第百二十六話 タイムリミット
シャルガールの宿屋で、すっかり疲弊してしまったミーアは、商人組合のほうにも顔を出した。
「ご機嫌よう、ビオンデッティ殿……これは、なにかしら……?」
商人組合の大会議室には、大量の紙類が並べられていた。
「おお、ミーア姫殿下。こちらは、住民の訓練計画案となっております」
「ほほう、これが……」
ミーアはそれを手に取り、満足げに頷いて……それから、裏を見て、ん? と首を傾げる。
「あら、この裏は……?」
「こちらは、以前ご依頼いただいていたものの宣伝の一環です」
それは、ミーアの依頼していた、貧しい王子と黄金の竜の情報だった。商人組合が主催で、試しに読み聞かせを、このセントバレーヌでやってみるらしい。
「物語の盛り上がる部分を載せておくのも良いですわね。敵キャラのサイモンとの橋の上での決闘シーンとか……」
「ほほう、それはなかなか興味深いですな。興味を引くことができるかもしれません。早速、やってみましょう」
深々と感心の頷きを見せるビオンデッティに、ミーアは尋ねる。
「ところで、ディオンさんもこちらに来ていると思いましたけど……」
「ああ、ディオン殿たちは……」
っと、案内されたのは、お馴染み、ビオンデッティ商会の部屋だった。
部屋の真ん中に置かれた大きな地図、その上には、兵を表すのであろう、駒が置かれていた。
「ああ、姫さ……ミーア姫殿下、ご機嫌麗しゅう」
部屋にはディオンのみならず、アベルとシオン、さらにティオーナとリオラの姿もあった。
「まぁ、みなさん、揃ってましたのね……。これは……」
「住人の避難といざという時の対応について、話し合っているところなんだ。リオラ嬢の意見も参考に、弓兵の配置なども決めておきたいと思ってね」
そんなシオンの言葉に、リオラが誇らしげに、ドヤァ顔をする。どうやら、ティオーナを通して、ルールー族の弓の腕前は、シオンにも伝わっているらしい。
一瞬……シオンと敵対するようなことになれば厄介……と思いかけるミーアであったが、まぁ、そんなことにはならないだろう、とすぐに思い直す。
同時に、万が一にもそうなった時のために、ティオーナと仲良くしておかなければ、と心に誓うミーアである。
「ポッタッキアーリ候か、兄上と連絡が取れればと思っているのだが、そちらはなかなか上手く行かないな……。ポッタッキアーリ邸にいた者を連絡にやったのだが……」
渋い顔のアベルに、ディオンが肩をすくめてみせた。
「そのまま逃げてしまったか、あるいは、ポッタッキアーリ候が握りつぶしたか……。いずれにせよ、動き出した軍というのは簡単には止まれませんからね。それこそ、軍事侵攻の大義名分を失うとかしないと、ね」
それから、ディオンはミーアのほうに目を向けた。
「ということで、ルシーナ司教の説得、よろしくお願いしますよ。姫殿下」
「そちらは鋭意努力中ですわ……。ルシーナ司教は難攻不落の砦のような方なので、苦戦しておりますけれど……。ところで、避難計画はどうなっておりますの?」
「そうですね。幸い、後ろは海。敵が来るとすれば、北側から来るしかない状況なので、住民は思い切って南に避難させます」
ディオンは、顎をさすりながら続ける。
「攻め滅ぼすつもりであれば、火攻めなんかも怖いですが、目的がセントバレーヌの占領、いや、この都市の統治権であるならば、できるだけ住民や町の施設には被害を出したくないはずですから」
「そうですね。同意できる相手が敵だといいのですが……」
ディオンの言葉に、眉根を寄せてつぶやくルードヴィッヒ。深刻な顔をする男たちにミーアは、あえて明るい口調で言った。
「まぁ、物は考えようですわ。相手が、物わかりが悪い者たちであれば、逆にルシーナ司教は大義名分を与え続けられなくなる。説得しやすくなるんじゃないかしら?」
そんなミーアの軽口に、ディオンとルードヴィッヒは苦笑いを浮かべた。
それは、帝国の叡智にとっての勝利ではないのでしょう? わかってますよ……と言わんばかりの態度であった。
確かに、まぁ、その通りではあるのだが……二人の設定しているミーアへの要求水準の高さを窺わせる態度に、ミーアは若干、背筋が寒くなるのを感じる。
「ええと、ちなみに軍の動きは、どうなっておりますの? ポッタッキアーリ候とミラナダ王国軍の動きは……?」
「今のところ、連絡はないですね」
皇女専属近衛隊を含めた私兵団二十名を交代制で見張らせている。接近する軍があれば、狼煙があがるはずだった。
「このまま来なければ嬉しいのですけれど……。うん、軍が展開する前に、ラフィーナさまが来てくだされば、すべては解決するはずで……」
それこそが最善。だから、ラフィーナさま、早く来てね! と熱心に祈るミーアであったのだが……。ミーアの願いは、けれど届くことはなかった。
その二日後、前線より報告が届いたのだ。
「ポッタッキアーリ候の軍、歩兵百人隊が五個、騎兵三十騎がセントバレーヌ北方に展開した」と。