第百二十五話 赤い悲劇の色~ミーア姫、崩れ落ちる~
赤い……それは、あまりにも赤い絶望だった。
「あ……あぁ……ああ……」
眼前に広がる惨状を見て……ミーアは膝から崩れ落ちた。
赤い……目の前すべてが、真っ赤に燃え上がっていた。
赤い……あまりにも赤い、それは悪夢の色……。
あまりの光景に、ミーアは言葉を失う。
できれば、夢だと思いたかった。こんなこと、あっていいはずがない。こんな悲劇が、許されていい……はずがないのに……。
けれど、背筋を流れ落ちる冷たい汗が……これがまぎれもない現実であることを訴えていた。
――なぜ……なぜ、こんなことに……。わたくしは、いったいどこで、なにを間違えたというんですの?
その問いの答えは……けれど、ミーアにはよくわかっていた。
すべては、自分の判断のミスだ。
信じてはいけないものを信じ、頼ってはいけないものに頼ってしまった……。それが、それこそが……間違いだったのだ。
力なく崩れ落ち、絶望に暮れるミーアに、彼女のすぐ後ろに立つ人物……、
「会心の……一作です!」
シャルガールは、万感の思いのこもった声で言った。
……堂々と胸を張り、得意げなのが何とも腹立たしかった!
その日……ミーアはシャルガールから絵が完成したと連絡を受けた。
幸い、軍事侵攻は、まだ始まっていない。ラフィーナの女神肖像画を使い、ミーアの女神肖像画の深刻度を減らす……ミーア自身、いまいち上手くいくとは思えないのだが……せっかく描いてもらったなら使わない手はない。
「さて……とりあえず、なにに使えるかわかりませんけど、どんなものができたか確認が必要ですわね」
もしも、出来が良いようなら、何枚か同じものを作り、それでラフィーナのほうが人気だから、自分が偶像視される恐れはない、と言ってやるのはどうだろうか……?
「いや、その場合は、商人組合がラフィーナさまを女神にしようとしてる、などと言われてしまうだけですわね。ぐぅぬぬ、なかなかに厄介ですわ」
ともあれ、まずは、絵の出来栄えを確認せねば……。
ミーアはシャルガールの滞在している宿屋に行き……そして、それを見た……。
それは、巨大な絵だった。
……でっっかい! 絵だった。すごく……すっごーく、でっかかった!
どのぐらいかというと、皇女専属近衛隊の隊旗……の倍ぐらいはあった。
なんだこれ、なんで、こんなに巨大なんだ? とミーアは、思わずクラァッとした。
さらに、問題はその絵柄だった。
そこに描かれているのは、確かにミーアのオーダー通り、ラフィーナの絵だった。デザイン自体も大きな翼とゴージャスなドレス、さらに鱗めいた模様の付いた鎧を身にまとった、大変勇ましい姿をしている。実にド派手なものだった。これは注文通りといえるだろう。全体的に赤っぽいのが、若干気になるところだが……。
「天使の衣装だけでは派手さに欠けるので、伝説の火蜥蜴の鎧を合わせてみました」
得意げに言うシャルガール。さらに、
「それと、生徒会長選挙の逸話を聞きました。お二人の絵を描くには、やはり、この赤い色が良いのではないかと思いまして」
いちいち解説してくれるシャルガールである。
なるほど、確かに、以前までの絵は表面に虹色に輝くコーティングがしてあったが、今回の絵は、赤く光る加工がされている。
その赤も、ミーアの思い入れのあるギロチンレッドではなく、もう少し明るい、どちらかというと炎の色に近い。
縁起が悪い感じはしないものの、その炎の色が、なんとなくラフィーナの怒りを表しているように感じてしまって、若干、恐ろしくはあるが……。
しかし、大きな問題は、そこではなくって……。
「二人の絵……わたくし、ラフィーナさまの絵を描いてと言いましたのに、なぜ、わたくしまで……」
そうなのだ。ラフィーナと並ぶようにして、ミーアまでもが、その絵の中には描かれているのだ。幸いなことに、その服装はどちらかといえば地味な旅装だが……なにやら、こう……体からキラキラしたオーラのようなものを発散しているのが不穏だ……。実に不穏だ。
「このキラキラは、いったい……いえ、そもそも、わたくしはモデルに相応しくないと、あなた、言ってなかったかしら? なぜ、わざわざわたくしを……?」
その言葉に、シャルガールは深々と頭を下げた。
「その点は申し訳ありません。先日の言葉は撤回いたします。あれは、私が未熟な故の失言でした。ご容赦いただけますと幸いです」
そうして、彼女はアンヌに目を向ける。
「アンヌさんに言われて、目が覚めました。今までの私は、自分自身の見たもの……ただ目に映るものに基づいて、美しさを決めていました」
まぁ、美しさって、そういうものでは……? と首を傾げるミーアに、シャルガールはグッと拳を握りしめて続ける。
「しかし、ミーアさまは、見た目の美しさを犠牲にして……捨て去ってまで、民の平和のために駆け回っているとお聞きしました。そして、私は……そのような姿を美しいと思ったのです。それは、なんと美しく、麗しい姿なのだと……この絵に、その美しさを描いてみたいと、そう思ったのです……」
「っ! シャルガールさんっ!」
それを聞き、アンヌが感動に目を見開いた。わかってもらえたんですね! みたいな感じで、目をウルウルさせている。その問いかけに、シャルガールは力強く頷いている。
どうやら、二人の和解は済んだらしい。それ自体は喜ばしいことではあるのだが……あるのだが!
「なるほど……。美しさを捨てて、駆け回る……というのを、キラキラしたのを振りまきながら、で表現した……と。そして、助けて回るというのを、この旅装をしてることで表現した、ということかしら……?」
現実のミーアより凛々しく格好良くて、一見すると男装の令嬢といった趣の絵に、ミーアは再び、クラァッとする。
――ううむ、まぁ、確かに美しい絵だとは思いますけれど……美化されすぎというか、見てて恥ずかしいですわね。実に……。
っていうか、そもそものオーダーは、先日のミーア女神肖像画より派手目な女神肖像画だったはず。なぜ、女神ラフィーナと女神の美を捨てて人々を助けるミーアのコラボ絵になってしまったのか……。
――しかも、この巨大さ……これを一体何に使えば良いと思ってますの……?
そんな疑問に答えるように、シャルガールは快活な笑みを浮かべて。
「うっかり大きくなりすぎてしまったのですが、旗にして振る、とか、そういうのはどうかと思いまして……。特殊な描き方をしましたので、布のようにはためくはずです」
相変わらずの無駄に高い技術を披露してくるシャルガールであるが、ミーアがツッコミたいのはそこではなかった。
「旗にして……振る?」
その光景を想像して……再びクラァッとする。
なぜ、そんなことになるのか全く理解できないものの、一部の自分の支持者たちは喜んでその旗を振りそうなのが、何とも恐ろしいところだった。
――これは……シャルガールさんには申し訳ないけれど、お蔵入りにするしかないかしら……。
深々とため息を吐くミーアであった。