……それをしている時間はないかも……」
っと、そんなシュトリナに、リオネルは静かに首を振った。
「ああ、それは大丈夫です。全部、覚えてますから」
こともなげに言ったリオネルに、その場の全員が驚いた顔をした。
「覚えてるんですか? 全部?」
驚愕の声を上げるベルに、リオネルはゆっくり頷いて……。
「? ええ。手紙はすべて読んでます。それに、みんなの顔も覚えています。僕……私たちの大切な家族ですから……」
それから、リオネルの記憶を頼りに、手紙の解読作業が始まった。
そうして、浮かび上がってきた文字を読んだ時……リオネルは天を仰いだ。
「ああ……そう……そういう、ことか……」
そのつぶやきは、どこか寂しげで……。
「セントバレーヌを手にすることの意味……僕は、完全に見過ごしていた。セントバレーヌは大陸有数の港湾都市、その港が生み出す利益にのみ、目を奪われていた」
リオネルは悔しげに歯噛みしつつ続ける。
「要するに、ここは、セントノエルと同じだったんだ……」